伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

月がとっても青いなあ

2016年09月17日 | Weblog

 前稿の挿話を引き継ぎたい。
 夏目漱石が英語教師だった頃の逸話。
<“I love you.”を「『我、汝を愛す』などと訳してはならぬ。日本人は、そんな、いけ図々しいことは口にしない。これは、『月がとっても青いなあ』と訳すものだ」と、教えたそうだ。>
 伝聞だから言葉は正確ではなかろう。尾鰭もついているかもしれぬ。それは承知の上で、「いけ図々しい」にひどく惹かれる。130年も前だ。横風(オウフウ)なのはおそらくラヴァーに対してではあるまい。別に聞かれるわけではないのだが、世間に対してではないだろうか。世間体、世間の常識を大いに違(タガ)えるという意味合いではないのか。だから「日本人は」となっている。漱石先生は本邦の伝統文化に悖るといいたかった、そう推知したい。
 さらに無理やりな揣摩をすすめるなら、英国文化の底を垣間見ることができるのではあるまいか。
 “I”は一人称。複数形では“We”であるが、これ一つ限(キ)りだ。日本語では私・俺・僕・おいら・あたい・わし・うち・手前、自分などなど、実に多い。七つの海を支配した大帝国ゆえに、国際語として枝葉をギリギリ剪って簡略化したという事情はあっただろう。しかしそれを差っ引いても、単純この上ない。かつ相手が誰であろうとこれひとつだ。日本語の一人称が、話者と相手との関係で巧みにトポスを変え多彩に変化するのとは大いに異なる。なぜか。
 相手はひとりしかいないからだ。
 そのひとりとは神である。唯一の絶対者である神と向き合う形で全ては始まっているからだ。“God”と対するなら“I”のトポスは不変だ。いかなる高位者であろうとも“Godに向き合うI”に比するなら、神の僕(シモベ)以上の意味はもたない。常に“Godに向き合うI”からの発語なのだ。しかも日常的に“Godに向き合う”の部分が捨象され、“I”だけが残る。だから、これ一つ限りになる。
 ついでに、“You”についても愚案を重ねる。いうまでもなく二人称である。こちらも“You”一つ限り。ところが一人称には複数形があるのに、なぜ二人称は単複ともに“You”なのか。これがかねてよりの疑問であった。だが如上の愚見を踏まえると、謎は氷解する。つまり、“You”とは神だからだ。唯一の絶対者であるのだから、当然複数形はあり得ない。これがプリミティヴな成り立ちだ。複数を兼ねるのは派生の一形態だろう。
 「月がとっても青いなあ」を文字通り「ブルームーン」と採れば、満月の一種だ。しかも月に2度現れる特別な満月。数年に1度という。イディオムでは「あり得ないこと」との謂だ。まさか漱石先生が皮肉に使ったとは考えられない。応変の機知が生んだ絶妙な妙句であろう。ただただ文豪に脱帽するばかりだ。
 ずいぶん以前になつメロブームがあった時、菅原都々子の『月がとっても青いから』がよく掛かっていた。昭和30年のメガヒットだ。稿者は小学校低学年。リアルタイムで聞いた記憶はないが、当時100万枚を超えたそうだ。
   〽月がとっても青いから
    遠回りして帰ろう
     あの鈴懸の並木路は
    想い出の小径よ
    腕をやさしく組み合って
    二人っきりで サ帰ろう〽
 なんとも小粋で洒落た歌だ。知ってか知らずか、文豪と符節を合わするが如くメタファーが見事に決まっている。戦後も暫くした開放感が爽やかでもある。ところが昭和40年稿者が中3のころ、和田弘とマヒナスターズ&田代美代子の『愛して愛して愛しちゃったのよ』(作詞・作曲 浜口庫之助)がビッグヒットした。
   〽愛しちゃったのよ
     愛しちゃったのよ
     あなただけを 死ぬ程に
     ・ ・ ・ ・
    ねてもさめても ただあなただけ〽
 これには参った。聞いただけで赤面した。漱石先生なら卒倒どころか、即死したかもしれない。あけすけ、見え見え、そのまんま。“青い月”から10年で様変わりだ。なんとそれから4年で、月面着陸。灰褐色の月から見晴るかすと、地球の方が青かった。Oh my God! □

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