残り火のぬくもり

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西蔵行 10 「ザ・エンペラー・西蔵之王」 松賛干布(ソンツェン・ガンポ)半生記

2007年05月19日 13時44分36秒 | Weblog
西蔵行 10 「ザ・エンペラー・西蔵之王」 松賛干布(ソンツェン・ガンポ)半生記

 この古い映画をなぜ、いつVHSテープに録画しておいたのか記憶がない。貸しビデオ屋のテープから録画したのであったか、誰からか貰ったのであったか。偶然、昨夜テープ棚から見つけて、さっそく見た。はじめて見るのである。

「ザ・エンペラー・西蔵之王」1987・中国
監督・脚本:ヨン=カツヤオ
出演:ジャ・サイ・トン・チュー(ソンツェン・ガンポ)/ポー・ポウ・コゥ・チャン/タン・チ

 西暦633年、近隣の部族を制圧した勝利の祝宴中に王が毒殺される。息子の松賛王子が王位を襲封し、着々と統一事業への成果を上げていた。唐と同盟を結び、唐の先進文明を取り入れ、チベット文字を創造、国民に広め、さらに仏教を布教させて国民の覚醒に役立てようとする。その新政策を松賛王の独断専横とする旧守勢力の代表・宰相は娘を使ってまでも阻止しようと、先王についで松賛王暗殺を企てる。しかし、王を愛した娘のために宰相の陰謀が暴かれ、松賛王の新政は仏像とともに輿入れしてきた唐の文成公主との結婚を機に着実に結実していく。
 父王の毒殺の真偽は別として、映画はほぼ松賛王の新政を布く過程を忠実に描いているようだ。
しかし、少年時代見たアメリカ映画のアラビアンナイト物・バグダッド物の1篇を見ている感じがしてしょうがなかった。歴史劇とはいえず、活劇ともいえぬ中途半端な映画である。王と宰相との権力争いも図式的、京劇風の活劇も面白くない。
 文字の普及・仏教の布教に反対して宮殿に押し掛けてきた農民達が、当初の意気込みはどこえやら、いとも簡単に王に説得されて、王の英明さをたたえて帰っていくシーンには、陳腐さをとおりこして苦笑さえ誘う。
 それでも、西蔵の自然の美しさにひかれる。さらに往古(我が国で言えば、622年 - 聖徳太子が没、626年 - 蘇我馬子没、628年 - 推古天皇没、646年 -大化の改新、668年 - 中大兄皇子が即位し、第38代天智天皇となる時代)の風俗(印度風・白布の交換・赭面風習)は興味深い。
 さらに、松州城が出てきて引き込まれる。松州は今の松藩で、当時は吐蕃と唐の国境線であったようだ。ここで唐・吐蕃間の戦闘が行われ、その後文成公主が唐側から吐蕃側にひき渡される。砂漠の中にぽつんと城があるある感じで、緑は全くない。
 九寨溝・黄龍へのツアーで松藩に1泊したことがあった。当然、文成公主時代から幾回となく改造されてきたのであろうが、今なお城門と城壁が残っていて、城楼に登るには門票が必要だった。2元だったろうか。松藩は小高い丘に囲まれた小さい城下町で、城外に町が広がっていっているようで、町づくりにせわしなく城楼からは見えた。門番は着古した軍服を羽織った片腕の小柄な初老男性で、紅軍の長征参加者の一人に見えた。
 宿泊した「太陽河賓館」(在・松藩古城壁)という賓館は城門近くの城外にあって、可もなく不可もなく印象が薄い。

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