湖岸蜻蛉

 オペラハウス「びわ湖ホール」へのお誘い 
  

サポーターの皆さんへ

2013-01-08 09:10:38 | 日記

お正月いかがでしたでしょうか。 お酒とお餅でゴロゴロ、食っちや寝生活=増量キャンペーンの期間もそろそろ終りで・・。 

で、サポーターの皆さんッ! 何かお忘れではないですか・・そうッ 提出物ですよ。

  ①交流紙「ハルモニア」原稿  

1月6日が締切りでした。 いやいや確か木曜日のはず・・スミマセン、曜日の表記が間違っておりました。 多くの方の投稿をお待ちしております。 

  ②活動レポート

      10~12月分は、1月9日が締切りです。 

 


あけましておめでとうございます

2013-01-01 10:05:35 | 日記

新年あけましておめでとうございます。

ジルヴェスターに出演された方、聴きに行かれた方、お疲れ様でした。

ささやかなブログですが、びわ湖ホールの応援 (実はお邪魔かも) を続けたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

  テンプレートをお正月用にカルタ遊びにしてみました。 

  「果報は寝て待て」「正直は一生の宝」・・味わい深いことばが並んでいます。

  今年もやはりお遊びばかりに・・。

 

 

 


オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」が終わって

2012-12-04 17:46:22 | 日記

11/30、12/2の2日間に亘る公演が終わりました。 バーゼル歌劇場との共同制作ということで注目されましたが、今回の演出については熱い議論が展開しつつあり、この辺も、びわ湖ホールの魅力のひとつでしょう。

このブログでは、公演批評は原則として載せないこととしていますが、関西のオベラ・ファン2人(K.Y.=空気読めない?)のメールでの意見交換をあえて掲載いたします。 これとは異なる意見も当然ある訳で、ご意見などコメント欄でいただければ幸いです。

 なお、文字色を、Kさん:紺色、Yさん:茶色としています。

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びわ湖ホールの「コジ・ファン・トゥッテ」の公演に関する往復メール                    2012年12月01日


Yさん、寒くなってきました。お変わりないことと思います。昨日、びわ湖ホールの『コジ・ファン・トゥッテ』の公演を観て来ました。色々と考えることもあってお伝えるのはYさんが相応しいと思いメールします。


Kさん、メールありがとうございます。『コジ・ファン・トゥッテ』なら、お話ししたいことがいっぱいあります・・・。


今回も問題は演出です。時代を現代に移して世界各地の時計を配して、登場人物に顔写真をかぶせて進行する劇の意図は理屈をつければ勿論、言い方はあるでしょうが、とても退屈で第1幕では眠気に誘われたほど。やはり最大のポイントは最後をハッピー・エンドにしないことでしょうね。今の流行りの演出です。あのストーリーは昔から現実的ではない、荒唐無稽、不道徳と非難を浴びせられていました。でもあのドラマを大真面目で捉えるのはバカなこと。ヴェリスモ・オペラの演出とは違うのです。今回の公演はリアリティーを持たせるつもりが、本質と離れる馬鹿な演出家の所業と思います。音楽はそれぞれの場面で真実の心情を語っているのですから。一つ間違えば殺人が起きてもおかしくない話を大団円で終わらせたのはモーツァルト(そしてダ・ポンテ)の人生に対する深い考察(叡智、機知)の所産です。

今回の公演はスイス・バーゼル歌劇場の総裁、ジョルジュ・デルノンという人の演出です。今回の公演がプレミエ。何年か後に同じ演出でバーゼルでもやるとのこと。この歌劇場はヨーロッパの優秀歌劇場に何度も選ばれている(どういう選考基準なのかは知りませんが)評判のオペラ・ハウスのようです。基本的には現代的で前衛的な演出を主体としているのでしょう。世界の主流がそうなのかもしれない。


「やはり最大のポイントは最後をハッピー・エンドにしないこと」・・・そのとおりだと思います。モーツァルトの音楽は、人間に対する深い共感の心を表現しているのですから、大団円でなくてはその音楽とドラマがつながらないのです。

普通に解釈すれば、「浮気」をして、それが元の鞘に納まったという下世話な解釈になると思いますが、モーツァルトは、「でも、それが人間なんですよ・・・」と、音楽で表現しているのですから、下世話なレヴェルを音楽の力で超えているからこそ、大団円による人間に対する深層での「許し」が必要なのだと思います。


直前に聞いた海老沢敏さんの講演ではモーツァルト・オペラの根底に「許し」の精神があると言われていました。『フィガロの結婚』で最後に伯爵が夫人に心から許しを乞うシーンを例に挙げられて。私も全く同感です。『コジ』の最後も許しで終わって欲しいのが彼の期待です。それに反して今回はオペラにとって「不幸な時代」と思える公演であったというのが率直な感想です。

海老沢敏さんの講演はさすがです。私がぼんやり感じていたことを具体的な事例で説明してくれました。私の頭の中を整理してくれた感じです。彼が最後にDVDで『コジ』の幕切れを見せてくれました。確か200X年のニューヨーク、シティー・オペラのもの。これが恋人たちは破局する演出なのです。海老沢さんは講演の中で「許し」がモーツァルト・オペラの本質だと説いたわけで、こんな演出は絶対に許せないはず。聴講している人に先入観を与えないため、「皆さんはこの演出をどう思われますか?」と言っただけで彼は非難めいたことは一言も口にしなかったですが。今回の公演の関連行事としてびわ湖ホールはモーツァルト権威の海老沢さんに講演を頼んだけれど、演出の趣旨、びわ湖ホールが進めようとしているオペラの方向性とは皮肉なことにまったく整合性がとれないイヴェントになりました。


海老沢敏さんの講演も聞きたかったですが、「「許し」がモーツァルト・オペラの本質だ」というのは、その通りだと思います。

「ContessaPerdono!」の場面(それに続く伯爵夫人の対応)こそ、モーツァルトが音楽を通じて表現したかった深い人間への共感だと思います。

モーツァルトの音楽を離れても、この伯爵夫人の「許し」こそ、人間理解の本質ではないでしょうか・・・?単に伯爵に対してだけではなく、根底に、女性(人間)の(人間に対する)深い共感・寛容(=母性)が表現されているのです・・・。

この伯爵夫人の「許し」こそ、人類全体に対する共感ではないでしょうか・・・。平和を希求する人間の根元的な感情です(・・・現代にも通じます・・・例えば、ガザ地区への砲撃や南京大虐殺に対する「怒り」という深い共感とも通じます・・・)。その「怒り」の根底には、そういった犯罪的行為は誰もが犯しそうなことだという相対主義(許し)があってこその「怒り」であり、その「怒り」は「テロリズム」にはなりえません・・・。

歴史を、単なる過去の事象(例えば、「戦争だったから仕方なかった」)としてとらえるのではなく、現代に通じる問題として把握することが大切であり、その根底には、深い(過去・現在・未来の)人間への共感が通奏低音として流れているのではないでしょうか・・・(わたしの心の中には、伯爵夫人の許しも、南京大虐殺への怒りも共存しています)。

『魔笛』の「Pa-Pa-Pa・・・」も、単なるハッピー・エンドで終らせるだけでなく、そのハッピー・エンドこそ観客の中に「人間に生まれていてよかったなあ」という深い共感を呼び起しますから、単に「めでたし、めでたし」だけではないのです・・・。わたしが『魔笛』のこのシーンを観るたびに、涙が止まらないのも、ここに起因します(つまり、階層的・階級的には低いパパゲーノやパパゲーナにおいてこそ、モーツァルトの音楽によって、人間性の根元が表現されているのです・・・)。

現代風の演出家(今回の演出家を含めて)は、結局モーツァルトの音楽の凄さや、人間(というもの)を根元的に分っていないのでしょうね・・・。演出家が意のままにできる範囲は、オペラの筋書きと音楽にひれ伏している範囲でなければならないのだと、思います。それを飛び越しての演出は、もはや「オペラ」ではないのではないでしょうか・・・。


関連イヴェントは(良し悪しは別にして)びわ湖ホールの主張に沿ったものにすべきという感想でしたが、『コジ』解釈の多様性を知らせることができて、「結果、オーライ!」になったのは幸いでした。今まで述べた私の意見などは保守的なオペラ・ファンの戯言くらいにしか思われないことでしょう


観客(しかも、大のオペラ・ファン)に「とても退屈で第1幕では眠気に誘われたほど」(「『サロメ』では目をつむって聴いていた」)と言わせては、演出家の失敗で、ひいては、びわ湖ホールの失敗だと思います(大団円も含めて・・・)。
これからびわ湖ホールでのオペラから客足が遠のいていくのではないでしょうか・・・。


来年の6月にこの歌劇場がびわ湖ホールで『フィガロの結婚』を上演します。チケット代金も高かったので行くかどうか迷っていたのですが、今回の『コジ』を観て止める決心がつきました。別の知人の女性も迷っていたのですが結局やめると言ってました。Yさんの予想通りびわ湖の観客が約2名、減りました。


『コジ・ファン・トゥッテ』の公演を期に、とってもいい問題提起をしていただいて、ありがとうございました。自分の思考をまとめることができたと思います。おかげさまで、『コジ・ファン・トゥッテ』と『フィガロの結婚』と『魔笛』が、ひとつの糸で結びつけられた結果になりました


早速、私の感想に共感いただいたようでメールをお送りして良かったです。それに私の言いたい所をもっと膨らましていただけました。

K・Y
これからもよろしくお願いします。