Baradomo日誌

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バーチャル赤ちゃんごっこ

2006-03-09 | 子どもの視線・親の気持ち
もうすぐ小学生になってしまう次女。
上の娘が2歳の頃、母親の胎内に宿った新たな生命。

私たちは当初、この新しい生命を「こぐまちゃん」と呼んで祝福した(私が家族から「くま」と呼ばれているため)。
上の娘は毎朝保育園に出かけるとき、母親のお腹から赤ん坊を受け取り、腰をかがめて手を引き、先に自動車に乗せ、シートベルトをかけてから自分の席に座る。
保育園につくと、母親のお腹に赤ん坊を戻し、「じゃあね、こぐまちゃん」と言って教室へ入った。
父が送るときは、自動車まで連れて行って何事かをささやき、玄関に戻って母親の胎内に赤ん坊を戻し、やはり一声かけて出かける。
私たち両親が「バーチャル赤ちゃんごっこ」と呼んでいた、この”朝の儀式”。
全身で喜びを表現していた娘の姿は、私たちのみならず、彼女に関わるすべての大人たちに幸せをふりまいてくれた。

娘が3歳になり、2か月が過ぎた頃、待望の妹が生まれた。
妹が病院から戻ってきた翌朝、長女となった彼女は、ベビーベッドを覗き込んで「行ってくるね!」と言うと、スタコラ車に乗り込んだ。
「いつも赤ちゃんの手を引くまねをしていたのに、しばらくできないね?」と聞くと、「何それ?知らないよ」という返事。
なぜか、「バーチャル赤ちゃんごっこ」そのものを完全に忘れてしまっている様子。

生まれる前の赤ちゃんは、触ることができない。
だから、私たち両親は、長女が「こぐまちゃん」をバーチャルな存在として認識し、「ごっこ」遊びをしているのだろう、と考えていた。
ところが長女は、母の胎内にいる「こぐまちゃん」を、肉体性は抜きに、シンプルな「存在そのもの」として認識していたらしい。
あるいはスピリチュアルな存在だったのか。
いずれにせよ、「触ったりはできないけれど、いつも一緒にいる」大切な存在。
そして、私たちが「バーチャル赤ちゃんごっこ」と呼んでいた”儀式”は、彼女にとっては「現実」そのものだったのであり、妹の「誕生」前から連続する日常の1ページでしかなかった。
だから、生まれてみれば、実体のなかったところに「こぐまちゃん」がスポンッとはまり込んだようなもので、なんの違和感もない。
違っていることは肉体の有無。
やっと会えたね、こんなにほっぺプニプニなんだ、毎朝握っていた君の手はこんなにちっちゃいけど、温かいね!初めて気が付いたよ、という感じ。

次女もまた、長女がいつも一緒にいる、という感覚を持って生まれ、育ったように思う。
ぐずっていても、長女がそばにいると泣き声のトーンが落ち着く。
保育園に通うための慣らし保育もほとんど必要なかった。
保育園では、姿は見えなくとも長女が建物のどこかにいる、という認識が、次女を安心させていた。

このため、長女が小学校に入学し、保育園に1人で通うことになると、次女は途端に毎朝さめざめと泣き始めた。
この時、次女は生まれて初めて「一人ぼっち」という感覚を実感したに違いない。

次女が落ち着くまでには2ヶ月くらいかかっただろうか。
彼女が生まれた頃の長女と同じ、ちょうど3歳になった頃のこと。

無論、妊娠中のエコー映像を毎回長女にも見せたり、いつも家族3人で胎内の「こぐまちゃん」に呼びかけていたこと、出産の晩も陣痛室まで長女を連れて入ったことなど、2人が「良い関係」を築けるよう、私たちが仕向けたことの影響は大きい。
しかし、その言葉を素直に受け入れ、信じることができた無垢な心こそ、大切なもの。
そして、二人はすでに私たち両親の想像を超えた、はるかに緊密な信頼関係を築いている。

娘達がじゃれあう姿は、当時とは比較にならないほど迫力を増しているが、周囲にふりまく幸せは相変わらず。
そんな姿を毎晩のように眺めながら、私たちは幸せを噛み締めている。


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