湖岸蜻蛉

 オペラハウス「びわ湖ホール」へのお誘い 
  

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バルセロナ 音楽・美術紀行 エビローグ

2014-09-15 15:36:53 | 旅行

 17期サポーター・K岩氏のスペイン紀行 太陽と情熱の街、7月のバルセロナへの旅、今回で最後となりました。短期間の滞在でしたが、バルセロナの魅力を堪能されたK岩さん。皆様にもお楽しみいただけたでしょうか

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(エピローグ)

5連泊のバルセロナだけの旅になってしまったが、やはりもう少し日数が欲しかったというのが本音である。フィゲラス訪問も結局は叶わなかったのだし。おそらくバルセロナの観光スポットも前回の訪問時よりはかなり整備され、充実したものになっているはずだ。1975年にフランコ独裁政権が倒れ、1992年にはこの街でオリンピックも開催されているのだから、その変化は計り知れないと思う。

バルセロナは期待以上に面白い街だった。街には観光客を含めた人が溢れ、実に活気がある。陽光がいつも眩しく、この風土がカタルーニャ芸術の源泉なのだと感じさせる。EU内で不安視されるスペインの経済危機など、観光客の私には微塵も感じられなかった。

ここはスペインというよりカタルーニャと呼んだ方が相応しいのかもしれない。リセウ大劇場のチケットをネットで予約する際の言語選択はスペイン語、英語と並んでカタルーニャ語だった。彼らは独立心が極めて強い。42年前はまだフランコ独裁政権下だったから、カタルーニャ語の使用を禁止されていたはずである。当時の私はそんな厳しい現実も知らなかったのだが。カタルーニャ語を使うことは自由の象徴でもあるのだろう。

7月のスペインということで気候(暑さ)を少し心配したが、日本の酷暑を経験していればどうということはない。日差しは強いが気温も神戸より3~5度くらい低く、決定的に違うのは湿度の低さだった。神戸の夏が常に60%以上、時には80%を超える湿度なのに対し、バルセロナでは50%を超えることはなかったと思う。だから日陰に入れば微風が実に心地良い。

アルモドバル映画に出てきそうなタンク・トップの美女たち、イケ面の男たちが街中を闊歩し、カタルーニャで生まれた色彩と生命力に溢れた絵画、建築などの芸術を楽しめ、リセウ大劇場のような素晴らしいオペラ・ハウスがあって、実に美味しい料理、ワインを賞味できるレストランや、気楽にタパス(小皿料理)を摘まめるBARが街中にある。気候が極めて温暖、そしてレオネル・メッシ(1987~)が所属する最高のクラブ・チーム、FCバルセロナの本拠地だというこの街にこれ以上、何を望めばいいのだろう?旅の残響が長く残って、私の気分は今でもバルセロナだ。バルセロナが世界中で最も魅力的な街の一つだと確信するようになった。42年前に安ホテルの女主人が何も観ないでこの街を去る私に投げた言葉はやはり真実だったのである。

                                                                  (2013年8月記)

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バルセロナ 音楽・美術紀行 帰国の途に

2014-09-14 18:27:58 | 旅行

 17期サポーター・K岩氏のスペイン紀行 太陽と情熱の街、7月のバルセロナへの旅、バルセロナ6日目、早朝にホテルを出てバルセロナ空港からヘルシンキ経由で関西空港へ。お疲れ様でした。

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(7月22日、月曜日晴、23日、火曜日、晴)

朝食を依頼した予定の時刻、6時45分にレストランに降りていくと、もう開いていました。出発前に食事をホテルで摂れるのは嬉しい。早朝出勤を強いた給仕係には、さすがに心ばかりのチップを渡しました。

バルセロナは流しのタクシーを多く見かけていたので特にフロントに依頼していなかったが、ランプラス通りですぐタクシーを拾えた。バルセロナ、エル・プラット国際空港10時15分発のヘルシンキ行きフライト。今回は夏仕様の荷物だったし、ワイン、土産物もそれほど買わなかったから、一人23キロの荷物、重量制限も楽々とクリアである。こんなことならもう2~3本、ワインを買っておくべきだった。ヘルシンキ空港では最後の買い物。妻はチョコレート、マリメッコの雑貨品などを購入していた。

予定通り翌朝、関西空港に無事、到着したのだが、飛行機から降りた瞬間に身体中にまとわりつく湿気を含んだ熱風には参った。この洗礼を受けたものだから、バルセロナのカラッとした暑さが懐かしい。日本は完全に亜熱帯気候の国と感じたことが忘れられない。

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今年も「にゃんばら先生」に1票を!!

2014-09-14 08:19:57 | サポーター活動
イタリア生まれ日本育ちの中学教師。合唱部顧問。2011年から、びわ湖ホール、シアターメイツの特別顧問をされている「にゃんばら先生」。 

今年も、全国の文化・芸術愛好家のために、「ゆるキャラグランプリ2014」にエントリーされました。

デビューした昨年は、全1579キャラクター中696位という結果。今年は、更に上位を目指したいとの固い決意で臨んでおられるとのことです。  

どうか、皆様も にゃんばら先生に(毎日)1票(以上)を !!  

  にゃんばら先生のページはこちらです。       

  投票方法はこちらのページをご覧ください。    

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バルセロナ 音楽・美術紀行 ピカソ美術館

2014-09-13 09:05:55 | 旅行

17期サポーター・K岩氏のスペイン紀行 太陽と情熱の街、7月のバルセロナへの旅、バルセロナ5日目、ピカソ美術館バルセロナ現代美術館グエル邸と巡ります

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(7月21日、日曜日、晴)

結構、頑張ったつもりだったがフィゲラス訪問は時間的にとても無理な状況になってしまった。ダリ劇場美術館は残念だが諦めるより仕方がない。明朝が出発だから今日が実質、バルセロナ最後の日である。

例によってミロの歩道にあるタイル画を眺めながら朝食を済ませた後、3日前に諦めたピカソ美術館に向かう。今日の人出はまだ少ない。パブロ・ピカソ(1881~1973)は驚くほど多作な人だったから、世界中の美術館に数多くの作品が残されている。ピカソは若い一時期、バルセロナに暮らしたとはいえ、カタルーニャ出身ではない。このピカソ美術館は初期の作品と有名なベラスケスの絵に着想をえた「ラス・メニーナス」の連作など見所は多いけれど、目まぐるしく作風が変貌した彼の全体像を俯瞰するには、パリにあるピカソ美術館の方が相応しいだろう。でもこの美術館を観て、ピカソはやはり凄い!という思いを新たにした。 ミュージアム・ショップに寄って初期の「青の時代」とキュービズムの作品によるポスターを2点、購入した。2点で20€だったがポスターを収納する丈夫な紙筒を無料で提供してくれたのには少し感激!この紙筒はこれからも別の色々なシーンで使えそうである。

ミュージアム・パスの残りはあと二つ。対象の美術館、6か所の全館制覇が見えてきた。まずバルセロナ現代美術館(MACBA)に向かう。ガラス張りの現代的で斬新な建物はパリのポンピドゥー・センターを想起させるが、レンゾ・ピアノではなく、設計者はアメリカ人のリチャード・マイヤーだった。20世紀後半以後の現代美術コレクションで、素晴らしい感覚の作品も多いが、殆どの作者は名前も知らない人が多かった。ここでもアントニ・タピエスの作品が何点かあって、その存在感はさすがである。

美術館1階のロビーに革製で伸縮自在の球形の椅子が何個も設置されていた。この椅子に座ると形状は深く沈みこんで寝る姿勢になれる。妻がまだ絵を鑑賞している時間をこの椅子に寝転んで過ごした(下写真)。周りを見ると、ある女性などは完全に眠りこんでしまって、動く気配が全く見えなかった。皆さん、この椅子は気持ちがいいのである。

少しお腹が空いたし疲れてきたので昼食にしようと思う。考えてみればいつもランチは定食メニューばかりをオーダーしていて、名物のタパス(小皿料理)をまだ食べていない。近くのレストラン&BARを探すとタパスの看板を掲げた店を見つけたので入ってみた。もう午後2時をかなり回っていたのでお客は少なく、空いていたカウンター席に腰を掛けて、目の前のケースに並べられているタパスを4~5種類、オーダーした。ジャガイモ入り&ほうれん草入りのオムレツ(トルティーリャ・エスパニョーラ)、カタクチイワシの酢ずけ(ボケロネス・エン・ヴィナグレ)、白身魚のてんぷら風ポテト添え(メルルーサ・フリータ)、ほうれん草入りグラタンなど。どれも美味しかったが、カタクチイワシの新鮮さが特に印象に残る。ビールとの相性も抜群だったのは言うまでもないだろう。

 

残された時間はもうあまりない。バルセロナ現代文化センターを見学して、ミュージアム・パスの対象美術館、全制覇達成にも少し心魅かれたが、それに固執してもつまらない。私は残りの時間をまだ観ていないグエル邸の内部見学に充てることにした。妻はその間、色々なお土産を買うために一人で街を周ってみるという。

グエル邸の内部見学には日本語の案内パンフレット、音声ガイド(無料)があってとても助かった。1890年に完成された建物の各部屋は何とも豪華で凝った造りになっている。細部にこだわった装飾、細工を観ていると、さぞやお金が掛かったことだろうと思う。でも成金趣味の厭らしさは全くない。モデルニスム様式というのはフランスのアール・ヌーヴォー、ドイツのユーゲント・シュティール、ウィーンの分離派などと同じ潮流の芸術運動なのだと実感した。エウセビ・グエルはガウディより6歳年上のバルセロナの実業家だが、単なる富豪というのではなく高度な教養と知識、感性を身につけた人だった。彼が最初にガウディの才能に目を付けたのは1878年のパリ万国博に出品された彼のデザインによる革手袋のショウ・ケースを観たからだという。まだそれほど名前を知られていなかったガウディの天才を見逃さない慧眼が素晴らしい。エクセビ・グエルは別邸のパビリオンと厩舎の設計をガウディに依頼したあと、その才能に満足してこのグエル邸の設計者として彼に白羽の矢を当てた。その後、40年の長きに渡ってパトロンとしてガウディを支援し続けたのは周知の事実であろう。色々な意味でこのグエル邸の内部見学はとても興味深いものだった。

夕方、ホテルに戻ってみるとフロントは例の日本人女性の担当だった。彼女が日本を離れてフランスでの語学留学を経て、バルセロナに辿り着くまでの簡単な経緯を聞く。人生は予期せぬ展開になるから面白い。我々はバルセロナの素晴らしい印象を語った。明日はフライトが早いので朝食は食べないで出発することを告げると、彼女は我々の時間に合わせてレストランを開けるよう給仕係に指示してくれるという。普通のホテルでは考えられぬサーヴィス、融通性が庶民的なオスタルのいいところ。それにしてもこの好意は想定外だった。お陰で給仕係をいつもより45分も朝早くから働かせることになってしまったのだが。

                              (7月21日の歩行数12427歩)

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バルセロナ 音楽・美術紀行 リセウ大劇場

2014-09-12 18:01:16 | 旅行

 17期サポーター・K岩氏のスペイン紀行 太陽と情熱の街、7月のバルセロナへの旅、バルセロナ4日目、サグラダ・ファミリア聖堂見学の後、カタルーニャ美術館ミロ美術館へ。そして最後に今回の旅の目的・リセウ大劇場でのオペラ「蝶々夫人」。期待以上の素晴らしい公演だったとのこと。

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(7月20日、土曜日、晴)

ホテルのフロントはどうやら4人のローテーションらしい。その内の一人が何と40代の日本人女性。彼女はこの街に来て10年と言っていたが、バルセロナ事情に関して細かいニュアンスの会話が出来てとても参考になった。彼女いわく、バルセロナは凶暴な犯罪は少ないけれど、観光客の泥棒被害(スリや引ったくり)が頻発しているのでくれぐれもご注意とのこと。過去に一度も海外でこの手の被害に会った経験のないことが自慢の私だから、バルセロナで記録が途絶えては大変だ。妻と共に改めて注意を喚起したのでした。

さて今日こそサグラダ・ファミリア聖堂を見学しなくてはならない。9時ころに地下鉄でサグラダ・ファミリア聖堂に着いてみると、聖堂の周りの人の列はとても長くて、昨日とあまり変わらないように見える。並んで待つのは苦痛だが、でも見学するとしたら「今しかないでしょう!」。待つこと1時間。やっとチケットが買えました。係員に「展望台に上がるエレヴェーター券はどうする?」と聞かれたが、2時間半も後の時刻指定なのでこれは諦めることにした。

アントニ・ガウディ(1852~1926)の設計で建設が始まってもう130年の歳月が経過しているが未完成、作業はまだ続いている。スペイン内乱でガウディの設計図は焼失してしまっているはずだから、その復元作業も大変なのではと想像する。予想以上に内部は整備されていた。果して42年前はどの程度、完成していたのだろうかとふと思う。聖堂内は驚異的な高さを誇り、現代的なデザインの内部空間には特徴的な柱が多く並ぶ。ステンド・グラスを通して様々な色彩の光が溢れていた。聖堂内の椅子に座ってかなり長い時間、この空間を楽しみながらモデルニスム建築家の中でのガウディの特別な才能を実感したのだった。(下写真5枚)

 

 

観光客のマナーでとても気になったことがある。聖堂内で帽子を脱がないご婦人が何人もいたこと。残念なことにキリスト教とは無縁と思われる東洋人(日本人も含め)ばかりなのである。よく見ると彼女たちは堂内の写真を撮るのに夢中で、ここが教会であることなど全くお忘れのようだった。

次の目的地、カタルーニャ美術館に地下鉄で向かう。その車内で怪しい女性に出会った。混雑して奥に行けないので、扉近くに立っていた私たちの横にいたその女性は自分のバッグで手を隠すようにしていて、動きが不自然なのだ。私は彼女の動きをジッと凝視し妻に注意を促した。妻もその変な動きに気がついたようだ。彼女は次の駅であわてて降りていったが、私のバッグを見るとファスナーが半分くらい開けられていた。危ないことに妻に注意していて、私も狙われていたらしい。幸い二人とも被害がなくて良かったけれど。全く油断は禁物である。

最寄駅のエスパーニャで降りると大通りの彼方、モンジュイックの丘の上に大きな美術館の建物が見えた。あんな上まで歩いて昇らなくてはいけないのかと少し気分が落ち込んだが、嬉しいことに階段の両サイドにエスカレーターが設置されていて、何機も乗り継げば美術館の入口付近まで楽に辿り着ける仕掛け。これは本当に助かりました。

正面玄関を入ると1Fの左側がロマネスク美術、右側にゴシック美術。2Fは主に現代美術の展示室になっている。中ではロマネスク美術が圧倒的な素晴らしさ!多くの板絵やピレネー山脈にある色々な聖堂から移設された壁画は、実に力強く逞しい表現で、絵画の源流を観る思いだった。展示方法がとても自然で違和感がないのにも感心させられる。2Fではアントニ・タピエスの企画展が開催されていた。彼はやはりバルセロナを代表する芸術家なのだ。

美術館内のレストランでビール付のランチを摂ったあと、ミュージアム・ショップを覗いてみた。絵葉書を何枚か買ったあと思いがけないものを見つけた。イタリア、ルネッサンス期の画家ドメニコ・ギルランダイオ(1449~1494)の美しい婦人像をデザインした小さな鏡である。この絵はかつてマドリードにあるテッセン・ボルネミッサ美術館で観た「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」で、その美しさに衝撃を受けたのだが、そのデザインが何故ここに?と思った。多分、カタルーニャ美術館の所蔵品にはテッセン・ボルネミッサからの寄贈が多くあるからではないかしら?

カタルーニャ美術館から緩やかな坂を15分ほど昇り降りしたところに白い美しい建物のミロ美術館がある。1975年に開館されたとのこと。ジョアン・ミロ(1893~1983)もバルセロナ生まれの画家である。お馴染みの鮮やかな色彩と面白いデフォルメされた形状の、生命感に溢れた作品がズラリと展示されていると壮観!彫刻、タペストリー、版画、ポスターの展示作品も多かった。あまり観る機会のない初期のシュール・レアリズム時代の作品も何点かあって興味深い。彼の作品を見ていると正にカタルーニャという土地が産んだ芸術家であることを強く意識した。ミロは後半生をマヨルカ島で過ごし、そこで世を去ってはいるのだが。

ミロ美術館のすぐ近くにフニクラ(ケーブルカー)のパルク・モンジュイック駅があって、それを利用すれば街の中心部に降りられるはずだ。このフニクラは僅かな乗車時間だが、とても可愛い車輛で楽しめた。地下鉄の回数券で乗車できるのだが、地下鉄パラ・レル駅に直結していて乗り継ぎができる便利なもの。回数券もそのままで利用できるのが嬉しい。

地下鉄リセウ駅に戻って市場でワインを探そうと思う。今日も大変な人出のサン・ジュゼップ市場内を周って見たがやはりワイン・ショップが見当たらない。妻がバナナを買った果物屋の親父に聞いてみると、市場を外に出た横の通りだと言う。そこでやっと専門店を見つけました。店員のアドヴァイスを受けてリオハ産のDOC赤ワイン3本を選んだ。合計55€だからそれほど高くはない。

今夜のリセウ大劇場でのオペラ「蝶々夫人」は夜、8時の開演。我が家のプリンターで印刷したチケットを提示すると入り口で係員がQRコードを読みとらせて、本当にそのまま入場できてしまった。予約した席は平土間、前から2列目、少し右寄りという舞台の至近距離だったのでオペラ・グラスの必要もなかった(下写真)。(チケット代は一人177€)

当夜の主なキャストはPatricia Racette(蝶々さん),Marie Nicole Lemieux(スズキ), Stefano Secco(ピンカートン), Fabio Capitanucci(シャープレス),Francisco Vas(ゴロー),指揮はDaniele Callegari, 演出がMoshe Leiser & Patrice  Caurier。この公演はロンドンのロイヤル・オペラ・コヴェントガーデンとの共同プロダクションである。

パフォーマンスは期待以上の素晴らしさ。歌手陣ではシャープレスのバリトンが少し深みに欠ける声で唯一の不満。ピンカートンを説得するには貫禄不足と感じたけれど、蝶々さん、スズキ、ピンカートン、ゴローはとても良かった。ヒロインのパトリシア・ラセッテはスピントの利いた声で聴かせる。ピンカートン役のステファーノ・セッコというテノールも初めて聴く人だったが、ホセ・カレーラスそっくりの声と歌い方!これから日本でも有名になるのではないかしら?

このオペラの海外での演出は、日本人が観ると必ずどこかに違和感を覚えるものだが、当夜の演出は狂気の蝶々さんという点に焦点を当てたもので実に面白かった。最初の結婚の場面から華やいだ気分がなく、最後の悲劇を暗示しているかのよう。第1幕の愛の2重唱のあと、ピンカートンの前で蝶々さんは自ら帯を解いて床に横たわる。まるで彼女が殉教者のように感じさせる印象的なシーンだ。スズキは静かに蝶々さんを見守って、能面を被っているように無表情。花の2重唱も幸せの高揚感はなく、後半になるにつれて蝶々さんは俗物ピンカートンに恋焦がれる狂女の雰囲気が濃くなっていく。全体に簡素な舞台だったが、何枚もある大きな襖を開け閉めして、うまく外の景色の変化で季節感を表現していたのも印象に残る。

特筆すべきはオーケストラ演奏の充実ぶりだろう。最初の一音から雄弁な音楽を奏で、流麗なプッチーニ節に心から酔わされました。指揮者ダニエル・カレガーリは名前もキャリアも全く知らなかったけれど、オペラ演奏に精通した人だと感心した。この日以来、リセウ大劇場は友人に勧めたい歌劇場になりました。終演後、劇場を出てからオペラの余韻を楽しむ間もなく歩いて1分でもうホテル。こんなことも初めての経験だった。

                              (7月20日の歩行数13075歩)

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