ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(93・中央西線電化の記録㉜)

2016-03-04 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川以北 須原の朝 

大桑から須原・倉本・上松・木曽福島と続く。倉本までは単線区間である。
昭和44年3月24日、須原の大桑寄りと須原・倉本間で撮影。

早朝、須原にいた。どうやって来たか、どこで寝たのか記憶にない。多分、前夜木曽福島に来て駅で寝たようだ。
木曽福島6:20発の上り始発列車822レに乗ったとすると須原到着は6:47。フイルムを見返すと辻褄が合う。

まずは大桑・須原間で撮影。この区間は下り列車にとって大半が15.2‰の上り勾配である。
その後、須原に戻り早春の木曽谷を倉本まで歩いた。前区間より全般に上り勾配がきつく20‰の急勾配区間がある。

須原の街は谷に聳える山々に朝日が遮られていたが、山の間から光が洩れくる7時半、D51の汽笛が響き渡った。
街並みの先、須原に停車していた上り貨物列車が白煙とドレンに包まれていよいよ発車。

D51-267[中]牽引の上り貨物652レ 左側の煙は停車中の下り貨物


上り列車は須原から下り勾配になるが、朝靄の中の白煙が厳しい冷え込みを物語る。



白煙を棚引かせた列車は速度を増して谷に消えていった


上り貨物652レの須原発車を撮る前に大桑方向に少し歩いた。須原で交換する下り貨物が朝日を浴びて力行する。

D51-125[中]牽引の下り貨物663レ


次の下り貨物665レは撮影場所を探していたのか撮れていない。須原8:14発の上り旅客列車はDL。

DD51-627[稲一]牽引の上り松本発名古屋行824レ


撮る場所が限られ、結局は同じ辺りで撮影した。9時を回り、名古屋を始発で出た下り旅客が檜の林から姿を見せた。

D51-402[中]牽引の下り長野行825レ




9時20分過ぎ、後補機が付いた下り貨物列車が続く。後方に須原発電所が見える。

長工式デフのD51-501[中]牽引の下り貨物667レ


半戦時型カマボコドームD51-902[木]の後補機


切通しを抜けて須原に向け最後の上り勾配を行く。この列車は須原に30分以上停車する。


1969.3 大桑・須原


須原停車中の下り貨物667レに先回りして倉本方向に行き上り勾配で待つ。木曽川左岸沿いの開けた所まで来た。
須原から800m、294キロポストがある地点。倉本9:41発の上り旅客列車は重連であるが、当然絶気で通過。

D51-200[中]、D51-125[中]の重連、上り松本発名古屋行826レ


10時過ぎ、上り旅客826レ及び上り急行802D"きそ"1号と交換待ちしていた先程の下り貨物列車が須原を発車した。
10‰勾配であるが、この先の上りに備えて木曽川沿いを目一杯力行してくる。期待以上の煙が見られた。

D51-501[中]牽引の下り貨物667レ






16.7‰勾配を登っていく。この後、列車を追うように倉本を目指した。


1969.3 須原・倉本


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