平和へのまなざし

東京大空襲の最大の被災地の一つ深川に住み、小さな子供を育てる男性の視点で綴る写真つき平和へのメッセージ。

原爆ドームにて

2007年08月22日 | Weblog
広島に行った。
原爆ドームを見た。

原爆ドームをバックに、ピースサインの笑顔で写真を撮る人たち。

こわいね、と言いながらお茶をごくごく飲んでいる人たち。

僕はここであったことを想像すると、ここにいることすら辛くなる。
東京から広島に行ったが、シャッターを切ることは出来なかった。
いることが辛いながらも、そこにいてその場を感じるようにした。
それが僕に出来る精一杯のことだった。

広島に本社がある中国新聞社のカメラマンだった松重美人さん。
直後の写真は資料館にも展示されている。
松重さんは、その惨景にしばらくの間シャッターが切れなかったと言っている。

知人がアウシュビッツが観光地化してしまっているので、ユダヤの強制収容所を
見るなら、別の場所が良いと言っていた。

原爆ドームも観光地にしてはいけない。

罪なき、多くの市民の悲しい墓標、それが原爆ドームである。








今も感じる東京大空襲の爪跡

2007年08月21日 | Weblog
東京全域の無差別爆撃が行われた1945年の東京大空襲。
軍需施設だけではなく、文字通り無差別攻撃だった。

推定死者数は10万人を超えた。

普通の爆弾と違い、焼夷弾が使用された。
焼夷弾というのは、空中で爆弾が無数に分裂し、火の粉を吹いて落ちてくるもの。
油脂焼夷弾と言って、油なので地面についた瞬間、火はさらに燃え盛る。

どこに逃げても分裂した焼夷弾が空から落ちて、地面は火で燃えている。
広島もそうだったが、みんな水を求めて川へ川へと押し寄せる。
隅田川は川に浮かんだ人を取っても取っても、どこからともなく浮かんできた
そうだ。警察や気力と体力の残った人たちは、流された人が東京湾に出て、
行方知れずにならないよう、永代橋の上から必死に救ったそうだ。

私の家の前にも川がある。

川の向こうは全焼した地域。川のこちらは奇跡的に燃えなかった地域。
対岸にある川傍の草木は切っても切っても尋常ではないスピードで生え、
成長してくる。そしてその葉の大きさも尋常ではない。

眼をそむけてはいけない。
ここにもまだ戦争の爪跡が残されている。
悲しい現実である。

千鳥が淵墓地

2007年08月19日 | Weblog
戦争に行った人だけでなく、戦争で犠牲になった人たち。
家族に看取られることもなく、忘れ去れた人たち。

名前があるのに、確かめられることも無く、
とても小さな場所に数十万人の遺骨が納められている場所。
それが千鳥が淵。

そんな思いがひしひしと伝わってくる気がする。
靖国や原爆ドームのように人が多く来る場所でない
その静寂さが、より一層、私の胸を打つ。

彼らはどんな気持ちで戦争時代を生き、そして死に、ここにいるのだろう。
考えると、いたたまれない気持ちと、理由如何ではなく戦争はあってはならない
と改めて感じる。

そして、今平和と繁栄を享受し、先人や他人のことに思いをはせないことが
だんだん多くなってはいないだろうか。

平和は自然にあるものではない。
そこに不断の努力が必要なのだと千鳥が淵で思う。


巣鴨プリズン跡

2007年08月18日 | Weblog
今の池袋中央公園。
サンシャイン60の脇にある公園。

ここは、かつて巣鴨プリズンと呼ばれ、第二次世界大戦の戦犯が
収容され、処刑された場所。

今は、ただポツンと石碑が建っている。

酷暑が続く中、平和の象徴であるハトが公園の中央で水浴びを盛んにしていた。

平和が当たり前となってはいるものの、公園の砂の山を崩すように、
少しづつ平和が脅かされているムードが漂う。

巣鴨プリズンにいた戦犯の人たち。
たしかに、アメリカを中心とする連合国が行った結論ありきの裁判により
裁かれたのだろう。だからといって、この裁判を否定するだけでなく、
A級戦犯まで肯定するような言論が多くなることは遺憾だ。

少なくとも自分の意思を通せば、戦争の大局を動かすことが出来た人たち。
自分の意思を通せず、死なざるを得なかった人たち。
そして、原爆、東京大空襲などジェノサイドで亡くなった無辜の人たち。
人の上に立つ人間は、その責任を自ら負うべきである。

正しい眼で、物事を捉えることが、平和には大切なこと。

ハトは何を思うのだろうか。

終戦記念日の靖国神社

2007年08月18日 | Weblog
8月15日 終戦記念日。

日本が戦争を終わった日。

戦争の是非、責任の所在、そんなものとは別に、好きでも嫌いでもなく
家族を守るために戦地に行かざるを得ない人たちはここにいた。

そんな人たちは政争、外交の具にされていることをどう思うだろうか。
そんな人たちの心を感じることが出来ない人間にはなりたくない。

そんな心を感じる人が多くいることが、平和につながるのだと改めて思う。

靖国の空を見上げて。