やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

公立小見聞録5 ~初任のA校、B校~

2010年12月21日 | ~h27 教育/小学校

■公立小見聞録について

 いよいよ34年間の小学校勤務時代に入ります。あえて「自分のこと」を書いているのには理由があります。

1.読者の皆様に、教育関係の記事の背景や状況を理解していただくために。

2.民主主義国家が続くためには、原則として(=《国や国民の存亡などに関わる機密事項》をのぞいて)、まず《国民が公平に情報を共有する》ことが必要条件だから。

 ※日本の新聞・テレビが流しているのは、《知らせたい情報(意図的に選んだ事実と主観的意見)》が主。 国民が知りたい事実情報(=例:日本や世界の政治・経済の客観的・相対的状況、海外援助などの実態、企業の株主構成、… /国内の現実の「暮らし」の状況 ~例えば、各職種の賃金一覧表・各職種の現場の本当の状況、具体的な外国人の暮らしの状況、…)はほとんど知らされていない(と思う)。
 
 海上保安庁のあの勇気ある保安官やウィキリークスの行動は、現代の象徴的あるいは革新的行動。
 今の日本のマスメディアの汚いところは、《客観的で公平な報道をしているように装う=嘘をついている》ところ。そもそも(原理的に)「客観的で公平な報道」などはありえないのに。

 ※だからここでは、私の経験した義務教育の公立小学校についてできるだけ具体的に知っていただこうと思う。
  

◇お願い:まちがいや誤認があったら教えてください。 おもに「34年間の佐賀県の公立小学校勤務」という狭い経験と記憶に基づいて書くので限界があります。

◇おおまかな構想・・・勤務した学校 /子どもたち /教えた中身と教えた方法 /教職員 /職員団体(日教組)活動 /教育委員会等 /保護者・PTA など。※以上は大項目で、それぞれの項目中に特徴的な小項目を入れていく。


■勤務した学校 
~昭和50年代初め(1970年代なかば)から、このごろまでの34年間で~ 

・佐賀市 A校:約1000人 約25学級 /4年間 /学級担任:3、4、1、2年生 すべて45名。

・小城市 B校:約500人 約12学級 /2年間(例外的に短いが、悪いことをしたわけではない) /学級担任:5、6年生 すべて45名。
 
※なぜ6年間も学級定員上限の45名を受け持ったのか? 

 答:「人数の多い学級は嫌だ」などと「我がまま」を言わなかったから。ちなみに、昭和55:1980年ごろから段階的に「40人学級」に移行したと思う。
 
 なんと、自民党政府は、その後30年間も「学級定数改善」を行わなかった。1990年ごろまでバブルで「世界一の経済大国」などと浮かれていたときにも! 要するに、日本国民の多くが「国家100年の教育の計」などどうでもよかったということ。 


※なぜ、新採3年目なのに(=まだ2年間しか担任をしていないのに)、「血の小便が出る」と言われていた1年生の担任になった(なれた)のか?

 :希望したから。 当時から、多くの教諭は、「きつい」から1年生と6年生の担任にはなりたがらない。10年ほど前までは(今でも学校によっては)教諭の「希望」がけっこう優先されたので、管理職は希望者の少ない1・6年担任を確保するために、「希望はしていないが1年間勤まる人材」を説得することになる。

 私が「(当時は)普通はベテランの女性教諭が受け持つ」1年担任になれたのは、希望と、新採3年目なのに28歳だったからだろう。
 ちなみに、私の場合、管理職としては、先生方の希望ではなく《適性や能力》を最優先にしていた。希望最優先などということをすれば、今は、学級どころか学年・学校全体さえ荒れてしまう危険が大きい。


※この当時の子どもたちのほとんどは《素直、まじめ、学習意欲がある》子だったから、いわゆる「学級崩壊」は見聞きしていない。

 ~つづく~

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