エホバの証人再考

まもなくイエス・キリストは再びこの組織を検分されます!

詳しくは左下の自己紹介のサイトを見てください!

日々の聖句 6/13

2016-10-12 18:18:45 | 日々の聖句(再掲載)

http://wol.jw.org/ja/wol/dt/r7/lp-j/2016/6/13
より引用。

ーーーーー

6月13日,月曜日

神の平和が,あなた方の心[を]守ってくださる。―フィリ 4:7。

ーーーーー

感謝に満ちた心があれば,つらい試練に耐えることができます。

配偶者の裏切り,命にかかわる病気,愛する人の死,自然災害による甚大な被害といった,人生を一変させるような状況に突然見舞われると,圧倒されるように感じるかもしれません。

そういう時にこそ,自分が得ている祝福について思い巡らすなら,慰めや力を得ることができます。

イリーナは米国に住む正規開拓者です。夫は長老でしたが,イリーナを裏切り,彼女と子どもたちを見捨てて家を出て行きました。イリーナにとって,エホバに忠実に仕え続けるうえで何が助けとなったのでしょうか。

こう語っています。「エホバがこのわたしを親切に世話してくださっていることに感謝しています。受けている祝福を毎日数え上げるんです。そうすると,天の父がわたしのことを理解し,愛し,守ってくださっていると実感します。本当に素晴らしいことだと思います。エホバは絶対にわたしを見捨てません」。

イリーナは,喜びに満ちた精神を保ち,他の人を励ます存在となっています。

塔15 1/15 1:9,10,13


ーーーーー

★yangmaskの注解

ただし、辛い気持ちを脇に押しやって放置したままではいけませんね。そのような感情は、消去するものではなく、消化するべきものです。この違いが分かるでしょうか?

例えば、私たちの頭の中を、□ + △ = × という式になぞらえてみますね。この前半の「 □ + △ 」は思考過程で、後半の「 × 」がその思考過程を経て出てくる結論です。基本的に、消極的な感情を辛いものにしているのは、罪深い(意図せずとも間違った)思考パターンによります。

それで、「消去」とは、単に出た結論が「 × 」だったので、とりあえずその結論はなかったことにして、「 ◯ 」に置き換えようとする試みですね。しかし、前半の式とは「 = 」ではなくなるので、いつか心のバランスを崩して精神的に燃え尽きてしまうことでしょう。

そうではなく、「消化」というのは、そのような機会に、聖書によって自分の思考パターンを変革させることです。つまり、前半の式の方を変更させます。そうすれば、自ずと正しい結論に達することになるのです。

(↑「消去」は結論(答え)のみを変えようとする試みで、「消化」は思考過程(途中式)を根本的に変える試み、ということですね)。

もちろん、「感謝感謝、だから、こんな風に悲しんでいてはダメ。頑張んなくっちゃ!」というのも分からなくはないんですが、自分に生じているマイナス感情そのものを否定しても、つまり、事実を否定してもダメですね。

そうではなく、むしろ、その事実を一旦認め、そのような結論が出る思考過程を聖書に照らし合わせて検証し直すべきです。ですから、感謝すべき事柄を自分の感情を否定する(押し殺す)ために使うのではなく、自分の思考過程をより健全で、より積極的なものへと変革させるためにこそ用いていくべきでしょう。

ただし、このような自己消化、自己改革には、一定の手順があります。感情的な痛手を負った場合は、まず最初に、自分の感情を吐露し、言語化する必要があります。また、ある程度の慰めも必要です。そのようにして、かき乱された思いを整え、正常な思考力が戻ってきたところで、今回のような自己改革に取り組めます。詳しくは、下記リンクをご覧ください。

https://sites.google.com/site/jwbibleprophesy/iyasi

ーーーーー

★読者Bより

上記の考え方は、仏教で言う「八正道」などに通ずるものがある

・・・という趣旨のご指摘をいただきました。(yangmask)

ーーーーー

★yangmask

確かに、仏教にも人生においてプラスになる教えが多くありますね。ですから、別にクリスチャンではなくても、世間一般の立派な人であれば、実際に感情を自己消化しているわけですよね。

自己消化できる人はできるような思考パターンを、できない人はできないような思考パターンを持っています。ですから、(同じ状況でも出来る人がいるのに)、自分には「できない」という時、まず、自分自身の独特の思考パターンの中にこそ原因があると悟るべきです。

その点、仏陀も、自分の内面、つまり、見方、考え方を変えるように説いていますよね。ところが、ある人たちは、自分の内面ではなく、他の人の欠点や落ち度や責任を追及することに奔走します。そして、他の人のことをあーだこーだ非難することに躍起になっているがゆえに、自分の内面の改善点については全く考察できていないという愚に陥ります。

ーー

では、実際、創造者エホバ神が、私たち人間一人一人にお与えになった「務め」、やるべき事とは次のうちのどちらだと思いますか? つまり、それは、他の人を変える(間違いを指摘し追及する、非難する)ことでしょうか。それとも、自分自身を変えることでしょうか。

答えは明らかです。自分を変えることを実践してもいない人が、どうして他の人を変えることなどできるでしょうか。まさしく、イエスの言われた「目の中の垂木」ですね。

このように、自己消化できない人は、そうできないような思考パターンを持っており、その最たるものが、「他の人の欠点ばかりに注目し過ぎて、自分の欠点に対して盲目になる」というものです。人は人、自分は自分ですよね。ですから、自己の内面にこそ注目し、日々自己反省の精神で臨むように努めていきましょう。

ーー

一言。ある人に向けて。

私はとりあえず、自己消化できていると考えています。私はどんなにバッシングされても、それによって生じる嫌な感情をきちんと自己消化してきました。実際、私がネット上で罵詈雑言や暴言を吐いたことがあったでしょうか。

一方、あなたはどうですか。きちんと自己消化できていますか。できる人はできるような思考パターンを、できない人はできないような思考パターンを持っており、それこそが真の原因なのです。いつまでも人のせいにしていてはダメです。

自己消化できないのは、自分の思考パターンに間違い(バグ)が入っているからだと正しく認識し、それを取り除くにはどうすればよいかを、真剣にエホバ神に祈り求めるべきです。他の人をいろいろ非難したところで、自分の欠点が埋め合わされるということは決してないのです。

実際、聖書の勧めは、「自分の罪を認め、悔い改め、自己改革し、新しい人格を着けるべき」だということです。全部、自己反省の精神に基づいていますね。ですから、是非、エホバ神に、自分はどうすれば正しい生き方ができるのかを尋ね求めてみてください。

ーーーーー

★読者Bより

人はー生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある(伝道5:6)

たしかに深い悲しみは時間と共に傷が癒えて行っても、完治することはありません、ある日突然思い出したりするのです。

悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである(伝道7:3)

悲しみを知ることは、知った分だけ人の心を思いやり、人を愛する事が出来るようになります。

苦しめ、悲しめ、泣け、あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。(ヤコブ4:9)

苦しみ、悲しみはあなたを神に近づけます。それゆえ聖書は悲しむ事をすすめるのです。

辛い気持ちは神に近づく一歩です、試練を神に感謝し、後ろ向きに感じるのではなく前向に考えましょう。

私が聖書から読めたのはこんな感じでした。

ーーーーー

★yangmask

よい黙想ですね。ただ、苦しみや悲しみ、辛い気持ちそのものが、神に近づかせるというわけではありませんね。と言うのも、実際、全人類は、少なからず悲嘆してきましたが、それでも尚、神に近づくことができない人たちがいるというのが現実だからです。

ーー

コリント第二7:8-13には、2種類の悲しみについてこうあります。

「(その手紙が,ほんの少しの間とはいえ,あなた方を悲しませたことは分かります)。今は歓んでいます。単にあなた方が悲しんだからではなく,悲しんで悔い改めたからです。あなた方は敬虔な態度で悲しみました。

…敬虔な悲しみは,悔いのない救いに至る悔い改めを生じさせるのです。しかし,世の悲しみは死を生み出します。 

ご覧なさい,あなた方が敬虔な態度で悲しんだそのことが,何という真剣さをあなた方のうちに生み出したのでしょう。そうです,汚れをすすぐことを,そうです,憤りを,そうです,恐れを,そうです,切望を,そうです,熱心さを,そうです,悪を正すことを! 」。

ーー

「世の悲しみ」は単に嘆くだけに終わりますが、「敬虔な悲しみ」を抱く人たちは、その出来事について深く考えさせられ、自分の今までの見方、考え方、生き方などについて、「本当にこれでよかったのか?」と自問自答します。そのようにして、悲しみが、かえって絶好の自己反省、自己改革の機会となるのです。

つまり、そのようにして、自らを磨き上げる人だけが神に近づくことができるようになります。

ーーーーー

★読者Bより

私は思いやりや、優しさを何処かに忘れてきた人間ゆえ、今回神から黙って借りてきました。言葉が制御不能になる前に神に返します。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。(マタイ5:4)

聖書が慰めと救いになりますように。

ーーーーー

★yangmask

はい。思いやりや優しさ、慰め・・・。悲しむ人たちには必要ですよね。意味は分かります。でも、急がば回れですね。私たち人間は、「神からの優しさや慰め」というものは、無条件に誰にでも与えられるものではないということを理解しなければなりません。

6/15の注解で、エホバが私たちに常になぞなぞを出しておられるかのようだと書きましたね。実際には、エホバは私たちに事あるごとに語りかけておられます。ところが、多くの人が自分の関心事にしか興味を示さず、エホバからの呼びかけを無視しているような状態です。

電話のベルは鳴っています。ところが、その人は電話に出ません。であるにもかかわらず、「誰か電話して話し相手になって慰めてくれないかなー」と愚痴をこぼしているかのようです。同様に、エホバの呼びかけを無視しているのに、どうやってエホバの優しさや慰めを得ることができるでしょうか。

ケネディ大統領はかつて「同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」と述べました。まさに、そういう精神が必要ですね。まずは、自分のやるべき事をやる。そうすれば、その後からそれ相応の報いが必ず付いてくることでしょう。

そのやるべき事とは? そうですね。エホバの語りかける言葉に耳を傾けるべきことです。「慰めさえもらえれば、神の考えなんてどうでもいい」というような人が、神の慰めにあずかることはまずありません。急がば回れです。エホバの言葉に耳を傾け、そのご意志を深く知ろうと努める時、エホバはその人を「腹心の友」とみなしてくださるようになり、そのような温かい信頼関係のうちに、神からの慰めはもたらされるのです。

★まずは、エホバからの呼びかけに応えよう。そうすれば、エホバもお答えになり、こうして初めて、神からの慰めを得ることができる。

ーー

私も、日々、エホバお父さんからの慰めをいただき、支えられていますよ!

ーーーーー

★編集後記

うーん、興味深い討議でした。先日お勧めした「補給のメカニズムの解明」ととても関連性のある話ではなかったでしょうか。つい漫然と読んでしまいがちですが、皆さんも、語られる物事の背後にある原則・法則をできるだけたくさん拾い出すように努めてください。つまり、教訓を得るということですね。

ーー

あらゆる物事には「パターン」があります。そして、同じパターンを繰り返し経験するうちに、その物事の「メカニズム・仕組み」がだんだん分かってきます。そのメカニズムが分かれば、その背後にある「法則」も自ずと見出せるでしょう。

ですから、まずは「パターン・決まった型」を見出すことが必要ですね。そのためには、より多くの「情報・データ」が必要です。そのデータは、(1)本を読むことにより知識として、また、(2)直接自分が体験することによって得ることができます。

①多くの情報・データを入手する
②そのデータに見られるパターンを見出す
③そのパターンのメカニズムを解明する
④そのメカニズムの背後にある法則を特定する

という流れですね。

つまり、「たくさん本を読んで、いろんな体験をして経験を積み(知識・経験)」、「そこから得られた事柄を深く考えて、教訓を抽出していく(黙想)」ことで、私たちは、より賢くなれます。そして、賢くなれば、それだけ上手に物事が行なえるようになり、人生の道のりをよりスムーズに進んで行くことができるでしょう。

ーー

ところで、皆さんは、例の「補給」のメカニズムはもう解明できましたか? これが解明できれば、精神力が尽きてヤル気が起きないというようなことはもはやありません。是非、解明し、この補給のスキルを入手されるようにお勧めしますよ。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 日々の聖句 6/12 | トップ | 日々の聖句 6/14 »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。