エホバの証人再考

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「感情を消化できる」人になるには具体的にどうすればよいのか?

2017-01-25 16:24:03 | 聖書・キリスト教

「感情を消化できる」人になるには具体的にどうすればよいのか?
2017.01.25.


今までに、私は、自分の感情を上手に消化してMP(メンタルポイント、心の力)を回復させ、こうして、試練を克服していくことを説いてきました。では、「感情を消化する」には具体的に何をすればよいのでしょうか。今回はその点を深く掘り下げてみたいと思います。

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結論から言うと、「感情を消化する」とは、一言で、「自分の思考パターンの更新」が鍵となります。今回はその点を特に具体的に取り上げます。

というのも、感情を消化できる人は、できるような思考回路を、一方、消化できない人は、できないような思考回路を持っているからです。不完全な罪人である私たちは誰もが、謝った思考パターンを抱えており、それはやむを得ないことです。そこで、「消化できない思考回路」から「消化できる思考回路」へと更新させることで、上手に感情を消化できるようになるわけです。聖書的に言うと、「古い人格から新しい人格へ」というところでしょうか。

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では、どのようにそのような思考パターンの更新ができますか? それは要するに、考え方や物の見方を新しくするということを意味しています。ですから、そういう変化をもたらす「言葉(考え方)」が必要です。その言葉に触れることは、今までに考えたことがなかったような新しい発見となり、当人の目を開かせて、「あ、そうだったのか!」と興奮させるほどの影響力があるでしょう。

例えば、嫌な出来事が起きて気落ちしているとしましょう。その時、本の中にこういう言葉を見つけました。「でも、そこから学べたこともあっただろう? 少なくとも、今後はもっと注意深くなれるよ。だから、多少の苦労は、その授業料だと思えばいいんだよ」と。

これは、「苦労=嫌な出来事=損。ああ、もうやだー!」という消極的な見方から、「苦労=授業料。でも、その代わり人生勉強になった。実は、ある意味得をしたかも?」という積極的な見方への切り替え、つまり、思考パターンの更新であるわけです。他に「失敗は成功のもと」などの言葉も同様ですね。

そういう積極的な見方をもたらす「(自分を)勇気付ける言葉」を取り入れましょう。そうすれば、思考パターンの更新ができます。

・勇気付ける言葉を取り入れて、思考パターンを更新する。

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とはいえ、いつも言うように、嫌な出来事が生じた時には、大抵心の傷を負っているはずなので、まずは第一に心の傷を癒すための「慰め」が必要です。その方法は、下記リンクに示されています。その心の傷がある程度修復されて、気持ちが落ち着き、冷静な思考力が働くようになって初めて、上のような思考パターンの更新作業に移ることができるのです。

https://sites.google.com/site/jwbibleprophesy/iyasi

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ここまでのところで、今回論じたい「感情を消化できる」思考パターンへの更新のための具体的な方法の骨組みは語り終えました。次に、注意点をいくつか述べておきます。

人は、正しいことをするにしても、悪いことをするにしても、その前にその行動を躊躇することがあるものです。正しいことをするには勇気が必要ですし、悪いことをするには良心の声を振り払うだけの思い切りが必要です。いずれにしても、そういう「一歩踏み出す」時に、やはり、前述したような「勇気付ける言葉」が心に浮かぶでしょう。

そこで注意すべきなのは、正しいことを行なう勇気を得るためであれば、もちろんよいのですが、しかし、悪いことを行なうため、良心の声をかき消して、間違った大胆さを得るために「勇気付ける言葉」を用いることがあるという点です。

例えば、「旅の恥はかき捨て」とか「据え膳食わぬは男の恥」とか言われることがありますが、これらは多くの場合、自分の間違った行ないを正当化するため、つまり、良心の声をかき消すために用いられる虚偽の格言です。あと、「嘘も方便」とか。

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しかし、そのような格言の中には、用い方次第で善用も悪用もできるものがあるところがますます注意を要すべき点です。

例えば、以前、私は「乗りかかった船だ」という言葉で失敗したことがあります。父祖の葬式の時に、棺おけを6人で担いだんですが、担いで運び出した後、私の思いがけないことに、仏教の僧侶が先導しながら念仏を唱え始めたのです。私はびっくりしたんですが、まさにその時「ええい、乗りかかった船だ!」と思って、棺おけを霊柩車まで運びました。僧侶が念仏を唱えていたのに・・・。でも、エホバの証人の教理をご存知であれば分かると思いますが、私はその後、とても良心が痛み、もう気分が変になってしまいました。エホバ神に祈り、長老たちにも告白し、相談して、ようやく気持ちが落ち着いてきました。使徒ペテロがイエスを3度否認して、号泣したのと同じ様な状況でした。

私がしたのは、自分の良心の声を殺し、そのようにして無理矢理にでも今している自分の間違った行為を続けるということでした。その際に、「乗りかかった船だ!」という言葉が、私の良心の声を殺すため、間違った行為を続ける間違った大胆さを得るために用いられてしまったのです。とはいえ、この言葉は良い意味で用いれば、良い意味にも用いることができるのかもしれません。しかし、私は自分の間違った行為の言い訳のためにこれを用いたのです。聖書にも「心は何ものにも勝って不実であり、必死になる(つまり、必死になって言い訳をする)」とある通りです。

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つまり、格言や勇気付ける言葉には、

・明らかに虚偽の格言もある。
・用い方を間違うと虚偽となるものもある。

ということです。

ですから、格言を悪用し、間違った行為へと自分を後押しするようなことがあってはなりません。

そういう注意点を踏まえて、「自分を勇気付ける言葉」をいろいろと捜してみましょう。

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もう一点。そもそもの思考パターンの成り立ちについても考えてみましょう。

私たちの思考回路、思考パターンはどのように形成されていくのでしょうか。赤ちゃんとしておぎゃーと生まれた時は、まだ真っ白の状態です。しかし、その後、子供から大人になるに伴って、いろいろな思考パターンが形成されていきます。それは基本的には外部から取り入れる情報に基づいています。例えば、周囲の大人が日本語を話している環境で育てば、その子は日本語を覚えるでしょうし、また、英語圏でなら、英語を話すようになるでしょう。これは遺伝子(先天的な要素)とは関係なく、後天的な、自分の目で見聞きした情報を取り入れた結果、生じたものであることが分かるでしょう。

また、私たちの基本的な思考パターンの多くが、子供の頃に形成されます。三つ子の魂百までとも言うとおりです。もちろん、それらには自分の意志による選択・決定によって培ったもの(意図して覚えたもの)もあるわけですが、一方、環境的な要因に伴い条件反射的に植え付けられたものも多くあるでしょう。例えば、メトロノームの音と食事をセットで与えられる犬は、それが繰り返されると、食事が出されなくてもメトロノームの音を聞くだけで唾液が出るという実験を聞いたことがあると思います。梅干を思い浮かべただけで唾液が出るのもそうです。

例えば、幼い時に、父親から虐待されてきた子は、「大人の男性=怖い存在」という条件反射的な思考パターンが植え付けられてしまい、大人になって虐待をされなくなっても、また、虐待をしていた父親以外の同じ年恰好の男性を見るだけでも、恐怖がよみがえってきて、生理的に受け付けられないということもあるかもしれません。あるいは、一度詐欺にあってひどい目にあった人は、「赤の他人=信じられない」となり、それ以降、他の人の言うことを善意に解釈できなくなったり、誰であれ他人を無条件に退けるようになるかもしれません。

そういう不幸にして悲しい仕方ですり込まれた条件反射的な思考パターンは歪んだものであり、当人が幸福に生きる上でとてつもない障害になることでしょう。「熱ものに懲りてなますを吹く」ということわざがあります。つまり、一旦熱い料理で舌をやけどして懲りたので、実際、熱いはずもない「なます」を、ふーふーと息を吹きかけて冷やそうとする様のことを言ってるわけで、実際、そういうことが人生の中で時々生じることがあるものです。

ですから、思考回路は、

・見聞きした情報に基づいて、

また、

・意図して覚えることによって
・意図せず、起きた出来事に伴って

培われていきます。このうち、意図せずにすり込まれた条件反射的な思考パターンが果たして本当に自分の益となる正しいものなのかどうかを一度確かめてみましょう。

つまり、各人は、自分が今持っている思考回路が、どういったものなのか(分析)、また、それらがどのようにして形成されたのか(生い立ちを振り返る)を吟味することができます。

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まとめます。

・まずは、自分自身がどういう思考回路を持っているかを確認しましょう。
・そして、それらが本当に有益なものかどうかを吟味してみてください。
・もし有益ではないと判断したなら、それに取って代わる「勇気付ける」言葉を捜してみてください。
・そして、その「勇気付ける言葉」で、積極的な味方・思考パターンに更新させましょう。
・そうすれば、感情をもっと上手に消化することができるようになります。

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う~ん。今回の論文は我ながら、荒削りな感ありです。まだ自分自身不完全燃焼なのかもしれません。でも、言いたいのは、

・自分を勇気付け、奮い動かす際に、よく「勇気付ける言葉」を用いることがある。
・そのような自分の座右の銘となっているような「勇気付ける言葉」が自分の思考パターンを形作っている。
・中には、そのような「勇気付ける言葉」は誤用・悪用されているケースがあり、それが思考パターンの歪みをもたしている。
・ゆえに、それら自分の座右の銘一つ一つが本当に有用なものかどうかを再吟味すべき。

ということです。

また、改めて述べると、

・感情をうまく消化できるかどうかは、その人の思考パターンによる。
・正しい思考パターンを形成するよう導く「勇気付ける言葉」を取り入れよう。

というのが結論ですね。

皆さんの人生勉強の参考になさってください。


では、具体的にどういう格言が虚偽で間違っているのか?、また、どういう格言を取り入れれば真に「勇気付け」となるか?などは、また別の論文にて検討したいと思います。

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