Vivo en Oaxaca de Mexico

仕事ばかりでアラフォーに。一旦死んだと思って全く違う環境に行ってみようと、まずはメキシコへ。そこから中南米を旅する。

チリのつづき

2017-05-05 19:39:02 | チリ
4月23日先日泊めてくれたおじさんの家にりんごとパンを届けに行く。おじさんの家は片道1時間半も歩いてかかるので午前がそれでつぶれる。おじさんの家は牧場の奥にあるが、なんか道を間違えて、牛の敷地内に入ってしまい、ふと振り返ると牛の大群がけっこうな勢いで私のほうに走ってきていて、急いで金網から逃げる。本当山の遭難といい、今回といい、死が近くに感じられ、本当に生きてる、それだけでもういいよと思う。午後近くになってヒッチハイクで長く滞在したセロカスティージョから再びコジャイケへ。このセロカスティージョ、街が小さいので、しかもこの日は日曜日、ヒッチハイクは難航。3時間くらい待ってようやく。ヒッチハイクのおじさんの友達の宿に泊まった。それがあたりでなかなかいい宿だった。宿のオーナーの息子は黒澤明にちなんでアキラって名前という、ぶっとんだチリファミリーの家だった、アットホームでよい。

4月24日もう一日滞在しようかなっていうくらいのいい宿だったけどコジャイケ自体は特にそれほどすることないので、ヒッチハイクでプユウワピまで移動。4台くらい乗り継いだかな。プユウワピも小さい街なのでとてもむずかしいのだ、ヒッチハイクが。宿にアルゼンチンのイケ面がやってきた。わたしと同じ人にヒッチハイクで乗せてもらってきたらしい。次の日一緒に森にいくことになった。やった。リサンドロはアルゼンチンのコルドバ出身、コルドバはブエノスアイレスの隣の州。ここら辺一帯は移民が多く、リサンドロの家系もイタリアとかレバノンとかもういろんな血が混じってるらしい。なんとなくイタリアの感じもする。そして190センチと長身、そしていいやつ。もう申し分ない。イケ面べつに好きじゃないと思ってたけど、横からみとれるってこういうことかっていうくらいほれぼれ。

4月25日朝からヒッチハイクするも、もう少し早くすればよかった。ぜんぜん森に行く車がない。ケウラ国立公園までしか乗せてくれなかった。 どうする?ってイケ面リサンドラがいうので、森でも公園でもどっちでもいい、公園ははいろうといって入ったら、入場料5000ペソもかかった。これは後日もうとっくにリサンドロと分かれてから違う町で知ったことだが森のほうは入場料3500と安い上に数倍きれいらしい。写真みてショックうける。ああ、森に行きたがってたリサンドロに悪いことした。朝6時しか森に行くバスはないけど、入場料考えたらそれ乗っていけばよかった、ほんまごめんってしばらく数日ごめんなあって気持ちでいっぱいに。

4月26日朝から次の街に移動するリサンドロとともにヒッチハイク。リサンドロはコジャイケにわたしはプエルトシスネスなので途中まで方向がいっしょなのだ。しかしぜんぜんつかまらない。4時間くらいやってみるも来ない。しかもこの街は1時から5時まで工事で道が封鎖される。あきらめて昼ごはんを購入。公園でトマトとチーズ、ハムをその場で切りながら作った素朴なサンドイッチを二人で食べながら、どうする?今日?宿高いしなあ、みたいな感じで今日はテントはろうってリサンドロがいうので、それに乗っかった。テントだと普通の宿の半額以下なのだ。一人4000ペソ。7ドルくらい。キャンプサイトを探すとそこにはドイツ人、オーストラリア人がすでにいて、しかもテントも屋根のあるところに晴れるのでぜんぜん快適そうだった。シャワーもキッチンも使えるし。みんなでカレー作って、ウノして遊んだ。楽しかった。でも英語がやっぱり共通言語なんだ、ちとつらい。

4月27日リサンドロと朝6時のバスに乗る。わたしは交差地点で降りて、そこからヒッチハイク。プエルトシスネスへ。
イケ面ともここでお別れ。英語も達者な若き23歳リサンドロに比べて、英語もスペイン語もろくにしゃべらない36歳のわたしに優しく接してくれてありがとう。イケ面なのにやさしくて感動した。国立公園歩いたときも危ないときは手をとってくれた。テントを持っていないわたしに2人用テントに泊まらせてくれた。いつも、どうしたいか聞いてくれた。趣味とかどういう生活してるのかとかいろいろ聞いてくれて、ヒッチハイクしても誰とでもたくさんしゃべるリサンドロを見て、こういう風に人といっぱいしゃべっていくのがいいなあと心から思った。語学力もだけど気持ちのうえでも人と接していく気持ちを持つということの大切さを知った。本当に感謝。お礼に作ったカレーもおいしくできなくて、森にも行くことができなくて、ヒッチも失敗して、宿もいいところ提案できなくてほんとうごめん。念を通じてごめんの気持ちを送った。

プエルトシスネスについて宿を探してたら8000ペソくらいのとこは見つかったけどどうしようかな5000くらいでありそうやけどなあと思ってたら、フランス人軍団に声かけられる。エルチャルテンでヒッチハイクしてたときに会った人たちらしい。ぜんぜん覚えてないよ。外人の顔は一緒に見える。彼らはもう今日移動するけど泊まったところがとってもいい家なんだっていうので連れて行ってもらったら5000ペソで、入ったらかまどのとこに座るようにすすめられて朝ごはんも食べさせてもらって本当いいとこだった。マテ茶のみなさいっておばあちゃんがまわしてくれる。チリ、アルゼンチンはマテ茶文化がすごい。特に南部。そしてどこでもかまど、煙突がある。なんだかあったかい気持ちになる。
チロエ島にいく船にのるためこの街に着たけど、この街は特になにもないので図書館で過ごす。こどもたちがすごい勢いで話しかけてくる。これ読める?これ読める?って次々にいろんな本の表紙読まされたり。。日本人がめずらしいのだ。
晩御飯後、なんか今日はキリスト教のなんかの日らしく、みんなで聖書をよんだり、聖歌を歌ってて、わたしもなぜか入るように言われ、もう眠くて休みたかったけど、入る。2時間くらい立ってわからない歌を歌ったりしてもう死にそうだった。それが終わるとなんかクッキーとかいろいろ出てきて、それをむさぼり眠る。

4月28日
チロエへの船は夜。図書館に行く。夜、宿にいると1000ペソ貸してって家の宿担当男の人に言われて、貸したけど、もうすぐ船の時間なのに返してもらえてない。しかもお昼ご飯代って払った2000ペソに対するおつり1000ペソもまだもらってない。ちょっときれかける。というか普通お客からお金借りないやろう。おばあちゃんいるのにおばあちゃんからなぜ借りないのか、ちょっときれたら急いで返してくれたけど、けどこの家好きだったけど、このゲイ風宿担当男の人のせいで、かなり気分悪くなった。宿代とかご飯代とかもこっそりなんか呼び出して話してくるし、なんでオープンにしないのかなあって思った。

夜、チロエへ船でむかう。日本人の女の子とフランス人68歳夫婦と出会う。フランス人夫婦はもう28ヶ月も旅しているのだそう。奥さんがかわいらしかった。68歳なのに前後にバックパックを背負うこの二人。すごいなあ。もう腰曲がっている人もいるくらいの年齢なのになあ。自分で自分のことがいつまでもできるようにありたいものだと思うし、こういう風にいつまでも一緒に旅できる夫婦ってよいなと思う。いつも同じ場所にいて、毎日一緒にごはん食べるっていうのもすごい幸せなことだと思うけど、たまに旅して二人の背景シーンが変わるともう最高に楽しいと思う。

4月29日30日
チロエに向かう船だが、なぜかゲートがしまってたらしく、あと悪天候もあると思うが、陸地でいけるプエルトモンについちゃった。プエルトモンはチロエより北にある。18時間でつくところ36時間かかった。ここからさらにチロエにバスでもどる。。ヒッチハイクしたいとこだけど一緒にいたフランス人夫婦と日本人女の子についていったので、チロエのアンクッドまでバスに乗った。アンクッドはとっても静かで何もないといえば何もないけど結構好きな街だと思った。メルカドで手作りのチョコが一粒100ペソって20円くらいで売ってて、ミント味買ったけど素朴で激うま、ミントとチョコのコンビって本当ゴールデンだと思う。夕方てっきりみんなでごはんつくるのかと思いきや、別々らしい。日本人女の子にもシェアしない?っていったけど、めんどくさそうな感じで悩んでるようだったので、あきらめた。日本人のこの女の子はいつもあんまりシェアしてないらしい。わたしはどうせならみんなで食べたほうが絶対たのしい、というか一人でおいしいものつくって一人で食べるってなんか切なさ過ぎる。一人のときは仕方ないけどそこにほかに一緒に旅している人がいるのに。。ムール貝が1キロ500ペソって80円くらいでかえるし、ワインもやすいので白ワイン蒸しをネットで作り方調べてつくった。うまくできて、フランス人奥さんもたくさんたべてた。よかった。かぼちゃとトマトとたまねぎをオイルとにんにくで適当に蒸したのも、多めにつくったので日本人の子にあげた。ワインもみんなで飲んだ。やっぱりみんなでたべるほうがおいしい。

5月1日
もうこれ以上日本人の女の子と一緒に行動したくなかったので、一人、チロエのカストロに向かった。悪天候なのだが、もともとチロエはそんなに興味がなくて通り道やしって一応行くことにした島だし、船がチロエ飛ばして北についたときからもうチロエはやめたらよかったかもだけど、いったんチロエ島のアンクッドになんとなくフランス人と日本人についていってしまった以上、チロエ島といえばカストロなので、もうここは義務のような感じでアンクッドからさらに南にあるがカストロもいそいで回ろうと思ったのだ。
一通りみて、雨も降るのでヒッチハイク。オソルノに戻るおじさんだったので、宿に一回寄ってもらって荷物をピックアップシ、次の街プエルトワラスまで連れて行ってもらった。おじさんは未亡人らしく、週末とか旅行しているのだって。今日はレイバーデイで休みだから旅してたらしい。眠いから車で寝ないように話し相手として私を乗せたらしい。ありがとう。たしかにヒッチハイクしてわたしも横で図々しく寝るわけには行かないのでヒッチハイクって意外とちょっとつらいなあといつも思う。しゃべってないとなんだかタクシーみたいな感覚なるし、あんまりしゃべれないけどとにかく簡単な会話をするようにしているのだが、もうそれも尽きてくるとほんとごめんなさいって少し申し訳ない。ヒッチハイクするとき車が来るまで何時間かかるかわからないっていうのもあって割と食料を準備して挑むのだが、車内でも寝ないために、乗せてくれた人にちょっとあげたりするのに食料がけっこう重要。食べてないとしゃべってないと本当わたしも寝そうなのだ。

宿についたが、今日は祝日、どこもかしこもしまっている。あごだしと米で具なしのおかゆつくってごまかす。エクアドル人の男の子が泊まっててマテ茶もらいながらしゃべりながら。仲良く慣れそうな感じだと思ったがほかの宿にフランス人の友達がいるらしく、去っていった。次の日の朝食時フランス語でフランス人の宿泊客としゃべってて、びっくりした。英語もうまかった。自分が無力に感じたひと時。。

5月2日
昨日の宿はベッドバグがいるっていって、みんな大騒ぎしてて、わたしは怖くてソファで寝たけど、寒くて眠れず宿を変えることに。みんなでほかの宿に移動。
荷物を置いてから、この街にはオソルノっていう富士山に似た火山があるのだが、それを近くに見るために近くの町までヒッチハイク。でも天候がやっぱりいまいちで夕方もどってきた。ヒッチハイクしたうちの一人の女の人が、なんであんまり唇動かさずにしゃべるの?って聞いてきて、ああわたしやっぱりその癖直ってないんだと思った。指摘してくれてありがとう。これをいってくれたのはわたしの人生で3人目。中学の同級生、中国の歌の先生、そして彼女。そうだ。ちゃんとしゃべろう。
夕方宿戻ってきてごはん。宿にいたカナダ人の男の子二人のうち一人がほかの宿に友達がいるからって珍しく一緒にのみに行くことにした。ブラジル人のむっちゃ美人な子だった。この美人目当てに出かけたに違いない。美人って本当すごい。管理栄養士の子だった。小さい顔に本当ゴージャスな顔立ち、うらやましすぎるぞ。

5月3日
もう1回オソルノをみるためにヒッチハイク。ちょっとトレッキングして帰った。昨日も宿にいたカナダ人とアルゼンチン人の男子二人が今日もおいしそうなご飯作ってる。野菜だけなのにむっちゃおいしそうなタコス。もらったらやっぱりむっちゃおいしかった。カナダ人のこの二人のおかげでけっこうこの宿も楽しく過ごせた。かたっぽはDJらしくてむっちゃ陽気、かたっぽはNGO関係でむっちゃまじめな感じ。正反対な感じだけどバイクで旅してて、旅のスタイルが一緒だからチリで出会ってから一緒に旅しているらしい。バイク旅ってすごいなあ、なんかグッズがいちいちかっこよかった。
イタリア人の男の子も今日増えて、4人でのみにいったが、ワインにアイスが乗ってる激アマなのがでてきた。昨日のピスコサワーのほうが断然よかったよ。。

でもこうして夜出歩くってこともしばらくなかったので気分よく帰ってきてシャワーあびてたら足すべらせて、腰と背中強打。歩くのもやっとだがなんとか3段ベッドにたどりつく。シャワー室せますぎるよ。出っ張ってるタイルの角にぶつけた。でも自分のバランス感覚も問題かもしれない。とにかく、戻れるなら滑る前の自分に戻りたかった。

5月4日
本当は痛すぎてもう1泊したいのだけど、今日はフルで宿追い出される。
本当はまだまだほかの街寄り道したかったけど激痛すぎて
どうせなら大きい病院にいこうとサンティアゴに行くイタリア人についていく。
バスは夜行なのでそれまで喫茶店と図書館で時間をつぶす。
本当に生き絶え絶えなのだがあまり荷物もってくれないイタリア人、冷たいぞ、と思う。

5月5日
イタリア人、わたしと別の宿をとっていた。フェイスブックでけがどうだったか報告してねっとかぬかしてたけど、別にこの人に報告しなくてもいいと思った。日本に興味あるらしくて、日本に行ったら連絡するっていってたけど、この人は別に案内してあげたくない。このひとは私に興味があるのではなく、日本に興味があるだけなのだろう。いや、たしかに一緒の宿で看病されてもわたしも困るけれど、このように放置できるって少し冷たいように感じた。別に違う宿にしなくていいじゃん。。
メッセージ来てて、大丈夫?動けるようだったら連絡してくれってきてたけど、逆じゃない?助けがいるなら連絡して、のほうがうれしい。仕事をチェンジする期間2ヶ月という短いバケーションを人の面倒見てる暇ないのでしょうが、もうけっこう人にやさしくされてきたわたしとしてはなんだか物足りないやさしさ。都会の人だなあと思う。

病院いったら骨に異常ないらしい。
病院内で車椅子のせてもらってたくらい痛いのに。。医者が歩いたほうが直りが早くなるよっていうので、行きはタクシーで行ったが、帰りは地下鉄で。この交通費もどうやら保険請求できるようだっと病院で海外保険の案内書いまさらみていたので、帰りの地下鉄でレシートってもらえるのか聞いたけどどうやらもらえないらしい。でも何か金額証明できるものがあるはずなので、しぶとく聞くが通じず、無念。窓口の女の子にアイス食べながら、何いってんのかわかんないって感じの反応された。ああスペイン語こんなことも簡単に言えない、わからない。しばらく窓口に喰いついていたら警備員のおじさんがまあまあって感じで結局ただで入り口入らせてくれた。ほんま無念。
とりあえず4万くらいクレジットで払って帰った。
保険請求できるかな、どきどきするわ。
しっかしサンティアゴ、都会すぎる。煙突なんてもうどこにもないよ。気候がぜんぜん暖かい。けっこう南部は悪天候で海辺の町とかはとくに雨が年間200日以上とからしくよく降ってたのだけどここに来て急に暑いくらい。でもやっぱ南に戻りたい。
日本に帰るのかもしれないけど、大阪のあの街並み住みたくないなあ、北や南落ち着いたところもあるけれど、でももう少し自然がほしい。でもやっぱりすぐなじんじゃうのかなあ。ほんとに旅してたのかなわたしっていうくらいすぐなじむよ、ってほかに旅してた子が言ってた。たしかにずっと日本に住んできたんだもんね。でも日本とか中国だとあんなに肩こりひどくて整体行かないと息絶え絶えだったのに、これがすっかりもうなくなって、これは自然に囲まれてたからなのか、毎日トレッキングとかでよく歩いてるからなのか、好きなときに眠り好きなときにご飯食べているからなのか、ストレスないからなのか、パソコンばっかりいじる生活じゃなくなったからなのか、毎日刺激があるからなのか、まあ毎日遊びほうけてると人間元気にもなるのだなと思った。できれば自然があって、仕事もそんなにストレスフルじゃなくてそこまで忙しくないけど好きっていう仕事がよいが、そんな都合のよいことあるかな。旅のあと、沖縄移住してダイバーさんになった女性がいたけど、ダイバー系はできないしなあ、農業とか民宿とか山の管理人とかかなあ、自分にそんなことできるかなあ。なんか身体にいい生活をしたいなあとつくづく思う。ヒールはいてきれいな服着てスタバのむ生活、というかスタバ別にのまなくてもいいけど、はもうあんまりできそうにない。












                                                                                                                                    
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