岐阜 柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」公式ブログ

山口敏太郎プロデュース!岐阜市・柳ケ瀬商店街にて開催されるお化け屋敷「恐怖の細道」の公式ブログです。

美川憲一さんが再び柳ケ瀬に降臨!「憲ちゃんまつり」ご報告

2016-07-27 15:18:34 | 日記

 2014年の春。我々「やながもん」は諸般の事情により、その夏の「恐怖の細道」の開催を断念することになりました。
2012年の第一回、そして翌2013年の第二回と、着実に「柳ケ瀬の風物詩」へのステップを上っている実感があっただけに、開催断念はまさに断腸の思いでありました。

 ですが、我々の「柳ケ瀬に対して何かをしたい!」という想いには変わりありませんでした。
そこで企画したのが、当時デビュー50周年を迎えていた我々の名誉顧問・美川憲一さんを柳ケ瀬に招聘する里帰りイベント、「お帰り、憲ちゃん!お帰り、『柳ケ瀬ブルース!』」でした。

各所のご協力をいただいて運営したこのイベントは、平日開催にも関わらず、写真のように柳ケ瀬の通り全体が人で埋まるほどの大盛況となりました。


あれから2年。「柳ケ瀬ブルース」の発売から50周年を迎えたメモリアルイヤーに、再び美川さんを柳ケ瀬商店街に呼びたい!
その想いに商店街の皆さん、柳ケ瀬で活動するまちづくり団体の皆さんが呼応いただき、今回の「憲ちゃんまつり」を開催することが出来ました。
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。

7月23日(土)朝10:00。会場となる旧長崎屋前特設ステージは、イベント開始前からご覧の状態。写真には写っていませんが、後方の柵の後ろには道路を埋めるほどの立ち見のお客さまの姿が。
美川さん自身も「柳ヶ瀬ブルースは私の原点であり、誇り」とおっしゃっていましたが、岐阜の、柳ヶ瀬の人たちにとっても、美川さんは誇りである。それを改めて実感する光景でした。

美川さんの登場を待つ「やながもん」吉村代表と、柳ヶ瀬商店街振興組合連合会理事長の林さんも緊張が隠せません。

そして、お客様みんなでの「お帰り、憲ちゃん!」の呼び声に導かれて、美川憲一さんがステージに登場。ポスターに使用させていただいた写真と同じ、紫の衣装です。

まずは主催者を代表して、「やながもん」吉村代表がごあいさつ。想像以上のお客様のご来場に、表情も緩みます。

続いて、岐阜県の商工観光課より、古田知事から美川さんへのメッセージが届けられました。

そして、柳ヶ瀬商店街を代表して、柳商連の林理事長から美川さんへ感謝状が手渡されました。偶然にも、林理事長は「柳ヶ瀬ブルース」が発売された1966年生まれ。50年もの長い間歌い継がれてきた「柳ヶ瀬ブルース」は、まさに柳ヶ瀬の「国歌」と言えるナンバー。美川さんが柳ヶ瀬に来られるなら直接お礼を申し上げ、感謝状をお渡ししたい、との想いが実現した瞬間でした。

そして、今度は美川さんから吉村代表へ、前日の「歌とトークのチャリティショー」での「憲ちゃんオークション」の収益が手渡されました。この収益は今後、「憲ちゃん基金」として柳ヶ瀬の活性化の基金として運用されていきます。

そしてお待ちかね、美川さんによる「柳ヶ瀬ブルース」の熱唱!50年前にこの歌が生まれた場所で、変わらぬ歌声が響き渡ります。
美川さんはステージから降りて、来場いただいたお客様一人ひとりと握手を交わしながら、噛みしめるように「柳ヶ瀬ブルース」を披露いただきました。

当初、美川さんには「柳ヶ瀬ブルース」ともう一曲、とお願いをしていたのですが、お集まりいただいたお客様のリクエストに応えて、「吾妻橋で待つ女」「さそり座の女」など4曲を歌っていただく大サービス!曲に合わせて手拍子をする吉村代表も、この心意気には感極まった表情でした。ファンを大切に、そして柳ヶ瀬という場所への想い。美川さんのあたたかい人柄が成し得た奇跡に、我々「やながもん」はただただ頭が下がる思いでした。



そして、名曲「幸せになりたい」をラストナンバーに、「憲ちゃんまつり」は盛況のうちに幕を下ろしました。
美川さんは休む間も無く、今度はお化け屋敷のオープニングセレモニーに参加いただくために会場を移動。
美川さんを一目見ようとその後に続くお客様の列は、数えきれないほどでした。


「憲ちゃんまつり」にお集まりいただいたお客様は、非公式ですが数千人にのぼったとのこと。ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました。
そして何より、私どもの思いに応えていただいた美川さんに、心より感謝を申し上げます。


美川さんと口裂け女が一緒にお菓子まき、そして美川さん自ら来場者をご案内、という光景もあった、「恐怖の細道」オープニングセレモニーについては、次回の更新でレポートします。


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