鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

チーム全体の活性化がクラブ通算17冠目達成につながったのだろう

2015年11月02日 | Weblog
鹿島の高度な守備意識にガンバ粉砕。17冠達成で新たな上昇気流に乗った常勝軍団
Text by 元川 悦子


史上最多6度目のナビスコ杯を制した

鹿島アントラーズとガンバ大阪という年末のJリーグチャンピオンシップ出場権を狙う強豪クラブ同士の顔合わせになった10月31日のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝。埼玉スタジアムに5万超の大観衆を集めて行われた大一番は拮抗した展開になると思われたが、最初から最後まで一方的な鹿島ペース。日本代表歴代最多キャップ数を誇る遠藤保仁が「負けるべくして負けた。全ての面で相手が上回った」と潔く認め、今野泰幸も「完全な自滅。ここまで相手に叩きのめされたのは(3冠に驀進した)去年の夏以降では初めて」とうなだれるほど、大きな内容の差があった。シュート数24対5で3-0という結果がまさに順当と言える一戦だった。

鹿島が特に優っていたのが守備意識の高さだった。この日の彼らは普段通りの4-4-2のフォーメーションを採り、最前線に赤秀平と金崎夢生、2列目に遠藤康と中村充孝、ボランチに小笠原満男と柴崎岳、最終ライン(右から)に西大伍、ファン・ソッコ、昌子源、山本脩斗、GK曽ヶ端準というメンバー構成で戦ったが、前線からのハイプレスが素晴らしかった。赤と金崎が相手の最終ラインやボランチからボールを追い、2列目、3列目が連動してフォローに行くから、G大阪は瞬く間にボールをインターセプトされてしまう。日本屈指の構成力とキープ力を誇る遠藤と今野ですら、ほとんどボールを持てずに苦しんだ。

そうなると、当然G大阪攻撃陣は孤立する。左サイドの宇佐美貴史が持ち前の個人技で強引に前へ行こうとしてもつぶされ、頼みのパトリックへのロングボールも昌子のベタマークに阻まれる。トップ下の倉田に至っては仕事らしい仕事を全くと言っていいほどさせてもらえない。「向こうの球際がメチャメチャ強かったんで、何もさせてもらえなかった。相手が本当に素晴らしかった。力が拮抗している相手との対戦で、これまで一番強いと思った」と倉田自身も相手の高度な組織的守備の認めるしかなかった。

今季第1ステージの鹿島は守りが落ち着かずに苦しんだ。トニーニョ・セレーゾ前監督も手を変え品を変え修正を図ったが、無失点で勝利したのは5月10日のFC東京戦と6月20日の横浜F・マリノス戦のわずか2試合のみ。かつて「1-0で勝ち切るのが常勝軍団の勝ちパターン」と言われた鹿島が第1ステージ通算25失点と最少失点のG大阪の約2倍にも上った。それほどまでに多くのゴールを献上したのでは、上位躍進は難しい。8位という結果もやむを得なかった。

7月11日にスタートした第2ステージも序盤はしっくりこず、19日の第3節で今季初昇格の松本山雅に敗れるという大失態を犯した。これにはフロントも我慢できず、セレーゾ監督の解任を決断。指揮官としての実績が皆無の石井正忠監督を昇格させるに至った。

Jリーグ発足当初、鹿島の最終ラインを担って第1黄金期を築いたDFの抜擢は期待と不安の両方を多くの人の感じさせたが、彼は予想外に高度な手腕を発揮する。「今日の試合見てもらえば分かると思うけど、勝利にこだわる、全員でファイトするっていうチーム。それができればいいサッカーできると思いますし、そこが欠けるとよくない。それを石井さんがしっかりと植えつけてくれた。Jリーグ初期からこのチームを知ってる石井さんは『アントラーズはまず戦うんだ』ってところをずっと言い続けてきた。練習からそれを徹底した成果が出たんじゃないかと思う」とナビスコ2度目のMVP獲得したキャプテン・小笠原も太鼓判を押していたが、セレーゾ時代に忘れられがちだった闘争心を呼び起させたのが一番の収穫だったかもしれない。

選手起用にしても、セレーゾ時代は控えに回っていた中村をこの大舞台でスタメン起用したり、今季ユース昇格組の19歳の鈴木優磨にチャンスを与えて結果を出させるなど、大胆な抜擢が目についた。そうなれば、チーム内の競争意識は俄然、高まる。今季序盤戦までは中途半端感の強かった若い世代の自覚も強まり、このファイナルでは非常に逞しさが感じられた。今季ポルトガルからJ復帰を果たした金崎も目覚ましい進歩を遂げた。チーム全体の活性化が2012年シーズン以来のタイトル獲得、クラブ通算17冠目達成につながったのだろう。

今回の連動したプレッシングがリーグ戦残り2試合でも発揮できれば、鹿島の逆転第2ステージ制覇は起こり得る。2007年に奇跡の逆転J1制覇を果たした時も、このような勢いと迫力があった。その再現をぜひとも見せてほしいものだ。


ナビスコ杯を振り返る元川女史である。
ガンバ側のコメントから端を発し、鹿島の守備が石井監督によって再構築された様を伝える。
ベテランの力や、選手の自主性、などいろいろな要因があろうが、監督交代は功を奏し、タイトル奪冠となった。
石井監督の手腕に今や疑いを持つものなどいないであろう。
この監督交代もまた、鹿島の伝統のなせる技。
素晴らしいことである。
ところで、元川女史は石井監督が現役時代にDFであったと記しておるが、本来はボランチであった。
先日の引退試合こそCBにて出場したが、特殊な場合である。
ジーコ不在時に背番号10を背負った男、それが現役時代の石井正忠である。

町田くん・久保田和音、U-18日本代表選出

2015年11月02日 | Weblog
U-18日本代表 イングランド遠征(11/9~17@マンチェスター)メンバー・スケジュール
2015年11月02日

スタッフ
監督:内山 篤 ウチヤマ アツシ(日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ)
コーチ:木村 康彦 キムラ ヤスヒコ(日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ)
コーチ:齊藤 俊秀 サイトウ トシヒデ(日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ)
GKコーチ:佐藤 洋平 サトウ ヨウヘイ(日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ)
選手
GK
1 小島 亨介 コジマ リョウスケ(早稲田大)
DF
6 浦田 樹 ウラタ イツキ(ジェフユナイテッド千葉)
4 町田 浩樹 マチダ コウキ(鹿島アントラーズユース)
2 藤谷 壮 フジタニ ソウ(ヴィッセル神戸U-18)
3 岡野 洵 オカノ ジュン(ジェフユナイテッド千葉U-18)
19 舩木 翔 フナキ カケル(セレッソ大阪U-18)
12 長谷川 巧 ハセガワ タクミ(アルビレックス新潟U-18)
MF
8 久保田 和音 クボタ カズネ(鹿島アントラーズ)
14 長沼 洋一 ナガヌマ ヨウイチ(サンフレッチェ広島ユース)
10 佐々木 匠 ササキ タクミ(ベガルタ仙台ユース)
7 堂安 律 ドウアン リツ(ガンバ大阪ユース)
16 渡辺 皓太 ワタナベ コウタ(東京ヴェルディユース)
15 伊藤 洋輝 イトウ ヒロキ(ジュビロ磐田U-18)
FW
11 杉森 考起 スギモリ コウキ(名古屋グランパスU18)
13 岸本 武流 キシモト タケル(セレッソ大阪U-18)
9 小川 航基 オガワ コウキ(桐光学園高)
 
トレーニングパートナー
DF 松坂 暖 マツザカ ダン(サウスエンド・ユナイテッドFC/イングランド)
MF サイ ゴダード サイ ゴダード(トッテナム ホットスパー/イングランド)
※U-18日本代表:FIFA U-20ワールドカップ2017出場を目指すチーム
スケジュール
11月10日(火)  PM  トレーニング                    
11月11日(水) AM トレーニング
11月12日(木) PM 練習試合
11月13日(金) AM 練習試合
11月14日(土) AM トレーニング
11月15日(日) PM 親善試合


イングランド遠征に向かうU-18日本代表に選出された町田くんと久保田和音である。
このチームでは中心選手として招集されておる。
マンチェスターの地にて、躍動し、連携を深めるのだ。
成長を楽しみにしておる。

小笠原も年長者の自信と誇りを持って、若手の挑戦を迎え撃つつもりだ

2015年11月02日 | Weblog
ベテランの背中に漂う自信と誇り…ナビスコ杯MVPの小笠原満男、36歳の真骨頂

ナビスコ杯で36歳6カ月でのMVP受賞となった小笠原満男 [写真]=Getty Images

 2012年のJリーグヤマザキナビスコカップを最後に、過去2年間タイトルから遠ざかっていた鹿島アントラーズ。過去16冠を獲得している強豪クラブには今季こそタイトルが求められていた。しかし2015年J1第1ステージは8位で終了。第2ステージも停滞感が色濃かった。そして7月19日の松本山雅戦で黒星を喫した直後、トニーニョ・セレーゾ監督が解任される事態に直面してしまう。

 その後、J初期のDFとして鹿島を支えた石井正忠監督がチームを引き継ぐと、常勝軍団は見事に蘇る。天皇杯は早々と敗退したものの、ナビスコ杯決勝進出、リーグ戦もチャンピオンシップ出場に手が届きそうなところまで上昇曲線を描いてきた。

「石井さんを男にしよう。男泣きさせよう」

 キャプテンマークをつける背番号40・小笠原満男は10月31日のナビスコ杯決勝・ガンバ大阪戦前のロッカールームでこう言って仲間たちの士気を高め、ピッチへと歩み寄った。

 立ち上がりから試合は一方的な鹿島ペース。最前線の金崎夢生と赤崎秀平のハイプレスを皮切りに彼らのボールを追いかける迫力は凄まじく、ガンバは全くと言っていいほどポゼッションができない。中盤の要・小笠原も頭脳的な指示で周囲を的確に動かし、自らも巧みなインターセプトと効果的な配球を見せる。前半からシュート数10対2と相手を圧倒しながら0-0で折り返すことになり、嫌な空気も流れたが、後半15分に彼の左CKからファン・ソッコが先制弾をゲット。残り6分というところで再び左CKから金崎の2点目をお膳立てした。その2分後にはカウンターの起点となるタテパスを柴崎岳に出し、最終的に途中出場のカイオがダメ押しとなる3点目を奪って完勝。「これほどまでに相手にいいようにやられられたのは今季初めて」と今野泰幸に言わしめたほど、鹿島、そして小笠原のパフォーマンスは光っていた。

 ナビスコ2度目、36歳6カ月でのMVP受賞はまさに当然のなりゆきだった。

「36歳っていう年齢はサッカーにおいて若い部類じゃないけど、若い頃になかったものが今はあるんで。36歳には36歳なりの良さがありますし。こういう舞台で勝ってきたことばかりがフォーカスされますけど、決勝で負けたことも何回もありますし、どうしたら勝てるのかを考えてきた。それが自分の力になっている。若い頃にあったものはなくなってるかもしれないけど、この年齢になって見えてくるものもある。歳を重ねるのは決して悪いことばっかりではないかなと思います」とベテランMFは堂々を胸を張った。

 この日は同じ79年組の遠藤保仁とのキャプテン対決としても注目された。99年ワールドユース(ナイジェリア)準優勝を経験した「黄金世代」の中で、小笠原と遠藤はつねにトップを走っていた小野伸二、稲本潤一(ともに札幌)、高原直泰(相模原)の陰に隠れることの多い存在だった。

 98年10月にタイ・チェンマイで行われたアジアユース最終予選の時などは、控えだけで練習をさせられた小笠原と遠藤、中田浩二(現鹿島CRO)らが不満のあまり、禁止されていたコーラをがぶ飲みしていたこともあったほどだ。その後の2000年シドニー五輪は2人揃って落選(遠藤は補欠)。2002年日韓ワールドカップも遠藤は選から漏れ、メンバー入りした小笠原はサブと、どこか出遅れ感が否めなかった。

 その2人が2006年ドイツワールドカップ以降、一気に巻き返しを図るとは一体、誰が想像しただろうか。小笠原は2009年にJリーグMVPを獲得。遠藤も2010年南アフリカ、2014年ブラジルと2度の世界舞台に立ち、2014年JリーグMVPに輝いた。

 遅咲きの2人のこの日の競演は小笠原自身にとっても感無量なところがあったという。

「ヤットとは10代の頃からずっと一緒にやってきたけど、非常に素晴らしい選手。選手としてもキャリアとしても自分の中では1つも勝ってるところはないけど、やっぱりチームとしては負けたくないと思ったんで。僕らって決していい思いばかりしてきた選手じゃない。悔しい思いも、いい思いも沢山してきたけど、やっぱり勝つ時はチーム一丸となる必要があることをともに理解してる。本山(雅志)や伸二、イナとかもいるけど、みんなでまだまだJリーグを引っ張っていければいいかと思うし、刺激し合っていけるような関係でいたいなと思いますね」と常勝軍団のリーダーはしみじみと語っていた。

 Jリーグは彼ら黄金世代を筆頭に、1つ上の中村俊輔(横浜)、1つ下の中村憲剛(川崎)らベテランの力が依然として際立っている。彼ら30代を若手が超えるのは至難の業だ。小笠原も年長者の自信と誇りを持って、若手の挑戦を迎え撃つつもりだ。

「『やれるもんならやってみろ』ってのはありますけどね」

 こう笑顔を見せた彼を、柴崎らはいつ超えるのか。小笠原が大舞台で示したものをしっかりと受け止め、日本サッカーの未来を担う若い世代にはさらなる奮起を求めたい。

文=元川悦子


ナビスコ杯決勝戦にて小笠原満男がMVPに選出され、良いコメントをしたことから文章を興す元川女史である。
「36歳っていう年齢はサッカーにおいて若い部類じゃないけど、若い頃になかったものが今はあるんで。36歳には36歳なりの良さがあります」から始まる言葉は、年齢という括りでを超えた重みがある。
同世代の遠藤ヤットとの対比を多く報じられたが、二人よりも年上の中村俊輔はFマリノスの中心選手として光り輝いており、またひとつ下の中村憲剛は川崎の攻撃を担っておる。
この経験は何にも変えることは出来ぬ。
「『やれるもんならやってみろ』ってのはありますけどね」と言い切れる自信を感じさせる。
これからも、ベテランの味を楽しませてくれるであろう。
喜ばしいことである。

鹿島が単に強いだけのクラブでなく、いかに優れたクラブであるか

2015年11月02日 | Weblog
6度目の制覇。なぜ鹿島はこんなにナビスコ杯で強いのか?
2015.11.02
浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki 佐野美樹●撮影 photo by Sano Mili


 つけ入るスキを与えない、圧倒的な勝利だった。

 10月31日、埼玉スタジアムでJリーグヤマザキナビスコカップ決勝が行なわれ、鹿島アントラーズがガンバ大阪を3-0で下して6度目の優勝を果たした。


ナビスコカップを制覇した鹿島アントラーズ。昨年覇者のガンバ大阪に勝利した

ナビスコカップを制覇した鹿島アントラーズ。昨年覇者のガンバ大阪に勝利した
 今季リーグ戦での両者の対戦成績はG大阪の2戦2勝とあって、試合前はG大阪有利と見る向きも多かった試合は、しかし、始まってみれば、鹿島が終始主導権を握り続けた。
 長谷川健太・G大阪監督も「今日は完敗。鹿島の力に圧倒された。90分を通して活路を見出すことができなかった」と、脱帽するしかなかった。
 それにしても、今年で23回目のナビスコカップで6度目の優勝は驚異的。4回に1回は鹿島が優勝している計算になる。とりわけ最近の”ナビスコ・マイスター”ぶりは際立っており、2011年から今年までの5大会で3度優勝という荒稼ぎである。
 なぜこれほどまでに、鹿島はナビスコカップに強いのだろうか。

 ナビスコカップは現在、若手選手の登竜門としての色合いが(好むと好まざるとにかかわらず)濃くなっている。ナビスコカップの試合は、週末のリーグ戦の合間を縫って水曜日に行なわれることが多いため、どのクラブにとってもすべての試合を同じメンバーで戦おうとすれば過密日程に疲弊してしまう。そこで、若手を抜擢する絶好機として活用されているわけだ。
 また、日本代表戦が行なわれている(その間、J1リーグが中断している)期間を利用して行なわれることも多く、日本代表選手を抱えるクラブにとっては物理的に主力選手を揃えられなくなることも、その理由のひとつとなっている。
 要するに、ナビスコカップは少数精鋭でシーズンに臨むクラブではなかなか勝ち抜けないということだ。若手を含めたクラブ全体の選手層が(単なる頭数ではなく)質の上で一定レベルに保たれていてこそ、手にできるタイトルなのである。
 だからだろうか、過去の優勝クラブ、あるいは決勝進出クラブを見ても、あまり番狂わせは感じられない。
 たとえば、04年の昇格からすでに12年目のJ1シーズンを迎えているアルビレックス新潟や、10年に2度目のJ1昇格を果たして以来、6シーズン目のベガルタ仙台。あるいは12年のJ1昇格以来、4シーズン目に入ったサガン鳥栖といったクラブは、リーグ戦ではかなりの健闘を見せている。

 彼らのリーグ戦での最高成績を挙げれば、新潟6位(07年)、仙台2位(12年)、鳥栖5位(12、14年)といった具合だ。ところが、こうした力があるはずのクラブでも、ナビスコカップを勝ち上がることは容易ではない。
 少なからず若手選手に経験を与える場としての要素を持つ大会なのだから、主力同士がガチンコでぶつかり合う試合以上に、“アクシデント”は起きやすいはずである。要するに、もっと伏兵が決勝まで勝ち上がっていてもおかしくなさそうなものだが、実際には同じような顔ぶれが毎年のように決勝で対戦するというのが、ナビスコカップの特徴なのだ。
 今年決勝で敗れたG大阪は昨年に続き、2年連続の決勝進出だったし、昨年決勝で敗れたサンフレッチェ広島は10年にも決勝に進出している。
 こうしたクラブに共通するのは、若手育成に力を入れ、“血の入れ替え”を図りながら選手層を一定レベルに保っているということ。短期的には移籍を活用した選手補強で強くすることはできても、クラブ全体の選手層を厚く保とうと思えば、やはり若い選手を育てていくことが必須だ。
 その顕著な例が、鹿島ということになるのだろう。

 だが、血の入れ替えは単に若手を起用しさえすれば円滑に進むものではない。ある日突然、メンバーをベテランから若手へガラリと入れ替えたりすれば、無理が生じて失敗に終わるのがオチだ。
「ミツオ(MF小笠原満男)、ソガ(GK曽ヶ端準)、モト(MF本山雅志)らの世代がチームにいることが重要。これまでアントラーズが積み上げてきたものを彼らが継承している」
 試合後、石井正忠・鹿島監督はそう語り、ベテランの存在を称えていたが、彼らのような存在が若手の力を引き出し、ひいてはクラブの総合力を高めているのが、今の鹿島なのだろう。
 今回の決勝を前に小笠原は、ミーティングで「勝つと負けるとでは本当に違う」と選手たちに話したという。ナビスコカップ決勝で勝つ喜びも負ける悔しさも知る、36歳のキャプテンが口にする言葉は「重みがある」とDF山本脩斗は言う。
「真ん中にああいう選手がいるのは心強い。言葉だけでなく、プレーでも体現してくれた。いるといないとでは大きな違いがある」
 山本がそう続けたように、小笠原のような存在があってこそ若手も成長を続けることができ、総合力は保たれる。

 リーグ戦に関して言えば、鹿島は史上初の3連覇を成し遂げた09年を最後にタイトルから遠ざかっている。
 だが、鹿島をただ勝った負けただけで語ることに、あまり意味はない。鹿島が単に強いだけのクラブでなく、いかに優れたクラブであるかは、むしろナビスコカップでの充実した成果こそが物語っているのではないだろうか。
 そんなことを感じさせてくれた鹿島6度目の戴冠だった。


鹿島のナビスコ杯優勝について記すSportivaの浅田氏である。
結果的に勝っているのが鹿島なのか、勝っているから鹿島なのか。
難しいようにも受け取れる。
しかしながら、鹿島の真髄を受け継いだベテランからは、鹿島ならではのコメントを聞くことが出来る。
それが伝統というものであろう。
これからも、この戴冠で若手が伝統を引き継ぎ、タイトルを獲っていくこととなる。
それが鹿島というクラブなのだ。

今回のタイトル獲得が、もう何度目にもなる鹿島の黄金期の始まりになる

2015年11月02日 | Weblog
何度でも甦る鹿島、ナビスコ杯優勝。
2年間の世代交代が実り、黄金期へ。

posted2015/11/02 11:50


キャプテン・小笠原満男は13年ぶり2度目のMVPに輝く活躍を見せた。

text by
飯尾篤史
Atsushi Iio

PROFILE
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS


 キャプテンの小笠原満男が貴賓席の前で優勝カップを掲げ、ゴール裏を真紅に染めたサポーターが咆哮する――。まるでデジャヴのような、すっかり見慣れた光景だった。

 それもそのはず、2006年のナビスコカップ決勝でジェフ千葉に敗れて以降、昨年までの8年間で鹿島アントラーズはカップ戦(ナビスコカップと天皇杯)決勝の舞台に4度立っているが、そのすべてで戴冠し、今年のナビスコカップのタイトルも掴んでみせた。

 ファイナルの戦い方を熟知しているチーム――。わずか2シーズン、タイトルを掴めなかっただけで大問題となる、常勝チームたるゆえんだろう。

 浦和レッズを下した'11年のナビスコカップ決勝でも、清水エスパルスを振り切った'12年の同決勝でも、際立ったのは、相手の出方を見定め臨機応変に戦って勝負を決める老獪さだった。

 だが、この日の鹿島は、ひと味違った。

 序盤からガンバ大阪に息つく暇を与えぬ怒涛のラッシュを仕掛ける姿は、チャレンジャーの挑戦を受けて立つ王者ではなく、チャンピオンに戦いを挑む挑戦者のようだった。

宇佐美までも守備に対応せざるを得ない状況に。

 その点で、相手が昨シーズンの三冠王者であるG大阪だったことも、鹿島にとってプラスに働いたのかもしれない。「予想以上に攻め込まれ、多少なりともビビってしまって、本来のガンバらしいサッカーができなかった」とは歴戦の雄、G大阪の日本代表MF今野泰幸の弁。鹿島の攻撃には王者をひるませるほどの迫力があった。

 G大阪のカウンター封じも完璧だった。

 右サイドバックの西大伍が強気の姿勢でポジショニングを高く取り、右サイドハーフの遠藤康とともにサイドで主導権を握る。そこにFWの金崎夢生も流れていくから、G大阪は左サイドバックの藤春廣輝だけでなく、左サイドハーフの宇佐美貴史までもが守備に対応せざるを得なかった。右サイドからの崩しのキーマンとなった遠藤康が振り返る。

「試合前から意識していたわけではないですけど、あれだけ守備に戻れば、宇佐美は攻撃にパワーを使えなくなるので、これは有効だなと思ってプレーしていました」

 こうしてG大阪の1トップ、パトリックを前線で孤立させると、センターバックの昌子源とファン・ソッコが激しくマークし、ボールを収めさせなかった。

13年ぶり2度目のMVPに輝いた小笠原。

 もちろん、独特のリズムでG大阪DFを撹乱した中村充孝、巧みにボールを引き出し、G大阪DF陣の脅威となった金崎、赤崎秀平の2トップの働きも見逃せないが、ひと際輝いていたのがこの日、13年ぶり2度目のMVPに輝いた小笠原だった。

 セカンドボールを何度も拾えば、狙いすまして遠藤保仁やパトリックからボールを奪い取り、ゴール前まで飛び出していく。

 ピッチ上の誰よりもタイトルを手にしてきたはずの男が、ピッチ上の誰よりもタイトルを渇望しているように見えた。

 前半のシュート数は12対2。決定機の数は5対0。これだけ押し込みながら得点を奪えなければ、サッカーの神様にそっぽを向かれてしまうものだ。

 実際、後半の立ち上がりは、パトリックと宇佐美にフィニッシュまで持ち込まれ、試合の流れがG大阪に傾きつつあるかに思われた。

 だが、鹿島はやはり老獪だった。そして、流れを引き戻したのも、小笠原だった。

 小笠原の右足から放たれた2本のCK。1本目はゴール正面に飛び込んだファン・ソッコが頭で合わせ、2点目はファーサイドで鈴木優磨が折り返し、金崎が頭で押し込んだ。 

 その後、途中出場のカイオが右足で豪快に蹴り込み、最終スコアは3-0。鹿島が隙を見せることは、最後までなかった。「本当に叩きのめされた。まったくと言っていいほど何もできなかった」と、今野も脱帽するしかなかった。

第1ステージと打って変わっての快勝。

 それにしても、第1ステージを一度も連勝することなく中位で終え、シーズン途中でトニーニョ・セレーゾ前監督の解任に踏み切ったのは、わずか3カ月ほど前のことだ。その頃、チームは間違いなく危機的状況を迎えていたはずだった。

 ところが、どうだろう。第2ステージでは優勝争いを繰り広げ、3年ぶりとなるタイトルまで勝ち取ってしまった。

 この復活劇を考えたとき、“戦う姿勢”と“自主性”を選手に取り戻させた石井正忠新監督の指導力も見逃せないが、浮かび上がるのは計画的なチーム作りとリカバリー力だ。

タイトル狙いと育成の割合。

「'13、'14年は若手を徹底的に鍛えてくれ、ってセレーゾにはリクエストしていたんだ」

 そう明かすのは、'96年から鹿島の強化における最高責任者を務める鈴木満氏である。

「うちのように若い選手を育てていこうとすると、どうしても波が出てくる。だから、『今勝つ』というのが大前提だけど、その上で3年後も意識しながらチーム編成を考える必要がある。例えば、100%タイトルを狙いにいくシーズンと、タイトル30、育成70の割合で臨むシーズンと、チーム状況によって重きを置くものの割合を変化させている」

 育成を重視すれば、我慢しなければならない部分も出てくる。それでも、あえてそうした時期を設けなければ、チームは未来に向かって回っていかない。

 まさに'13、'14年は世代交代が重要事項だった。そのため、若手の指導に定評のあるトニーニョ・セレーゾを招聘した。その結果、この2年間は無冠に終わったものの、世代交代が推し進められ、'14年は最終節で勝っていればリーグ優勝の可能性もあった3位でシーズンを終えた。

「タイトルを獲ってくれ、お前にとってもチャンスだよ」

 そこで'15年はいよいよタイトルを狙うシーズンとなる、はずだった。ところが、指揮官が若手の成長を信じ切れていなかったという。

「まだまだ教え足りないという感じで教えすぎて、選手の自主性が薄れている感じがした。あと、固定観念にとらわれすぎて、起用も硬直化していた。このままでは同じことが続くだろうから、決断するしかないなと」

 ここで次の一手をすぐに打てるのが、鹿島の真骨頂だろう。後任としてヘッドコーチ(当時)の石井を指名したのは、あくまでもタイトル獲得にこだわったからである。

「チームを知り尽くしていたし、ミーティングでも『主体性が大事』という発言をしていた。それに、外から監督を招いて意見交換をしていたら、第2ステージが終わってしまう。だから、石井に託したのは立て直しではなく、タイトル。『タイトルを獲ってくれ、お前にとってもチャンスだよ』と」

 実は、石井はシーズン終了後、コーチから監督に転身する予定だったという。

「うちになるか、外になるか分からないけど、そろそろ監督になるタイミングだと思っていた。だから、石井にもシーズン前『コーチは今年が最後だよ』って話していたんだ」

 予定より半年早い監督デビューとなったが、満を持しての登用でもあったのだ。

「満男が戻って、鹿島は変わった」

 オズワルド・オリヴェイラ体制の1年目の'07年。夏に小笠原がイタリアのメッシーナから復帰すると、鹿島はシーズン終盤に破竹の9連勝を飾り、J1逆転優勝を成し遂げた。

 その数日後、鹿島の元キャプテン、本田泰人からこんな話を聞いたことがある。

「『本田さんたちがよく『チームのために』って言っていたことの意味がようやく理解できるようになりました』って、満男が言うんだ。イタリアで試合に出られなくて、いろいろ思うところがあったんだろうね。帰ってきてからの満男はチームのために走り、周りを鼓舞し、戦っていた。満男が戻って、鹿島は変わったと思う」

 自身のプレーだけに集中しがちだった小笠原の意識が変わり、鹿島は'02年以来、5年ぶりとなるタイトルを手に入れた。タイトル獲得に足りなかった“何か”を埋めたのは、小笠原が放った強烈なリーダーシップだったと本田に説かれ、納得したものだった。

 小笠原にとってのきっかけがイタリアでの不遇ならば、鹿島の若い選手たちにとってのきっかけは、2年間の無冠とシーズン途中での監督交代を乗り越えて掴んだ今回のタイトルかもしれない。

世代交代を乗り越えて、黄金期が始まる。

「今日も満男さんは本当に球際で強く、MVPをもらうのも当然のレベルだったと思いますし、ソガさん(曽ヶ端準)ももちろん、モトさん(本山雅志)もベンチから声を掛けてくれて、ああいう先輩の背中を見て学ぶことが多いので、まだまだ現役を続けてほしいと思います。本当に'79年組は偉大だなと思います」

 22歳の昌子の言葉には尊敬の念が込められていたが、その'79年組も栄光とタイトルだけに彩られてきたわけではない。小笠原がひと言、ひと言、噛みしめるように言う。

「俺らだって、いい思いばかりしてきたわけじゃない。チームでも代表でも悔しい思いをしてきた。そういうのを経験して、若い頃にはなかったもの、この年齢になって見えてきたものがある」

 また、キャプテンはこうも言った。

「ひとつ取っただけで満足してもらっては困る。僕はまた優勝したいっていう気持ちなので、みんなもそういう気持ちであってほしい」

 まだまだタイトルへの渇望に陰りのないベテランと、主力として堂々と戦い、タイトルの味を知った若者たち――。

 これまで鹿島は世代交代を乗り越えたあと、黄金期を築いてきた。

 今回のタイトル獲得が、もう何度目にもなる鹿島の黄金期の始まりになるということを、歴史は教えてくれている。


ナビスコ杯優勝から、鹿島の内幕について伝えるNumberWebの飯尾氏である。
育成とタイトルの両立についての考え方、監督交代の経緯などが語られておる。
この夏の緊急就任がなくとも、石井さんはコーチを卒業する予定であった。
少し早くチャレンジすることとなったが、結果を出して名将へのスタートを切ったと言えよう。
ナビスコ杯のタイトルで、若手は成長を示した。
新たな黄金期と言われるのは少々耳が痛いが、これから多くのタイトルを得ていくこととなろう。
楽しみである。

鹿島、篤人より祝福の花

2015年11月02日 | Weblog
鹿島ナビスコVにシャルケ内田からお祝いの花届く
[2015年11月2日7時38分 紙面から]


内田篤人から鹿島のクラブハウスに届いたお祝いの花

 鹿島石井正忠監督(48)が1日、ナビスコ杯制覇の裏側を明かした。

 同杯6度目Vから一夜明け、鹿嶋市内で練習。クラブハウスにはシャルケDF内田篤人(27)からもお祝いの花が届いた。就任後初タイトルの同監督は「実は3-0になって3人交代した後、トイレに行ってまして」とポツリ。試合後の長いセレモニーも見越し終了間際に動いていた。J最多17冠、常勝軍団の余裕を感じさせる裏話だった。


シャルケの篤人より祝福の花が届いたクラブハウスである。
篤人も喜んでくれている様子。
更に喜びの報を届けるため、2ndステージ制覇を目指す。
明日からの練習再開には気持ちを切り替え、強い気持ちで戦おうではないか。
奇跡を起こしたい。

石井監督、決勝戦裏話

2015年11月02日 | Weblog
ナビスコ杯制覇から一夜、鹿島・石井監督「実は終了直前…」
 鹿島は1日、ナビスコ杯制覇から一夜明け、約1時間の調整。石井監督は「実は終了直前にトイレのため退席していた」と明かした。3人の交代枠を使い切り、後半41分に3-0とした後だったという。「緊張からかおしっこが我慢できなくて。セレーゾ前監督もトイレが近かった」と苦労をのぞかせた。ミーティングでは「切り替えよう」と話し、首位・広島と勝ち点3差の2位につけるJ1第2ステージの逆転Vを狙う。 (鹿嶋市)
(紙面から)


V導いた?石井監督 試合中のこっそり“トイレ休憩”告白

ナビスコ杯で鹿島を優勝に導いた石井監督
Photo By 共同


 鹿島がナビスコ杯優勝から一夜明け、リカバリートレーニングを行った。練習前のミーティングで石井監督は完勝したG大阪との決勝について「あの試合をうちの最低のベースにしようと」と話し、選手にさらなるレベルアップを求めた。オフを挟んで、3日からリーグ戦に向けた練習を再開する。

 また、試合中に“トイレ休憩”をしていた裏話も披露。「緊張すると行きたくなるんです。ハーフタイムに行けなくて。後半10分くらいからトイレに行きたくなって(後半41分に)3―0になってから行きました」。点差も離れて交代カードも切り終え、万難を排してから用を足したことを明かしていた。
[ 2015年11月2日 08:20 ]


ナビスコ杯決勝戦の裏話を白状した石井監督である。
緊張でおしっこを我慢しきれなかったとのこと。
トニーニョ・セレーゾ監督もトイレが近かったことまで暴露しておる。
多くのことを、これまでの監督から学んでおる。
采配に用兵、そして試合中にトイレに行くことも。
新人監督ながら、師匠筋は天下一品。
冴えた采配で勝利を積み重ねて行こうではないか。
楽しみにしておる。