「チビ太はあまりにもいたずらがひどいから、里親の会にあずかって
もらうことにしよう、そして、チビ太をしつけられる人があらわれ、
その人がチビ太を気に入ってくれたらもらってもらおう」と私、
「うん、そうしよう」と家族みんな大賛成してくれた、
そんなわけで、チビ太はすぐに里親の会にあずかってもらうことと
なった、チビ太を気に入ってくれた人がすぐにあらわれた・・
そのとき、チビ太は大きいワンではなく、不思議と小さな子犬になっていた、
子犬のチビ太を見たとき「私はチビ太が大好きだったんだ、チビ太がいないと
生きていけない、ごめんなさい、どうかチビ太をかえしてくだい、チビ太ごめんね」と
私は泣き叫んだ、、その時、ハっとめが覚めた「なんだ、夢だったんだ」と・・
目には涙がいっぱい・・夢でほんとうにないたのは久しぶりだと今朝目覚めた・・
さて、それから、1階へ行くと「お母さん、昨夜、パパが買ってきたばかりの
印刷機のインクでチョっちゃんが関所したよ、インク、ダメになっちゃった、
まったく、チョっちゃんは戦利品をすぐカミカミするようになっちゃった、悪いワンだ」
と勉強人生の娘、「エー、どうしよう、パパにばれたら、チョっちゃんはこっぴどく
叱られるよね」と私、
「コラーチビ太、これは5000円もするんだぞ、弁償しなさい」と田舎牧師は
優しく怒っていた、
ところで、今日も仕事の後、水曜日のお祈り会へ行った、3人で心を合わせて
信仰の祈りをささげた・・祈りは素晴らしい、あなたのために祈りました、
大丈夫です、
それではまた明日、イエス様の祝福があなたの上にありますように。
信仰による祈りは病む人を回復させます、主はその人を立たせてくださいます。
また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。
いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。聖書、ヤコブ、5,15-16.
2017,7,5. トマトでした。
もらうことにしよう、そして、チビ太をしつけられる人があらわれ、
その人がチビ太を気に入ってくれたらもらってもらおう」と私、
「うん、そうしよう」と家族みんな大賛成してくれた、
そんなわけで、チビ太はすぐに里親の会にあずかってもらうことと
なった、チビ太を気に入ってくれた人がすぐにあらわれた・・
そのとき、チビ太は大きいワンではなく、不思議と小さな子犬になっていた、
子犬のチビ太を見たとき「私はチビ太が大好きだったんだ、チビ太がいないと
生きていけない、ごめんなさい、どうかチビ太をかえしてくだい、チビ太ごめんね」と
私は泣き叫んだ、、その時、ハっとめが覚めた「なんだ、夢だったんだ」と・・
目には涙がいっぱい・・夢でほんとうにないたのは久しぶりだと今朝目覚めた・・
さて、それから、1階へ行くと「お母さん、昨夜、パパが買ってきたばかりの
印刷機のインクでチョっちゃんが関所したよ、インク、ダメになっちゃった、
まったく、チョっちゃんは戦利品をすぐカミカミするようになっちゃった、悪いワンだ」
と勉強人生の娘、「エー、どうしよう、パパにばれたら、チョっちゃんはこっぴどく
叱られるよね」と私、
「コラーチビ太、これは5000円もするんだぞ、弁償しなさい」と田舎牧師は
優しく怒っていた、
ところで、今日も仕事の後、水曜日のお祈り会へ行った、3人で心を合わせて
信仰の祈りをささげた・・祈りは素晴らしい、あなたのために祈りました、
大丈夫です、
それではまた明日、イエス様の祝福があなたの上にありますように。
信仰による祈りは病む人を回復させます、主はその人を立たせてくださいます。
また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。
いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。聖書、ヤコブ、5,15-16.
2017,7,5. トマトでした。
名前は「クロ」。
あれから64年以上経つのに良く覚えている。
小学校の入学式の時に「クロ」と一緒に記念写真を撮った。
その写真も残念な事にいつの間に行方不明になってしまった。
家には他に馬や豚も居た。
猫も飼っていたが家が火事になって多分焼け死んでしまった。
何時も畳んだ布団の中で寝る癖があったから逃げ遅れたのだろう。
母と必死で探した記憶がある。
家は半分が馬の棲家で半分の筵敷一部屋が人間様の棲家だった。
冬のある日母が操る馬橇が道路下に転落してしまった。
私は投げ出されたが積雪が幸いして無傷で済んだが、母は顔に負傷した。
その夜の人達が集まって宴会が始まった。
朝起きて外に出ると血だらけの雪が盛り上がった場所があった。
後で骨折した馬を潰して皆で食べてしまった事を知った。
血だらけの雪は潰した場所で残骸を埋めた場所だった。
今でも馬肉だけは食べる気にならない。
弟が生まれる時、その馬で橇をひいて町まで産婆さんを迎えに行った記憶がある。
その馬の背に筵を鞍代わりにして乗った事もある。
当時は馬喰が活躍し牛馬の売買種付けから出産そしてその死も全部子供の目の前の現実だった。
当時の田舎は何処でもそうだろうけれど
牛馬犬猫は動物愛護でもなければ愛玩動物でもなく、人間と共に生きる生き物同士だった様な気がする。
あの頃は本当に懐かしい。
今夜も午前3時半のお通じでバタバタして、以降寝付けなくなってしまった。
この状態が数ヶ月続いている。
こちらが忙しくオムツ交換している最中も、妻はまるで他人事の様にテレビが見えないとか喉が渇いたと合図する。
「今オムツ交換中だからちょっと待って」が毎度のやり取りです(笑)。
そんな生活でも大して不満を感じないでやって行ける事に感謝です。
私も父が猟をしていたのでいろんな
生き物が納屋につるされていた・・
「かわいそう」と子供心に思っていた、
なので、いまだにお肉はあまり食べら
れません、