伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ホーカン外交

2017年11月08日 | エッセー

 プレーを終え、60年前にも祖父がアイゼンハワーとゴルフに興じた、と逸話を披露した。そうテレビは伝えた。身の毛がよだった。恐ろしく符合しているからだ。
 〈安倍晋三は今の日本の現役政治家の中で「死者を背負っている」という点で抜きん出た存在である。彼はたしかに岸信介という生々しい死者を肩に担いでいる。〉
 近著で内田 樹氏はこう綴っていた(先月刊、東洋経済新報社「街場の天皇論」から)。いかにも「生々しい」。ゴルフ外交の適否を云々しているのではない。接遇のありようまで「死者を肩に担」ぐその類似に驚き、かつそれをサラリと公言する血脈の根深さに戦いたのだ。
 内田氏はこう語る。
 〈極右の政治家の方がリベラル・左翼・知識人よりも政治的熱狂を掻き立てる能力において優越しているのは、彼らが「死者を呼び出す」ことの効果を直感的に知っているからである。靖国神社へ参拝する政治家たちは死者に対して誠心を抱いてはいない。そうではなくて、死者を呼び出すと人々が熱狂する(賛意であれ、反感であれ)ことを知っているからである。どんな手を使っても、エネルギーを喚起し、制御しえたものの「勝ち」なのである。世界中でリベラル・左翼・知識人が敗色濃厚なのは、掲げる政策が合理的で政治的に正しければ人々は必ずや支持し、信頼するはずだという前提が間違っているからである。政策的整合性を基準にして人々の政治的エネルギーは運動しているのではない。政治的エネルギーの源泉は「死者たちの国」にある。リベラル・左翼・知識人は「死者はきちんと葬式を出せばそれで片がつく」と思っている。いつまでも死人に仕事をさせるのはたぶん礼儀にはずれると思っている。極右の政治家たちはその点ではブラック企業の経営者のように仮借がない。「死者はいつまでも利用可能である」ということを政治技術として知っている。〉(上掲書より抄録)
  皮肉の利いた鋭い考究である。「政治的エネルギーの源泉は『死者たちの国』にある」とは、昨年からの西欧諸国の極右の躍進をみれば解る。ルペンをはじめ、彼らのストックフレーズは一様に「祖国」という名の「死者たちの国」である。
 昭和32年、岸信介は安保条約の改定を期してアイゼンハワーと対峙した。「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略に基づいた外交であった。今、孫である安倍晋三はどのような国家戦略のもとにトランプと対しているのだろうか。なにもストラテジーらしきものは見えない。あるのは自己目的化した対米従属だけだ。対北朝鮮というなら、隣接する韓国が対話と圧力路線との拮抗に身を捩る姿の方がよほど真摯ではないか。訪韓反対デモはその象徴だ。真っ先に干戈を交える韓国が軍事オプションを懸念する。至極真っ当なことだ。同等にただでは済まない日本が無批判にトランプに乗る。真面目な選択とはいえまい。トランプは貿易赤字に絡めて米国製武器をもっと買えという。おちゃらけなのか、核戦争の危機を真に理解しているのか、なんとも疑わしい。不如意な現実に向き合う逡巡も懊悩も察することはできない。互いに馬が合うのも納得が行く。
 ゴルフに超高級焼き肉、プレゼントは超豪華な金箔蒔絵の万年筆、首都厳戒態勢、下にも置かない「お・も・て・な・し」は蜜月にはとても見えない。大親分の提灯持ちがいいとこであろう。属国の憂き目か、まるで“幇間”外交だ。とはいえ、トップレディー外交でちゃっかり森友以来の“復権”を目論むなど抜け目はない。拉致家族との面会なぞは単なるリップサービスを出るものではなく、むしろ逆効果かもしれない。政府の無力をカムフラージュするためか、蓮池透さんが剔抉した政治利用に似た節もある。
 さて、砲艦外交は160予年前のペリー艦隊を嚆矢とし、近年の「日本は二流国家でいいのか!」と恫喝したアーミテージ・ナイレポートに至るまでアメリカの十八番である。不平等条約は夙に悪名が高いが、最初は違った。
 ペリーを迎え撃ったのは大学頭・林復斎。巧みな弁術とずば抜けた知性の持ち主であった。通商、薪水・燃料の補給、遭難民の保護の3項を強引に要求するペリーに向かってこう説き伏せた。薪水・燃料の補給と遭難民の保護は人道上の要請であり当然のことだ。燃料の件は30年前に「薪水給与令」を発布しすでに解決済みである。避難民は以前から保護しており、長崎に移送し帰国させている。これも変更の要なし。ただ通商だけは受け入れられない。今の日本に交易の必要はなく、米国の利益だけを図ることになる通商は無用である。3項を一律に論じるのは理が通らない、と突っぱねた。ペリーは歯が立たず、通商の要求を取り下げざるを得なかった。砲艦外交に些かも臆せず、幕臣はしたたかに気骨ある対応をした。刻下の追随外交に比して、なんとも鮮やかだ。
 洒落めくが、幇間と砲艦。大国ぶっても底は知れている。ただし、この宰相は「『死者を背負っている』という点で抜きん出た存在」であることは忘れてはならない。「ブラック企業の経営者のように仮借」なく「死者」をいつまでも使い回す「政治技術」を知っている。幇間の座敷芸に騙されてはなるまい。 □