伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

第43回大佛次郎賞

2016年12月20日 | Weblog

 浅田次郎著 短編小説集『帰郷』が今年の大佛次郎賞に選ばれた。いうまでもなく同賞は朝日新聞社主催の文学賞で、名の通り歴史系の作品に贈られる。ファンの1人として慶賀に堪えない。
 氏は受賞の知らせを受け、「これは冗談じゃないのか」と笑いがこみ上げたという。
 〈その理由は表題作を決めた時にさかのぼる。収録6作のうちどの作品名にするか、編集者と悩んだ。「金鵄のもとに」では右翼の本のようだし、「夜の遊園地」だと湊かなえさんの小説と勘違いされかねない……。残ったのは「帰郷」と「無言歌」。だが「無言歌」は赤川次郎さん、「帰郷」は大佛次郎が小説のタイトルにしていた。どちらの「次郎」に敬意を表するか迷った末、「帰郷」を採った。「それがまさか大佛次郎賞とは、思ってもみませんでした」〉(朝日のインタビューから)
 拙稿では6月に触れた。
 〈全6篇が「反戦小説」である。今時「反戦」は軽くなったが、決して遠くなってはいない。健忘は新手の誘惑に搦め捕られ、悪夢の再来を至近に引き寄せてしまう。必要なのは語り継ぐことだ。凄腕の語り部が巧みな意匠を施して物語ることだ。「反戦」に十全な重みを付け直し、世に放った「反戦小説」がこれだ。
 全6作、あり得ない奇怪な話の連続だ。もちろん創作だ。だにしても、読者は易易としてその特異を受け入れてしまう。理由は明らかだろう。戦争が人知と隔絶した特異だからだ。元より人性も隔絶される。「反戦小説」が緊要とされる所以だ。〉(「反戦小説『帰郷』」から抜粋)
 選考委員5氏の選評を拾ってみる。
◇黙する死者との血脈 作家・佐伯一麦氏
 佐伯氏も拙稿と同じ箇所「ゆえなく死んで行った何百万人もの兵隊と自分たちの間には、たしかな血脈があった」にフォーカスしている。作品が帰還者たちの寡黙と沈黙に代わることの重さを「我々の言葉は死者たちに睨まれている」と印象的に語っている。
◇内面描き、出発点示す 法政大学総長・田中優子氏
 敗戦後、価値観の断絶を乗り越える努力を忘れ経済復興に走った日本社会。「置き去りにされた戦前が潜み、敗北感が新しい社会の創造に置き換わらないまま、対米従属の日本を私たちは生きてしまった。そして、現在の戦前回帰現象につながる」として、「この作品は、これからの日本を考えるための出発点だ。帰る場所のなかった彼らは今どこにいるのか?」と結ぶ。深い視点だ。
◇「曇りガラス越し」に 哲学者・鷲田清一氏
 「戦争を知らない子供たち」が戦争に敗れた父たちを描く。
「つい彼らから眼を逸らせて未来のほうに視線を移したこの世代の一人として、作家は、言葉を呑み込むばかりだったその人たちの思いを曇りガラス越しに描きだそうとする。これがじぶんたちの世代の責任だと言わんばかりに」
 「じぶんたちの世代」とは戦争を生きた世代に踵を接した「戦争を知らない子供たち」のことだ。接してはいるが当事者ではない。「曇りガラス越し」とはその謂だ。語り部は「じぶんたちの世代」が担う「責任」と捉える、その真情にこそ浅田次郎という作家の他に屹立する真骨頂がある。さすがに哲学者の眼だ。
◇兵卒たちの“人間宣言” 朝日新聞元主筆・船橋洋一氏
「生きることが、出直すことだった。戦後は、テントウムシのような一兵卒のこの“人間宣言”から始まった。状況を捉える筆致は冷たく、乾いている。人間を描く筆致は、優しく、温かい。その絶妙の間合いの中、時代が目の前に鮮やかに浮かび上がってくる」
 期せずして最高のプレゼンとなっている。
◇戦後の「埋み火」通底 ノンフィクション作家・後藤正治氏
 氏は浅田氏を長編作家として評価する立場から、物足りなさを指摘する(稿者は逆なのだが)。しかし再読して、歳月を経てもなお残る埋み火に気づいたという。それは「時空を超えた通底音」であり、「著者にとって戦争文学の序章に位置する短編集であろう」と語る。
 
 「反戦歌」はとうに廃れた。「反戦劇」など跡形もない。イベントは形骸化する。語り部も次第に消える。「反戦」の継承は文学、それも短編が担う時代なのであろうか。してみれば、浅田氏の業績は一層高々としている。 □

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