エホバの証人再考

まもなくイエス・キリストは再びこの組織を検分されます!

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日々の聖句 6/15

2016-10-14 19:37:27 | 日々の聖句(再掲載)

http://wol.jw.org/ja/wol/dt/r7/lp-j/2016/6/15
より引用。

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6月15日,水曜日

王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです。―マタ 6:33。

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エホバは約束どおり,確かに祝福してくださいます。「神の義を……第一に求め」るとは,一つには,家族の責任についてエホバと同じ見方をするということです。

モーセの律法では,親は子どもたちに霊的な訓練を施す必要があるとされていました。この原則はクリスチャンにも適用されます。(申 6:6,7)神はそうした責任を両親に課しておられます。祖父母など,ほかの人たちにではありません。

ソロモン王はこう述べました。「我が子よ,あなたの父の懲らしめに聴き従え。あなたの母の律法を捨て去ってはならない」。(箴 1:8)

エホバは,両親が子どものそばにいて,子どもを教え導くことを意図されました。(箴 31:10,27,28)両親が毎日エホバについて話すのを聞き,エホバに仕える姿を見るとき,子どもたちは親と同じようにすることを学んでゆきます。

塔14 4/15 3:6,7


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★yangmaskの注解

申命記6:7はこうでしたね。

「あなたはそれを自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」。

さて、ここで重要な真理の一つを挙げますね。つまり、エホバ神の統治・教育システムというのは、まず目上の、教える者が模範・手本を示すというのが必定だという点です。例えば、イエスは最後の晩餐の時に、自ら弟子たちの足を洗いましたね。「私がした通りに、あなた方もしなさい」と。

一方、サタンのシステムはそうではありません。「俺はしないけど(したくないから)、代わりにお前がやれ!」という嫌なことは自分より弱い者たちに押し付ける、そういう支配なのではありませんか。

・・・と、こう考える時、上の申命記6:7をどう読めるでしょうか。つまり、エホバは、親たちに「〜しなければならない(しなさい)」と命令しておられます。そして、エホバが命令するからには、まず、自ら手本を示しておられるはずだということでしたね。

つまり、「エホバは、ご自分の教えを崇拝者たちに教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話している」と読み替えることができます。実際に、エホバは文字通り24時間ずっと私たち一人一人に関心を向けてくださっていて、事あるごとに教え諭しておられるということですね。

これを考えると、自分の周囲で起きる出来事を、常にエホバを意識した思考で見ることができるようになるでしょう。「エホバお父さん。この出来事には一体どんな意味があるのですか。私はここからどんな教訓を得ることができるでしょうか」と事あるごとに祈り尋ねるなら、エホバはよいお導きを与えて、私たちが正しい答えにたどり着くようにしてくださるのです。

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例えば、あなたがなぞなぞを出したのに、相手の友達がそれを無視して全く違うことを話し始めたとしたら、ちょっと悲しくはありませんか。イエスも「あなたたちのためにフルートを吹いたのに,あなたたちは踊らなかった」とマタイ11:16-19で述べた通りです。

同様に、エホバ神も、私たちの目の前に、日々、事あるごとに、「なぞなぞ」を提示しておられるとみなしてよいでしょうね。様々な出来事が起こりますが、「その意味(なぞなぞの答え)」を私たちはどれほど深く考えるでしょうか。

多くの人は、そのようなエホバ神からの「なぞなぞ」を無視して通り過ぎてしまいます。ゆえにエホバ神もそのような人に答え(真理の神聖な奥義)を示すことはされないのです。そのような人々は、「あなた方は聞くには聞くが,決してその意味を悟らず,見るには見るが,決して見えないであろう」という言葉の通りになります。是非とも、今一度、マタイ13:10-17を読んでみてください。

ーー

ちょっと脱線しましたが、最初の申命記6:7に戻ります。こうして、エホバ神から日々教えられ、愛情を注がれている人が親となって自分の子供を教える時初めて、エホバと同じ愛ある仕方で子供を教え諭すことができるようになるのです。ところが、エホバから十分に教えと愛情を受けていない人がこの聖句を実行しようとすると、エホバの方法でではなく、自分流の、大抵はちょっと逸脱した方法で子供を教えるようになってしまいます。

ですから、JW親による2世への教育問題の原因の多くはここにあると言えるでしょう。つまり、親そのものが、エホバ神、天の父からの、特に愛情を十分に受けていない状態にあるということです。

冒頭でも示した通り、エホバの統治・教育システムは「まず手本(自ら実践)」ということでしたね。もし、親が子供に教えたいのであれば、まずは親自身が天の父からどれほど教えられているかを省みるべきなのです。そうすれば、エホバと同じように愛をもって子供を省みることができるようになることでしょう。

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★編集後記

上記の見解は、要約すると、「自分と隣人(の関係)」=「エホバと自分(の関係)」という観点で思考するべきことを示したものでした。

例えば、同様に、イエスも、「あなた方が人の罪過を許すなら,あなた方の天の父もあなた方を許してくださるのです。けれども,あなた方が人の罪過を許さないなら,あなた方の父もあなた方の罪過を許されないでしょう」と言われましたね。(マタイ6:14-15)。

今後いつか、他の人の不完全さのために嫌な思いをすることがある(隣人→自分)なら、同様に、自分もエホバ神に対してそのような不完全さを示している(自分→エホバ)ということを思い出すとよいでしょう。

私たちの不完全さに対してエホバはガミガミ咎めたりされてきた(エホバ→自分)でしょうか。いいえ、寛大に慈悲深く穏やかに応対してくださっているのではありませんか。そうであるなら、やはり、私たちも他の人の不完全さに対して同様に憐れみ深くあるべき(自分→隣人)でしょう。(マタイ18:35。←王に多額の負債を許してもらったのに、隣人に貸したわずかな負債を許さなかった奴隷の話でしたね)。

ーー

この「自分と△△」=「エホバと自分」という思考は、生活上のありとあらゆる面で適用できます。今日の聖句の注解では、「自分と子供」=「エホバと自分」という点を取り上げましたね。

つまり、一を聞いて十を知るということです。日常生活で生じる物事の大半は、誰か他の人との関係において生じるものですが、上記のような思考の型を適用することで、その起きた物事を拡張して、エホバ神と関係として考察することができるわけです。まさに、一石二鳥ではないでしょうか。

ですから、人間関係で生じた物事を、単に人間対人間の関係のみの考察で終わらないようにしましょう。むしろ、その機会をフル活用して、自分とエホバ神との関係について考えるのです。

(そーですね、この法則を「人自・自神(じんじ・じしん)の法則」とでも命名しておきましょうか?)

ーー

実際、この人間社会で起きている事柄というのは、一種の「例え」です。その例えには、実体があります。例えば、エホバの(地上の)幕屋・神殿は、天の物事を表現したものでしたね。(ヘブライ9:9)。

同様に、あなたの身の回りで起きるどんな物事にも、実際にそのような霊的な意味・実体があると考えてよいでしょう。例えば、イエスの例え話にも、その先の霊的な意味があり、解き明かしが必要でした。(マタイ13:10-15)。

ですから、同様に、私たちの生活上で生じる物事の霊的な意味も熟考し、解き明かさなければ(解明しなければ)なりません。

その際に、役立つのが、今回取り上げた「人自・自神の法則」・・・ということですね。

この法則をいつも意識するなら、拡張的な思考ができます。思考を拡張するということは、それだけ質の高い結論・答えを導き出すことができるということですね。グレードアップです!

そのような答えは、エホバからのものであり、それを見出す時に、驚きと喜びと感嘆の念とを覚えることでしょう。それは、宝物を発見した時の興奮にも勝ります。(箴言2:1-9

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ただし、注意! こういう霊的な訓話は、霊的に元気な人が聞いて当てはめるなら、即実践し、益を得られるものですが、一方、霊的にあまり元気でない人がこういう話を無理に適用しようとすると、精神的にバテて、ダメになってしまいかねません。

例えば、より効率のよい走り方を教えられる場合、健康な人なら即実践できるでしょう。しかし、足を骨折している人ならどうでしょうか。その人にとっては、走り方よりも、骨折を治す方が先ですよね。

「愛を示しなさい」「もてなしなさい」「許しなさい」・・・という自己犠牲の精神に基づく聖書の助言を実践するには、より健康的な精神が求められます。なぜなら、自己犠牲は、その分、自分の精神力をすり減らすからです。先日、「補給なしの自己犠牲」は必ず失敗すると言いましたよね。

ですから、急がば回れ、です。もし今、自分の霊的な健康状態が思わしくなく、自己犠牲を実践するだけの精神力が十分にはないという場合は、まずは、その件を解決することを最優先にしましょう。

具体的な対策としては、最近掲載した、6/7以降の日々の聖句の注解と編集後記を、もう一度読んでみてください。何はともあれ、「補給」が鍵です。それさえ確保できれば、必ず元気になれますよ!
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