エホバの証人再考

まもなくイエス・キリストは再びこの組織を検分されます!

詳しくは左下の自己紹介のサイトを見てください!

日々の聖句 5/26

2016-09-15 17:51:48 | 日々の聖句(再掲載)

http://wol.jw.org/ja/wol/dt/r7/lp-j/2016/5/26
より引用。

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5月26日,木曜日

キリストの名のために非難されるなら,あなた方は幸いです。栄光の霊,すなわち神の霊があなた方の上にとどまっているからです。―ペテ一 4:14。

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忘れてならないのは,1世紀当時,真のクリスチャンは同時代の多くの人たちから憎まれたということです。

今日のエホバの証人も,「キリストの名のために非難される」のでしょうか。そのとおりです。わたしたちはエホバについて証しするだけでなく,イエスについても語り,イエスが神の王国の王であることを宣べ伝えるからです。

イエスご自身も,エホバの証人であったために迫害されました。イエスは反対者たちに,「わたしが父の名において来ているのに,あなた方はわたしを迎えません」と述べておられます。(ヨハ 5:43)

ですから,次回,証言をしていて反対に遭ったなら,勇気を出してください。そのような反応は,あなたが神の是認のほほえみを受け,聖霊が「あなた方の上にとどまっている」ことの証拠なのです。それに,世界各地でりっぱな増加が見られることも思い起こしてください。

塔14 7/15 4:14‐16


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★注解

やはり、ここで改めて思い起こすべきなのは、創世記3:15の最初の預言だと思います。そこでは、女と蛇が、また女の胤と蛇の胤が、互いに敵対することが示されています。

今日の聖句は、そのような敵対関係の結果生じるものであり、自分が、天使たち(女)の側か、悪魔たち(蛇)の側か、いずれに属しているかが明らかになる場面ですね。

ただし、自分は天使の側だから、敵対している人物は悪魔の手下だ、と自動的に決まるのではありません。もしも、自分が天使の子であるというなら、それに応じたふさわしい特質を示していなければなりません。

イエスと弟子たちはどのような態度で、そのような敵対関係に臨んだでしょうか。「ののしられても、ののしり返したりせず」、「悪に悪を返さず」、むしろ、「敵を愛し」、「他のほほをも差し出す」・・・、それらを実践しました。(ペテロ第一2:23、ローマ12:17、ルカ6:27-29)。

最近の日々の聖句でもよく出てきますが、言葉の用い方は極めて重要です。悪魔の子は、「自分の性向のままに語り」、「あしざまに言い」ます。話の動機や内容も「そねみ、闘争、ののしりのことば、悪意のうたぐり」、「貪欲、卑わいな冗談」など不健全な方向性を指し示しています。(ヨハネ8:44、ユダ8、テモテ第一6:4、エフェソス5:3-4)。

その人が、天使の子か悪魔の子かを見分ける一つのしるしは、上記のように、腐った言葉がその人の口から(ひいては心から)出てくるかどうかです。もちろん、それだけではありませんが。

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★編集後記

関連する点として、ヨハネ第一3:10にはこうあります。

「神の子供と悪魔の子供はこのことから明白です。すなわち、すべて義を行ないつづけない者は神から出ていません。自分の兄弟を愛さない者もです」。

つまり、神の子供であれば、「愛」と「義」を実践しているということですね。

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ところで、昨日の編集後記で、「物事にはメカニズム(仕組み)があり、その根本をたどっていくと必ずエホバ神に行き着く」と述べたのを覚えておられるでしょうか。

さらに述べると、メカニズムの背後には何らかの「法則」があるものです。例えば、今考えている「愛」にしても、「義」にしても、それが心に働くメカニズムが実際にあり、またそこには法則も関係しているのです。そのようなメカニズムと法則とをを解明する時、その物事の全体像が見えてきます。そして、それをどうすれば実践できるかが分かるのです。

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実践例として、「愛」について解明してみましょう。どうすれば他の人に愛を示せますか。そもそも、人はどのようにして愛を示すようになるのでしょうか。生まれたばかりの赤ちゃんの頃は頭も心もまだ真っ白ですが、では、いつどのように、愛というものが心の中に根付き、発露するようになりますか。(この点はご自分で深く黙想しましょう)。

結果から述べると、愛をよりたくさん受けた子供の方が、豊かに愛を表わすようになりますね。この事実から、人の心を器とか容器に例えることができると思います。つまり、いっぱい愛情を注がれて心がいっぱいに満たされると、今度は他の人に愛を注ぎ込むことができるようになるということですね。

私はこれを「インプット・アウトプットの法則」あるいは、「入出力の法則」と呼んでいます。つまり、まず入れる(入力する)のでなければ、決して出す(出力する)ことはできないということです。この法則は人間の学習全般(心や頭に「入れる」ということですね)にも見られます。例えば、聞いたことのない言語を突然話し始めることはできないでしょう。奇跡でなければ。

ですから、最初の命題にも戻ると、他の人に愛を示したい(出力する)なら、まずは「充電」(入力)しなければならないという結論が引き出せますね。ところが、この点を理解していないと、ただただ、「頑張る! 頑張れ! 頑張ろう!」と一時奮闘するものの、やがて心の中の愛の燃料がなくなって、燃え尽きてしまい、失意落胆することになりかねません。多分、開拓者がだんだんやる気がなくなってしまうのは、こういうメカニズムが関係しているものと思われます。

では、どうすれば、またはどこから、愛情を「補給」できるのでしょうか。子供であれば、親や祖父母や周囲の年上の人たちから愛情を注がれることでしょう。しかし、周囲にそのような愛情を注いでくれる人がおらず、未だ心が愛で満たされていない場合はどうですか。聖句は何と言っているでしょうか。そうですね、たとえ親がいなくても、エホバご自身が顧みてくださいます! 詩編27:10ですね。

実際、私はその経験者です。その点について詳しくは、以下を。

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n164708
の後半部分

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・・・と、このように、すべての物事には必ずメカニズムと法則とがあり、それを解明することによって初めて、それらを自分のものとすることができるのです。是非、皆さんも、人生における様々な物事のメカニズムを解くようチャレンジなさってみてください。

それが解明され、聖書の特質を身に着けていく時、神の子供と呼ばれるにふさわしい人となっていることでしょう。もちろん、エホバ神からの導きが不可欠ですが。
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