伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「赤猫異聞」

2012年09月05日 | エッセー

 帯のキャッチコピーを読んだ時、去年はどうだったんだろうと思案した。一年半ものあわいがあったのに、まったく考えもしなかった。
 「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」には、【災害時の避難及び解放】が定められている。

第八十三条 刑事施設の長は、地震・火災等の災害に際し、刑事施設内において避難の方法がないときは、収容者を適当な場所に護送しなければならない。
2 前項の場合において、収容者を護送する事が出来ないときは、刑事施設の長はその者を刑事施設から解放する事が出来る。尚、地震、火災等の災害に際し、収容者を避難させるに適当な場所がない場合も同様とする。
3 前項の規定により解放された者は、避難の必要がなくなった後、速やかに刑事施設又は刑事施設の長が指定した場所に出頭しなければならない。出頭しない者は逃走の罪に問われる場合がある。

 2 に注目だ。
 阪神・淡路大震災でも3.11でも施設に被害はなかった。全国の同様施設も頑丈に造られているそうだ。関東大震災では建屋、外塀が大きく壊れたが、逃走した者はひとりもいない。それどころか小菅刑務所では、受刑者が所内の負傷者を助けたり瓦礫の片付け、バラックの急造に自ら当たったそうだ。愛の典獄と慕われていた有馬四郎助所長の人徳に因るものらしい。
 本来、日本では脱獄が極端に少ない。ここ二十年間で、年三件以下だそうだ。順法意識の高さか、損得計算が確かか、なにより世間が狭いからか。
 それにしても2 だ。「一時解放する事が出来る」という定めだ。人命第一だから、当たり前といえば当たり前だ。それにしてもこうして明文規定に触れると、国家権力を凌ぐ自然の膂力に感慨深いものがある。それに相手が予測不能の自然であると、人間界に人知の及ばぬ劇が生まれる。たとえ付火であろうと、燃え広がるのは自然のなせる業だ。
 さて、その帯だ。

   江戸を最後の大火が襲う! 
  火事と囚人の解き放ちは江戸の華! 
     三人共に戻れば無罪放免、
     一人でも逃げれば、全員死罪。
  幕末から明治へ。
  激変の時をいかに生きるかを問う、最新長編時代小説
     
裏に廻ると、こうつづく。

   放火犯、 総じて火事を「赤猫」と称した
  火勢が迫る伝馬町牢屋敷から解き放ちとなった曰くつきの重罪人 ──繁松・お                         仙・七之丞。鎮火までいっときの自由を得て、命がけの意趣返しに向かう三人。信じられない怪事が待ち受けているとは、知る由もなく。
  「江戸最後の大火」は天佑か、それとも──

   浅田次郎 著 「赤猫異聞」 新潮社 先月三〇日発行

 やはりこの作家は希代のストーリテラーである。おもしろい! 息もつかせず読ませてしまう。予測通りでありつつ、意外な展開。両者が絶妙なバランスで畳み掛けてくる。よくもまあ、こんなおもしろいお話しが描けるものだ。近いところでは「降霊会の夜」をはじめ、諸作品に頻出する十八番の『モノローグ』スタイルである。
 それに氏は、当代随一の『言葉使い』。かつて述べたように、魔法を使えば「魔法使い」、猛獣を意のままに操れば「猛獣使い」という。その伝である。しかも舞台は維新を挟んだ東京。ことばはお得意の江戸前である。小気味よく、時に鋭く、テンポを刻む。
 「火事と囚人の解き放ちは江戸の華!」しかしどさくさに紛れて「曰くつきの重罪人」三人を斬って捨てよとする衆議に、牢屋同心の一人が異を唱える。実はこの人物こそが隠れた主人公なのだ。


「おのおの方に物申す。この者どもが立ち戻ってこようがこまいが、ご政道に害をなそうがなすまいが、いわんや石出様が責を問われようが問われまいが、そうした理屈はことどとく、われらが私欲、われらが保身より出ずるものでござろう。解き放ちと申すはけっしてさにあらず、神仏の慈悲をわれらが顕現せしむるところなれば、後顧の憂いなきよう斬るなどと申すは、神仏のご意志に反する悪鬼の所業にござる。お考えめされよ。さなる道理あったればこそ、解き放ちは火事にも喧嘩にもまさる江戸の華ではござらぬのか。それともおのおの方は、江戸を乗っ取った薩長に媚びへつろうて、華を捨て石を抱くおつもりか。今いちど、これにおわす御仏様にかわって物申す。どのような理屈にもまさって重きは、人の命にござる。その人の命を父子代々にわたり奪い続けた不浄役人なればこそ、この華ばかりは石に変えてはならぬ。解き放たれよ」


 「人知の及ばぬ劇」はこのようにして幕を開ける。前掲条文2 と3 が徳川の最晩年に立ち返ったかのようだ。赤猫は江戸の華だが、人の華も劣らず艶やかだ。劇中の人物は『人華』となって江戸の世をきらびやかに飾り終える。散る華あり、そして新しい世に再び咲く華も……。だが、これ以上は言えない。読書の秋にふさわしい不刊の書から愉しみを奪うわけにはいかない。
 この小説が「小説新潮」に連載開始になったのは昨年三月。ということはそれ以前から書き始めたことになる。東日本大震災の発生を考えると、盲点を突く絶妙のタイミングだったといえなくもない。
 

 「どのような理屈にもまさって重きは、人の命にござる」
 ともあれこの作家の作品は、どれもこれもやるせないほどにヒューマンだ。 □