般若理論

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パラミタ・ハンニャ

2017-07-16 08:00:13 | 哲学、物理理論
2017/05/27
般若波羅蜜多という言葉があります。サンスクリット語を漢字に当て字したもののようです。
パラミタ・ハンニャ。という詩句がサンスクリット経典に出てくるようですが。般若波羅蜜多の原語であろうと思われます。
釈迦が最も好んで使った。と言われる詩句が。
己を陽炎泡沫の如きもの、と思う者には、既に知恵がある。
己を陽炎泡沫の如きもの、と知恵によりて見る者は自らの苦悩を癒す。というものだったようです。
ソクラテスの無知の知、自分は無知であるとの自覚が知恵の始まりである。との言葉や。
ニュートンの、自分が知り得た真理(物理の法則性)は砂浜の一握りの砂にもならない、海の彼方には、無限の真理が眠っている。
などの言葉にも繋がっている。知恵の原理、原典、と言うべき言葉であろうし。
この パラミタ、ハンニャが。釈迦の理法、とか縁起の理法、として、誤解、曲解、と共に伝えられている、釈迦の考え方であり。
釈迦の哲学。である。
ハンニャ、悟るための知恵、とされ。また。盤若糖、と言えば。知恵の水=酒 とも言われ。盤若の面、と言えば鬼の顔、ともなる
知恵とは無縁の西洋形而上学的、的な定義、とか真理、など、を無視して、ハンニャ、を纏めると。
ハンニャ、とは、世界の在り方、起こり方と合致する、考え方。すなはち、「理法」である。
そしてそれは、人の心、とは相容れない、鬼の形相をしている。心を肯定する一般の知恵、知識や数学が導く答え。神の教えとされる
形而上学の、定義、などとは一致しない、むしろ逆、を答えとするような、考え方、となる。心の逆が、ハンニャ、とも言える。
パラミタ、とは。
般若波羅蜜多経、の原典訳には、知恵の完成の章、とあり、パラミタ、とは。ハンニャを体得するための、行動、修行、の完成、つまり
理法の体得=悟り、である
釈迦の理法とは何か。大乗経典には、何々を縁として何々が起こる。とバラモンという。世界の歴史の何が、唯一、圧倒的知能を階級、
として抱えていた。古代インドで、目覚めた人と称された男の考え方が、小学生や、この世は神が作った。などの宗教思想にとらわれた。
西洋思想の考え方とおなじ、因果律、などであるはずがないのである。
唯一縁起の理法の解説を試みていると思えたのが、盤若心経、の一節であった。
盤若心経のまえに、教えてGooに老子に対する質問と、意図は別であるが、人間は何でできているか?との質問があり。惚けを確認するためか、回答を試みた。

回答者: hannya-gl 回答日時:2017/06/07 22:27
荘子が、道教、という宗教を作った張本人なのかどうか、道教、と言うと、老荘思想とも、言われるように。
老子をを教祖に祭り上げた、道教、の始祖のひとりが、荘子、と見られているようです。
そして、道教、と言うと、気功、や、仙術、などのカルト的思想、にも結びついており。
このカテでの質問も、そちらを念頭に置いた質問と思えるものもある、ようです。
莊子の書に、「莫逆の友」と言われるものがあるようです。
集った、四人の男の一人が。「生を頭、死を尻、と捉えている者がいたら、友となれるのだが。」というと、互いに、笑って頷き、生涯の友となった。というような話です。
生を頭、死を尻、つまり。生=死 生と死は同じものの両面、一つのものの表裏、である。と考えていとなるるなら、
知恵=道理(この世界の在り方、起こり方)を理解した、信ずべき相手である。そんなところでしょう。
生=死 とは、「道は道にして、常の道にあらず。名は名にして常の名にあらず。」の「老子」という書の、
第一章、道=道 道=常でない道。道=道 は、道ー道=0であり、老子の思想、老子の数学、では、総ての存在在、一(いっ)であり、ゼロは存在しない。道-道、とか、善=善、などは存在にならない。
世界を世界として在らせている、道(トウ、タオ)は(常でない道)と一体でなければ、一(いっ)としての存在にはならない。つまり、道✕常でない道=一(いっ)
すなはち、常でない道=1/道  道✕1/道=1  であり。
第二章の  人々は善は善であると考え、善が悪であることを知らない。
      美は美であると考え美が醜で在ることを知らない。
    は 善✕(1/善)=1 が存在となり、この善の逆数 (1/善) が悪と名付けられ     る。と一章の説明になっているのです。

一章の 無を万物の祖に名付け、有を天地の母になずく。
    もつて無はその檄を現さん欲し、有はその矯を誇示せんとす。
言葉の意味を詮索特定するまでもなく、檄(げき)とは、能力、方向性の意味であり
矯は姿形、の意味になのです。
と考えると、老子の考え方は、古代ンドの釈迦と全く同じと言えるような考え方なのです。老子は 無=有 無✕有=一(いっ)なる世界と言い
  釈迦は 縁=起 縁✕起=次の縁起 と言っています。
釈迦も老子も、世界は空間(形あるもの)と形あるものと一体の形あるものに変化を起こす実体のない、能力、方向性、によって、変化を起こし続けている。つまり現代人が認識する、時間、が起き続けている。
空間=時間 空間✕時間=世界=1 =一定 と考えているのです。
私はかって、釈迦を知り、古代中国に釈迦と同じ考え方をしていると思える、老子が、かって理解出来た者が一人もいないと言われる、難解な哲学、との評価を見とき、老子は
空間=時間 空間✕時間= 一定 という事を言っている筈だと直感しました。

老荘思想では道を、、、と定義しています。? かって理解できた者が一人もいない、とは
定義によって真理という妄想を作り続ける、西洋思想、またそれにかぶれた現代日本人には、なのです。東洋には、釈迦や老子を理解できていた、と思える。名もない賢者がいくらでもいたはずなのです。

2017/07/14
糖尿で検査入院していたら、肺癌を見つけられ、摘出手術を受け。リンパ節への転移が見られる、とかで、今日は、二度目の抗癌剤治療の4日目である、
一回目は、これで翌日退院であったが。食欲がなくなり、負荷が大きい、やめる事を含めて、量を減らすか、組み合わせを変えるか。考えましょう。という事になり。今日に至った。
昨日、所要で外出し、ついでに帰宅し、入退院のトバッチリで、死んでしまった、メダカのボトル水槽をそのままにしていたら、二週間後、小メダカ、数匹が孵化していた。他に、数匹のミナミ沼エピ、と一匹のヤマトヌマエビが生き延びていた。
帰宅し、彼らに餌と水の補給し、ついでに、ネットには繋げない。パソコンを持ってきた。
死ぬ準備、でもないが。退院したら。自分の事、心の文章、思惑の表現=知恵のない文章は書かない主義で、あったが。これが難しい、と心の評価が入ってしまうが、ブログに貼り付ける予定としよう。

インドで釈迦の哲学、としての仏教、が滅んだのは、ラーマーヤナの完成=ヒンズー教、の成立。であるなら、五世紀頃となろうが、実際には、大乗仏教の成立、いや、私はこのように聞いた。として始まる初期経典の成立、編纂、からして、誤解、曲解、が広まり、それを正そう、本当の釈迦の思想を伝えよう。とするのが、初期仏教会義であった。
知恵は人のと、馬鹿なのか、犯罪なのか、それとも、それで金儲けするだけ利口なのか。の思惑愛好家によって低められ、心の思想、神の宗教に転化してゆく。
仏教の誤解曲解は、釈迦の考え方が、老子とおなじ、縁=起 縁✕起=1  有=無 無✕有=1
すなはち、空間=時間 空間✕時間=1(いつ )、であり。私が「般若方程式」と名付けた、空間=時間=空間✕時間=1
という考え、理法、であるなら。
釈迦の思想、言葉に対する日本人の仏教の言葉はほとんど誤解曲解である。
ブッ、仏、とは。悟りに導くもの、悟り、が、起、であり、導くものが、縁、である。
仏教とは、神仏を奉じるのではなく、起、が悟りとなる、縁を求めての修行、体験、である。
縁には2つある、一つは外界との関わり、であり、もう一つは、自己の内側に目覚める知恵である、大乗で言う、観世音菩薩、観自在菩薩
であろうし。ボ~デイン、サツトバ、(菩薩)、とは、悟りを求める者、人、の事である。
般若方程式、という名の由来であった、いわゆる、誰でも聞き、誤解、曲解のまま、有り難いお経、として唱えている、般若心経、を
般若理論、パラミタ・ハンニャに照らして解釈してみよう。

2017/o7/16
昨日朝食が喉を通った、シャックリも止まった、という事で。即退院になった。気分が悪いのは私だけ。エビもメダカも生きていた。
昨日までは小便が近く、夜中何回も起き出し、ていたが。昨夜は一度しか起きなかった。五時間ばかり寝れた気がする。
そして朝目が覚めたら、八時前日が登っていた。
時に気づく前に、気象予報士より、梅雨明けを知っている。クマゼミ、が鳴いている事に気づいた。子供が、夏だ、と感じる日であろう。

07/22
般若心経、とは。奇異に感じる詩題、経題、経題とは思いませんか。
般若、は、悟るための、知恵、と解され。一般の知恵とは分離した、老子が言う、明(ミン:道を知る知恵、能力)と同義でしょう。
それは心の対義であり、般若は、心、側から見れば、鬼、であり、鬼の顔、に見える。
鬼。自分を苦しめるものが、自分を強め、導くもの、仏、となる。鬼 = 仏 鬼✕仏 =一 なのです。
私は中学一年の時、知恵 = 心 知恵✕心 = 一定 
知恵と心は同じものであり、反対のものであり。知恵を大きくしたければ、心を小さくしなければならない。愛だの幸せだの、心を大切になどと教える、学校教育、西洋僧教育、は間違っている。と思いました。
般若心経、とは、知恵の心の経、と言っている、般若の意味が解っていないのでは。と思えるのです。
いつかそう名付けられたのか。玄奘が持ち帰えつた原典では、般若波羅蜜多経、だつた筈です

知恵の完成の章、と訳されている、般若心経は、般若経という長大な、般若経から抜粋し繋ぎ合わせた、経典を、276文字の漢字に当て、玄奘が中国に持ち帰ったもの、のようです。、般若心経として日本にまで広まった経典は、思想も著者もバラバラな文章の寄せ集めなのです。

摩訶?般若波羅蜜多経 サンスクリット経典の日本語への訳書によると・知恵の完成の章、となっていた、摩訶と度一切苦厄は、、心ゆえの、飾り文句、他所から持ってきた言葉であろう。しかしそのことによって、般若波羅蜜多と度一切苦厄が一体となり。悟ると、超能力が身につく。
という、誤解妄想が起きている。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時正見五蘊皆空 度一切苦厄

釈迦ではなく、観自在菩薩である。つまりこの経典は仏教ではない、と宣言している。

悟りの内容は、五蘊皆空、。色(もの、を意味する言葉の当て字であろう)も、受、想、行、識、という精神活動も、皆、空、である。と言っている。

これはいわゆる西洋科学、が物質、も人間精神ものみなエネルギーである。と神の概念をエネルギーという、名=言葉に置き換えているのに等しく、何の根拠も示さず。空という言葉、= 概念 を持ち出しているのです。

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
諸法空相  不増不減 不垢不浄 不生不滅

前段の文章とは、別人の理であり。舎利子、とは、釈迦の弟子、シャーリプトラのことであり、仏教であり。縁起の理法、と言われる、釈迦の考え方の説明解釈になっている。般若波羅蜜多経のなかでは、別品、別格、の部分。となっています。
この世界は、色(かたちあるもの)と空(実体のないもの)の2つのから構成されている。その在り方は
色=空 空=色
両者が一体となって、事象単位が起きている
色✕空= 諸法 =新たに生まれる事滅することなく、 増える事も減ることもなく、善悪、美醜、もない。



回答者: hannya-gl 回答日時:2017/07/27 22:58

雪山偈、というのがあります。
妻子を連れて、修行の旅をしていた、雪山童子。前世の釈迦と言われますが、前世とは、修行者となる前の釈迦、皇太子のの頃、の意味もあります。
山中で鬼に出会った。鬼は 諸行無常、(常なるものは無い、世界は変化してゆく過程として、今ある、のみ と詠った。
感動した童子が、次も教えてくれ。と頼むと
鬼は、おまえの妻を食わせてくれるなら、教えてやる。 と言った。 童子が承知すると。鬼は童子の妻を食った後。
是生滅法(法を滅するのが生である)と詠った。
童子が、その先も教えてくれ、と頼むと。鬼はお前の息子を食わせるなら。教えてやる。と言った。
承知をすると。鬼は子供を食った後。
生滅滅為 (生を滅せ、生に駆り立てる、心を滅せ)と詠った。
その先も教えてくれ。と童子が頼むと。鬼はお前を食わせるなら教えてやる。と言った。
承知をすると。鬼は
滅為有楽(苦の根源が消滅した故の、静けさ、がある)。と詠った。
童子は、急ぎ大岩に駆け上り。
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 滅為有楽 と4つの言葉を書き記すと、導くもの(仏)を刻むと、鬼の餌食になるべく、岩山から、身を投げた。
(鬼は神が姿を変えて、童子を試したいたのであった。と言うようなオチになっているが)。(少し変えると)
頭から、墜落し、大地に激突する。と思った瞬間、目が覚めた。
釈迦族の皇太子、ゴ-タマ、は夢を見ていたのであった。体を起こし、天を仰いだ後、うなづき。やっぱり、妻子と共には、無理なのだ。と呟き。妻子も、次期国王の地位も、城も捨て。物乞いをして礼を言わない乞食、として修行をしよう。と決心します。行かないで下さいと哀願する妻に、涙を流しながら、魔女(心に働きかける者)よ去ってくれ。と叫び。城を出、二度と故郷には足を踏み入れなかった。と言われます。
三世紀の頃が。くらまじゅう、が仏教の真髄として、色即是空、という言葉を。形あるものは移ろいゆく空しいものである。と伝えた。これが日本に伝わり
平家物語の
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色 
盛者必衰の理を現す、奢れる者の久しからず ただ春の夜の夢の如し。・・が、の日本人の無常観、となったようです。
しかしおかしいですよね。ここでの諸行無常は、人間の一切は苦であると知恵によりてみる者は自らの苦悩を癒やす。いわゆる、一切皆苦、のイメージであり。沙羅双樹の花の色が、諸行無常の理でしょう。
つまり祇園精舎の鐘の音、一切行苦の響きあり、沙羅双樹の花の色、諸行無常 のことわりを現す。と仏教なら、なるべきところです。
そして、特出すべきは、七世紀に、ヒンズー教の聖典でもある、ラーマーヤナ。の物語の模倣である。孫悟空の物語とともに広まった、般若心経という、経典の中の、色即是空、が色=空 色✕空=一定つまり、縁=起 縁✕起=諸法
と縁起の理法を解説している事です。
どこまでの思想が仏教と言えるのか。世界の仏教界が決めた、法印、と言うのがあるようです。
諸行無常、諸相無我、の2つに、一切行苦、涅槃寂静、のどちらかを、教義にかかげているなら、仏教(釈迦の思想、と認める)
これを三法印と言い、両方掲げているなら四法印、としているようです。
諸相無我、とは、西洋思想と言われる、デカルトの合理主義。の我思う故に我あり。ではなく、我思うされど、我なし。心なる、実体は存在しない。神はいない。が、仏教なのです。
古代インドの影響を受けているとも思える。ヘラクレイトスの万物は流転する。を古典弁証法とし。真理とか神とか、定義によって人間が作った、変化しないものを作ろうとする形而上学の方向に、東洋に二千年以上遅れて、無常、に気づいたのが、ドイツ弁証法です。それ以来ドイツ人は頭が良い。とい言われ。実際に西洋諸国のなかでは、突出した、知能民族となった。ようです。第二次世界大戦以降、ドイツは敗れたがは。戦後世界の半数近くの国、半数以上の人々が、社会主義国家、という神を認めない国に属した。それから五十年。今や商業主義、帝国主義、反弁証法思想、のユダヤ思想が世界を席巻し世界人口の八割が何らかの神、を信じている。と言われ
。そそれを肯定する理屈をとなえているよ思えます。無常、ではあります。

2017/07/29
先日。無常、について、馬鹿にでも、分るように説明を。との質問に。ちと長文を書き、見直さず、投稿したら。ひどい文章になっていたようである。言い訳は止めて、般若波羅蜜多経に戻ろう。

舎利子よ、と釈迦が理法を解いたと見れる、節に続けてあるのが。
また作者、考え方が違う、故空中、無色、無受想行識、無眼匂鼻舌、、無・無・無と続く一節です。これが仏教経典ではない事に気づかない、西洋人が、仏教ニヒリズム。と評したとも見られる、部分でもあるでしょう。原典訳には、空にもも2つある、とは書いてなかった、ように思う。
最初が五蘊皆空、すべの本質は空である。という。次は総て色、形あるの、と実体の無いものが、一体となって、すべての単位事象が存在している。たとえば、人間は、肉体と精神か一体となって、個人という存在になる。と言っている。そして次には、肉体も精神も、無、である。と言っている。

2017/08/05
退院して、戻ってきた。入院中に、ちょっと書いた、ワード文章をコピーしたところである。前は、一太郎、を使っていたが、この中古パソコンには、ワード、しかはいっていない。英語仕様で日本語向きではない感がする。
無、とは何か。
舎利子以下の文章は、縁起の理法の説明をしている、多分に、訳者、玄奘三蔵の考え方が反映している。とすれば、玄奘は、釈迦の考え方が、老子の
、無=有 無✕有=道 という考え方、現代語に当てはめると。無と縁は実体のない、変化を起こす、能力方向性、つまり「時間」であり。有、と起。が形あるもの、実体あるもの、
存在する、物、つまり「空間」と考えている。
空間-=時間 空間✕時間=一(イツ)と考えている。ことに気づいた。
知恵を求めて、苦難の旅を重ね、インドに着いた時、仏教(釈迦の思想は既に、ヒンズー教に吸収される形で滅んでいた。あったのは、ヒンずー教えのなかの、六番目?の原祖神、の転身、としての、蓮の台座にすわった、神様、仏様、なのです。
玄奘はそのことに気づき、老子に戻り、空を老子の「無」に置き換えた・
故空中、無色、無受想行色、無眼匂鼻舌心意、、、は、すべては、変化を起こさせる、実体のない、時間である。なら、仏教ニヒリズム、などとはならない。
ここまで。であるその後は、心の宗教の表現になっている。
唯一、面白い、知恵、を感じたのは。三世諸仏、という表現である。過去、現代、未来の仏達が、今有る、という認識。物理学が言うように、ビッグ・バン、に始まり。宇宙が拡散している。なら、速度と時間は同じものである。ビッグ、バン、の起点方向の銀河は、過去を見ており、逆方向の銀河は未来を見ている。三世世界は今在っている。とも考えられる。
最後は、世界で最も美しい旋律の詩、との評価、もある。と書いてあった。
ガーテ ガーテ ハラーガテ ハラー バンガーテー ボーディン スハーハー。だったか。意味不明とも言われる当て字の漢字は、ワードでは出てこない。

往ける者 往けるもの 涅槃に往ける者、涅槃に達する者、菩薩に感謝。 もっとお布施を? かな。
密教、は曼荼羅にあるように、大日如来を中心にとした。秘密仏教、という言葉が、ヒンズー教、の当て字かどうか。空海の真言宗が仏教とは認められていない。事を皆知っていたようであるが、最近の若者や外国人は仏教だと思っているようです。
私も三十年以上前、色=空 色✕空=諸相= 一定 という文章を見て、釈迦は私と同じ考え方をしている。と認識し。
空間=時間=空間✕時間=一定 という式に。般若方程式。となずけ、それを理法とした。考え方を、と般若理論、と名付けました。老子、を知る十年ばかり前の事です。
2017/08/07
教えてgoo
ニーチェについての質問にたいする回答

最もうつろなクルミでさえ、割られるに際して、ポキツという空ろな音を立てる(人は自分の、に、死、にもったいをつける)
と、ツァトウストラは語った。随分久しぶり、な感じですが、なに、かもったい、をつけるような事でもありましたか。
ニーチェが日本に来て仏教を学ぶ、という事はありませせん、(釈迦の哲学、としての仏教、は日本にも、世界にも、すでにありません。)あなたの、仏、はヒンずー教のなかの、蓮の台座の座った原祖心の六番目生まれ変わり、としての、ブッダ、の認識です。
ニーチェは、イタリアの東洋思想の保管書みたいなところに勤務し。そこで、東洋思想を独学し、西洋思想の低さに気づいた。という事でしょうか。ツアらトゥストラ。という名は、ゾロアスター教の教祖の名ですが。それは隠れみの、の隠れ蓑。の感があります。
ニーチェの書は本人の死後、五十年ばかりして。姪が原稿を出版し、広まったとか言われますが。神を否定する、心を否定する思想は、当人が生きていては、受け入れられない、意味もありそうです。
ニーチェの言葉は、箴言的、といわれますが。ニーチェを読んた時、中学時代に読んだ、論語、に似ている。と思いました。箴言的、なのです。言っている事は合っている、説得力、もある。しかし。考え方、示されていない。つまり老子の言う、知識は帰って知をあいまいなものにする。ニーチェ、も、老子、も人の知識、を自分の知恵と宣伝している。自分で考えてはいないのです。
前にも書きましたが。ニーチェの箴言的言葉は、発句教などの古い仏教経典のなかに、殆どあるのです。また、狂ったように、繰り返す、愛は憎悪である。との言葉は。老子、の言葉ですが。愛=憎悪 愛✕憎悪=一(いっ、一つの心)
という考え方は解っていない。考え方が解らねば、「我は心を無味する者、ツァラトゥストラ」である。と西洋人が心を越えようとしても。脳梅、によらずとも、いずれ発狂するのです。
ツァラトゥストラは何を超克しようとしたのか。最初にあるように、東洋的な自己超克、精神の過程です。
人間の精神が、重き荷を背負い、砂漠に向かう、ラクタ゛になり。
砂漠のなかで、牙を向き咆哮する獅子になり。
獅子が、あるものをあるがままに見、あるがままに受け入れる、子供、になる。それが人間精神の超克の過程だと言っています。

2017/08/16
知恵=心=知恵✕心=1 (一定)
中学一年の時、図書室で、何の本だったか、に眼を通しました。大きな部屋一杯に真空管が配列された、コンピュターの写真と。18世紀に一生をかけて。円周率の小数点以下、270
桁まで算出した数学者がいたが、このコンピューターは一秒間で、小数点以下、2075桁まで計算した。との記事を見て。いずれ、記憶知識、や計算能力は。学者、先生を100人どころか、万人束にしても、コンピューターには敵わないものとなる。そういう勉強は、脳細胞の無駄遣いであろう。と思いました。
それから半世紀を超えた、現在。知恵の道具、となる筈のコンピューターは心の道具、となり。ゲーム、や金儲けの道具にしかなっていない。それどころか、人口知能には、敵わない。と知恵を見失い。諦めて。ますます、心に埋没し、知恵が消滅した社会・の様相
を呈しているように見える。
知恵、とは何か。考えられることを羅列すると。
1 生命体に付随し、その行動と一体なものである。かつ、能力、方向性、としての行動が個体の生き残りや種族維持という目的に適っている。なら、その、能力行動を起こす能力が知恵と言われている。
2017/09/01
3:日前に最後(4回目)の抗がん剤治療を終え、退院した。二月で10キロ以上痩せた。
イワシの群れが、マグロやカツオの群れに襲われ、全滅の危機になると。一部は、サメの腹に、取りつき。逃げのびたり。鶏が、体内にカルシュウムが不足すると、卵の殻を突き。雨が多く、塩基類が、流される、熱帯の動物は、洞穴の奥などの、塩基類を含む土を食べに集まる、など。人間には、理解困難な能力を、人間以外の、生き物、は、知恵と呼ばれる形で備えている。微生物学者には、最も進化した能力を持っているのは、大腸菌、である。と言う者もいた。人類はホモ・サピエンス(賢い猿)とは言えないのではないのか、と「ホモールデンス」という本が売れた時期もありました。
ホモルーテ゛ンス(愚かな猿)が正しいかどうか。答えは、正しい=間違い なのであり。正解、が出る事はない。賢い=愚か なのです。基本は、山が崩れると谷が埋まる、得るものと失うもの、常に等しい。
諸法空想、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
新たに生まれる事も、正しい、間違い、神聖、不浄、などはなく、全体は増える事も、減る事もない。
変化するもの=変化を起こす方向性=変化するもの✕変化を起こす能力=一定   つまり、空間=時間=空間✕時間=1=一定 と私が気づく2500前に古代インドの釈迦と同じ頃の中国の「老子」、が気付いているのです。You Tobeに老子の正体は、インドから来た、ヨーガの修験者であった、というような話があったが。信憑性がありそうな話である。
信憑性がある
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