エホバの証人再考

まもなくイエス・キリストは再びこの組織を検分されます!

詳しくは左下の自己紹介のサイトを見てください!

日々の聖句 6/19

2016-10-18 18:49:51 | 日々の聖句(再掲載)

http://wol.jw.org/ja/wol/dt/r7/lp-j/2016/6/19
より引用。

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6月19日,日曜日

彼らがキリスト・イエスの払った贖いによる釈放を通し,……義と宣せられるのは,無償の賜物としてなのです。―ロマ 3:24。

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わたしたちが神との親しい関係を享受するうえで,イエスは何と重要な働きをしているのでしょう。謙遜な人たちはイエスを通してのみエホバを知り,エホバとの親しい関係を享受できます。

聖書はこの真理をどのように強調していますか。パウロはこう書きました。「神は,わたしたちがまだ罪人であった間にキリストがわたしたちのために死んでくださったことにおいて,ご自身の愛をわたしたちに示しておられるのです」。(ロマ 5:6‐8)

贖いの代価が支払われたのは,わたしたちの功績によるのではありません。わたしたちに対するエホバとイエスの愛によります。

イエスは,「わたしを遣わした方である父が引き寄せてくださらない限り,だれもわたしのもとに来ることはできません」と述べました。「わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」と語ったこともあります。(ヨハ 6:44; 14:6)

エホバは聖霊により,イエスを通して人々をご自分に引き寄せ,ご自分との良い関係を持てるよう助けてくださいます。人々が永遠に生きられるようにするためです。―ユダ 20,21。

塔14 8/15 3:8,9


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★yangmaskの注解

今日の研究記事では、エホバに近づくための備えとして、①贖いと②聖書が与えられているというものでした。

http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2014605

イエスの贖いの予型として古代イスラエルでは、動物の犠牲が捧げられていました。例えば、自分が車を運転していて他の人の車に衝突させてしまったとしましょう。100%自分の方に非があります。その場合、もちろん、弁償もしますが、それだけでなく、相手方のところに出向いて菓子箱の一つでも持って謝りに行くでしょう。手ぶらで行くということはまずありませんね。

このように、謝罪や関係修復を願う場合、人は何らかの贈り物を携えてその人からの好意を得ようと努めるものです。ヤコブがかつて自分を恨んでいた兄のエサウに久しぶりに再会しようとした時にも彼はそうしました。(創世記32:20、33:10)。

ーー

人と人との間でさえもそうなのであれば、神との関係修復を願い求める場合、私たちが「手ぶら」で行くようなことがあってよいでしょうか。アダムの子孫は全員、エデンの園から追放されて以降、エホバ神とは疎遠な関係にあるのです。

とはいえ、偉大な全能の神に一体何を差し上げれば、その目に好意を得るのでしょうか。私たちが神に対して犯してきた罪の代償はとてつもなく大きく、最終的に、人類はこれまで全員もれなく、その死をもってその代償を支払ってきました。つまり、私たちの罪を償うには、私たち自身の死、つまり、命と同等のものを捧げなければならないのです。

しかし、私たち自身には、そのようなものを捧げるだけの力がありません。ゆえに、イエスが天から降ってこられて、私たちの代わりに死に、私たちが支払うべき罪の代償を支払ってくださいました。

ーー

では、最初の例えに戻りましょう。事故を起こして菓子箱を持って相手方の家にやって来たところです。確かに、挨拶して菓子箱を渡しました。ところが、その人が全く反省しておらず、不誠実に振る舞うようなら、相手方はその人を許してくれるでしょうか。

このように、エホバに捧げるべきものはイエスが備えてくださいましたが、あとは、私たち自身が本当に誠実に悔い改めるかどうかに依存しているわけです。ですから、贖いは全人類に対して備えられましたが、それに私たち自身の悔い改めが加わるのでなければ、決してエホバ神との関係修復は実現しません。これが、贖いが備えられて2000年ほど経つのに未だにすべての人が神との関係を修復できていない理由です。

ーー

ですから、備えはあります。あとは、それを私たちが正しい態度で活用するかどうかですね。残念ながら、ほとんどの人がそうしていません。もし、あなたがエホバ神との個人的な関係を築き、神の友になることを願っているのであれば、この点を自己吟味することは不可欠です。

よければ、下記リンクもご参照ください。


http://ameblo.jp/yangmask/entry-12103737163.html

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★編集後記

では、現体制下で贖いの価値を理解せずに悔い改めない人々はどうなるのでしょうか? その点について、JWは、特にハルマゲドンで裁かれる人々や、楽園で復活しても再び反逆する人々は、永遠の滅びを被ることになると考えてきました。

しかし、最近、私の論文サイトでも新たに明らかにしたように、最終的にはすべての理知ある被造物が永遠の命を受け継ぐでしょう。その時、被造物の全員が、エホバ神の導きの下で正しい結論に達し、もはや悪魔とか悪人と呼べる人は一人もいなくなるからです。

詳しくは、
https://sites.google.com/site/jwbibleprophesy/hizoubutu

ーー

要するに、今の状況を一言で言うと「善と悪の戦い」です。もっと詳しく述べると、「自分本位に好き勝手に生きる」という利己的な思考(悪)と、「常に相手の立場に立って考える」という利他的な思考(善)ということですね。JWがよく言う「宇宙論争」です。

その論争で、サタンは、利己的な思考を、「自由」であると称し、良いもの、望ましいものとして推奨しているわけです。しかし、エホバ神はそのようなわがままな思考の行き着く結末を先見しておられ、それが虚しい結果に終わるということを、今のような世界をお許しになることにより、実体験を通して私たちに得心させようとしておられるのです。

ですから、すべての被造物(天使も人間も)が「あ、利己的な生き方じゃダメだ。やっぱり、利他的な生き方の方が幸福になれるよね」という正しい結論に達したら、この善と悪の戦いは終わります。数千年にわたって悪が許されてきましたが、私たちが得るべき答えというのは、実はたったこれだけのことなのです。

(※その裏付けとして、イエスは、マタイ7:12で、「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。事実,これが律法と預言者たちの意味するところです」と教えられましたが、要約すると、「『相手の立場になって考える』ということが聖書の言わんとすることなのだよ」ということですね)。

ただし、その正しい結論に達するには、「痛ーい」経験をしなければならないでしょう。そのために、こういう理不尽な世界が一時的に許されており、また懲らしめとなる裁きも下されるわけです。とはいえ、その痛い懲らしめも、エホバ神がすべての損失を癒し、回復させることにより、やがては遠い過去のものとなります。

ーー

・・・それで、現行で贖いの価値を理解し、受け入れ、自己犠牲の生き方を実践する人々は、①天でイエスと共に治めるキリストの花嫁(14万4000人)か、あるいは②ハルマゲドンを通過する大群衆として取り分けられます。

①の14万4000人は天における支配者クラスであり、一方、②の大群衆は地上における指導者クラスとなります。つまり、新しい楽園となる地上で、民を導く側の指導者たちを育成し、取り分けるというのが、現体制下で贖いの価値を理解できる人とできない人とがふるい分けられている意義だと言えるでしょう。

とはいえ、たとえ、現体制下で贖いに基づいて献身した指導者クラスに入れないとしても、絶望的であるということでは決してありません。指導者クラス以外の人々は、新しい地において生徒として再教育を施されるというだけのことです。

ただし、だからと言って、自由奔放に生きていいということではありません。なぜなら、先程述べたように、悪に傾けば傾くほど、「痛ーい」懲らしめが与えられるからです。

ですから、各自は、たとえ14万4000人や大群衆のような指導者クラスではないとしても、今、自分に出来る限りの義を示すべきです。そうすれば、その示す信仰と義の程度にしたがって、エホバ神も報いてくださるのです。
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