鹿島の高度な守備意識にガンバ粉砕。17冠達成で新たな上昇気流に乗った常勝軍団
Text by 元川 悦子
史上最多6度目のナビスコ杯を制した
鹿島アントラーズとガンバ大阪という年末のJリーグチャンピオンシップ出場権を狙う強豪クラブ同士の顔合わせになった10月31日のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝。埼玉スタジアムに5万超の大観衆を集めて行われた大一番は拮抗した展開になると思われたが、最初から最後まで一方的な鹿島ペース。日本代表歴代最多キャップ数を誇る遠藤保仁が「負けるべくして負けた。全ての面で相手が上回った」と潔く認め、今野泰幸も「完全な自滅。ここまで相手に叩きのめされたのは(3冠に驀進した)去年の夏以降では初めて」とうなだれるほど、大きな内容の差があった。シュート数24対5で3-0という結果がまさに順当と言える一戦だった。
鹿島が特に優っていたのが守備意識の高さだった。この日の彼らは普段通りの4-4-2のフォーメーションを採り、最前線に赤秀平と金崎夢生、2列目に遠藤康と中村充孝、ボランチに小笠原満男と柴崎岳、最終ライン(右から)に西大伍、ファン・ソッコ、昌子源、山本脩斗、GK曽ヶ端準というメンバー構成で戦ったが、前線からのハイプレスが素晴らしかった。赤と金崎が相手の最終ラインやボランチからボールを追い、2列目、3列目が連動してフォローに行くから、G大阪は瞬く間にボールをインターセプトされてしまう。日本屈指の構成力とキープ力を誇る遠藤と今野ですら、ほとんどボールを持てずに苦しんだ。
そうなると、当然G大阪攻撃陣は孤立する。左サイドの宇佐美貴史が持ち前の個人技で強引に前へ行こうとしてもつぶされ、頼みのパトリックへのロングボールも昌子のベタマークに阻まれる。トップ下の倉田に至っては仕事らしい仕事を全くと言っていいほどさせてもらえない。「向こうの球際がメチャメチャ強かったんで、何もさせてもらえなかった。相手が本当に素晴らしかった。力が拮抗している相手との対戦で、これまで一番強いと思った」と倉田自身も相手の高度な組織的守備の認めるしかなかった。
今季第1ステージの鹿島は守りが落ち着かずに苦しんだ。トニーニョ・セレーゾ前監督も手を変え品を変え修正を図ったが、無失点で勝利したのは5月10日のFC東京戦と6月20日の横浜F・マリノス戦のわずか2試合のみ。かつて「1-0で勝ち切るのが常勝軍団の勝ちパターン」と言われた鹿島が第1ステージ通算25失点と最少失点のG大阪の約2倍にも上った。それほどまでに多くのゴールを献上したのでは、上位躍進は難しい。8位という結果もやむを得なかった。
7月11日にスタートした第2ステージも序盤はしっくりこず、19日の第3節で今季初昇格の松本山雅に敗れるという大失態を犯した。これにはフロントも我慢できず、セレーゾ監督の解任を決断。指揮官としての実績が皆無の石井正忠監督を昇格させるに至った。
Jリーグ発足当初、鹿島の最終ラインを担って第1黄金期を築いたDFの抜擢は期待と不安の両方を多くの人の感じさせたが、彼は予想外に高度な手腕を発揮する。「今日の試合見てもらえば分かると思うけど、勝利にこだわる、全員でファイトするっていうチーム。それができればいいサッカーできると思いますし、そこが欠けるとよくない。それを石井さんがしっかりと植えつけてくれた。Jリーグ初期からこのチームを知ってる石井さんは『アントラーズはまず戦うんだ』ってところをずっと言い続けてきた。練習からそれを徹底した成果が出たんじゃないかと思う」とナビスコ2度目のMVP獲得したキャプテン・小笠原も太鼓判を押していたが、セレーゾ時代に忘れられがちだった闘争心を呼び起させたのが一番の収穫だったかもしれない。
選手起用にしても、セレーゾ時代は控えに回っていた中村をこの大舞台でスタメン起用したり、今季ユース昇格組の19歳の鈴木優磨にチャンスを与えて結果を出させるなど、大胆な抜擢が目についた。そうなれば、チーム内の競争意識は俄然、高まる。今季序盤戦までは中途半端感の強かった若い世代の自覚も強まり、このファイナルでは非常に逞しさが感じられた。今季ポルトガルからJ復帰を果たした金崎も目覚ましい進歩を遂げた。チーム全体の活性化が2012年シーズン以来のタイトル獲得、クラブ通算17冠目達成につながったのだろう。
今回の連動したプレッシングがリーグ戦残り2試合でも発揮できれば、鹿島の逆転第2ステージ制覇は起こり得る。2007年に奇跡の逆転J1制覇を果たした時も、このような勢いと迫力があった。その再現をぜひとも見せてほしいものだ。
ナビスコ杯を振り返る元川女史である。
ガンバ側のコメントから端を発し、鹿島の守備が石井監督によって再構築された様を伝える。
ベテランの力や、選手の自主性、などいろいろな要因があろうが、監督交代は功を奏し、タイトル奪冠となった。
石井監督の手腕に今や疑いを持つものなどいないであろう。
この監督交代もまた、鹿島の伝統のなせる技。
素晴らしいことである。
ところで、元川女史は石井監督が現役時代にDFであったと記しておるが、本来はボランチであった。
先日の引退試合こそCBにて出場したが、特殊な場合である。
ジーコ不在時に背番号10を背負った男、それが現役時代の石井正忠である。
Text by 元川 悦子
史上最多6度目のナビスコ杯を制した
鹿島アントラーズとガンバ大阪という年末のJリーグチャンピオンシップ出場権を狙う強豪クラブ同士の顔合わせになった10月31日のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝。埼玉スタジアムに5万超の大観衆を集めて行われた大一番は拮抗した展開になると思われたが、最初から最後まで一方的な鹿島ペース。日本代表歴代最多キャップ数を誇る遠藤保仁が「負けるべくして負けた。全ての面で相手が上回った」と潔く認め、今野泰幸も「完全な自滅。ここまで相手に叩きのめされたのは(3冠に驀進した)去年の夏以降では初めて」とうなだれるほど、大きな内容の差があった。シュート数24対5で3-0という結果がまさに順当と言える一戦だった。
鹿島が特に優っていたのが守備意識の高さだった。この日の彼らは普段通りの4-4-2のフォーメーションを採り、最前線に赤秀平と金崎夢生、2列目に遠藤康と中村充孝、ボランチに小笠原満男と柴崎岳、最終ライン(右から)に西大伍、ファン・ソッコ、昌子源、山本脩斗、GK曽ヶ端準というメンバー構成で戦ったが、前線からのハイプレスが素晴らしかった。赤と金崎が相手の最終ラインやボランチからボールを追い、2列目、3列目が連動してフォローに行くから、G大阪は瞬く間にボールをインターセプトされてしまう。日本屈指の構成力とキープ力を誇る遠藤と今野ですら、ほとんどボールを持てずに苦しんだ。
そうなると、当然G大阪攻撃陣は孤立する。左サイドの宇佐美貴史が持ち前の個人技で強引に前へ行こうとしてもつぶされ、頼みのパトリックへのロングボールも昌子のベタマークに阻まれる。トップ下の倉田に至っては仕事らしい仕事を全くと言っていいほどさせてもらえない。「向こうの球際がメチャメチャ強かったんで、何もさせてもらえなかった。相手が本当に素晴らしかった。力が拮抗している相手との対戦で、これまで一番強いと思った」と倉田自身も相手の高度な組織的守備の認めるしかなかった。
今季第1ステージの鹿島は守りが落ち着かずに苦しんだ。トニーニョ・セレーゾ前監督も手を変え品を変え修正を図ったが、無失点で勝利したのは5月10日のFC東京戦と6月20日の横浜F・マリノス戦のわずか2試合のみ。かつて「1-0で勝ち切るのが常勝軍団の勝ちパターン」と言われた鹿島が第1ステージ通算25失点と最少失点のG大阪の約2倍にも上った。それほどまでに多くのゴールを献上したのでは、上位躍進は難しい。8位という結果もやむを得なかった。
7月11日にスタートした第2ステージも序盤はしっくりこず、19日の第3節で今季初昇格の松本山雅に敗れるという大失態を犯した。これにはフロントも我慢できず、セレーゾ監督の解任を決断。指揮官としての実績が皆無の石井正忠監督を昇格させるに至った。
Jリーグ発足当初、鹿島の最終ラインを担って第1黄金期を築いたDFの抜擢は期待と不安の両方を多くの人の感じさせたが、彼は予想外に高度な手腕を発揮する。「今日の試合見てもらえば分かると思うけど、勝利にこだわる、全員でファイトするっていうチーム。それができればいいサッカーできると思いますし、そこが欠けるとよくない。それを石井さんがしっかりと植えつけてくれた。Jリーグ初期からこのチームを知ってる石井さんは『アントラーズはまず戦うんだ』ってところをずっと言い続けてきた。練習からそれを徹底した成果が出たんじゃないかと思う」とナビスコ2度目のMVP獲得したキャプテン・小笠原も太鼓判を押していたが、セレーゾ時代に忘れられがちだった闘争心を呼び起させたのが一番の収穫だったかもしれない。
選手起用にしても、セレーゾ時代は控えに回っていた中村をこの大舞台でスタメン起用したり、今季ユース昇格組の19歳の鈴木優磨にチャンスを与えて結果を出させるなど、大胆な抜擢が目についた。そうなれば、チーム内の競争意識は俄然、高まる。今季序盤戦までは中途半端感の強かった若い世代の自覚も強まり、このファイナルでは非常に逞しさが感じられた。今季ポルトガルからJ復帰を果たした金崎も目覚ましい進歩を遂げた。チーム全体の活性化が2012年シーズン以来のタイトル獲得、クラブ通算17冠目達成につながったのだろう。
今回の連動したプレッシングがリーグ戦残り2試合でも発揮できれば、鹿島の逆転第2ステージ制覇は起こり得る。2007年に奇跡の逆転J1制覇を果たした時も、このような勢いと迫力があった。その再現をぜひとも見せてほしいものだ。
ナビスコ杯を振り返る元川女史である。
ガンバ側のコメントから端を発し、鹿島の守備が石井監督によって再構築された様を伝える。
ベテランの力や、選手の自主性、などいろいろな要因があろうが、監督交代は功を奏し、タイトル奪冠となった。
石井監督の手腕に今や疑いを持つものなどいないであろう。
この監督交代もまた、鹿島の伝統のなせる技。
素晴らしいことである。
ところで、元川女史は石井監督が現役時代にDFであったと記しておるが、本来はボランチであった。
先日の引退試合こそCBにて出場したが、特殊な場合である。
ジーコ不在時に背番号10を背負った男、それが現役時代の石井正忠である。