杉並からの情報発信です

政治、経済、金融、教育、社会問題、国際情勢など、日々変化する様々な問題を取り上げて発信したいと思います。

「TPPは社会的共通資本を破壊する!」宇沢弘文東京大学名誉教授

2011年11月01日 20時39分12秒 | 政治・社会
昨年10月に書きましたブログ記事「日本には素晴らしい経済学者がおられます。宇沢弘文先生です」を以下にお送りさせていただきます。

この記事は昨日配信させていただいた記事【日本の国家債務950兆円は米国が仕掛けた「日本経済破壊作戦」に闘わずして敗北したことが原因!】
のベースになった記事です。

宇沢弘文東京大学名誉教授は1997年に文化勲章を受章され日本人経済学者の中ではノーベル賞に最も近い学者と言われています。

若いころシカゴ大学で「新自由主義経済学」提唱者のフリードマン経済学部長と直接対決された「反自由主義」経済学者です。

TPPは「社会的共通資本を破壊する」と主張されご高齢にもかかわらずTPP参加反対運動の先頭に立たれておられます。



● 日本には素晴らしい経済学者がおられます。宇沢弘文先生です。

2010-10-23 「杉並からの情報です」

素晴らしい本に出会いました。宇沢弘文・内橋克人著「始まっている未来」(岩波書店刊\1470))です。

素晴らしい経済学者がおられます。東京大学名誉教授の宇沢弘文先生です。

宇沢弘文先生は今年82歳。米国滞在が長くミルトン・フリードマンがいた新自由主義の総本山シカゴ大学で経済学部教授としてフリードマン理論に反対する
「新古典経済理論」を研究し教鞭をとられていた方です。

長年の研究成果に対して1997年に文化勲章を受賞されています。

宇沢弘文先生は日本人経済学者の中でノーベル賞に最も近い学者と言われていますが、なぜか日本では一般的に知られていません。

なぜならば先生は「日本は米国に搾取されている植民地である」と公然と主張されているからです。

現在の日本の大苦境の原因は米国に強要され実行された「無駄な公共投資630兆円」であると主張されているからです。

日本の大手マスコミは意図的に先生の主張を報道しませんし経済学者は無視しているからです。

著書「始まっている未来」の中の「日本の植民地化と日米構造協議」の部分を下記に転載しますので是非お読みください。

現在日本が陥っている「10年ゼロ成長」「10年デフレ」「巨額な国家債務」「夕張の悲劇」の真の原因は、米国が海部政権に強要した「日本経済の生産性を
上げるために使ってはいけない」630兆円の「無駄な公共投資」だったことが良くわかります。

【宇沢弘文・内橋克人著「始まっている未来」より抜粋】

▼ 日本の植民地化と日米構造協議 (P41-P45)

宇沢

日本の場合、占領政策のひずみが戦後60年以上残っている。アメリカの
占領政策の基本政策は、日本を植民地化することだった。そのために、ま
ず官 僚を公職追放で徹底的に脅し、占領軍の意のままに動く官僚に育て
る。

同時に二つの基本政策があった。

一つはアメリカの自動車産業が戦争中に自らの利益を度外視し て国のために協力したという名目をつくって、戦後、日本のマーケットを
アメリカの自動車産業に褒美として差し出す。

もうひとつは農業で、日本の農村を、当時余 剰農産物に困っていたアメリカとは競争できない形にする。

ポスト・ベトナムの非常に混乱した時代を通じて、アメリカは経常赤字、財政赤字、インフレ―ションの三重苦に苦しんでいたが、とくに対日貿易赤字解消に焦点を当てて、
円安ドル高是正を迫ったのが、1985年のプラザ合意でした。

しかし、その後も、日本企業は、徹底的な合理化、工場の海外移転などによって高い国 際競争力を維持しつづけて、アメリカの対日貿易赤字は膨らむ一方だった。
そこでアメリカ議会は「新貿易法・スーパー301条」を制定した。

これは、もっぱら日本に焦点を当て て、強力な報復・制裁措置を含む保護政策の最たるものです。

それを受けて、1989年7月に開かれた日米首脳会談で、パパ・ブッシュ大統領が宇野首相に迫ったのが、「日米構造協議」の開催でした。

それは、 アメリカの対日貿易赤字の根本的な原因は、日本市場の閉鎖性、特異性であるとし、経済的、商業的側面をはるかに超えて、社会、文化など含めて
日本の国のあり方全般にわたっ て「改革」を迫るものでした。

日米構造協議の核心は、日本のGNPの10%を公共投資にあてろという要求でした。しかもその公共投資は決して日本経済の生産性を上げるた
めに 使ってはいけない、全く無駄なことに使えという信じられない要求でした。それを受けて、海部政権の下で、10年間で430兆円の公共投資が

、日本経済の生産性を高めない ような形で実行にうつされることにになったのです。その後、アメリカから、それでは不十分だという強い要求が出
て、1994年にはさらに200兆円追加して、最終 的には630兆円の公共投資を経済生産性を高めないように行うことを政府として公的に約束したのです。

まさに日本の植民地化を象徴するものです。

ところが、国は財政節度を守るという理由の下に地方自治体に全部押し付けたのです。地方自治体は地方独自で、レジャーランド建設のような形
で、生産性を下げる全く無駄なことに敬630兆円を使う。そのために地方債を発行し、その利息の返済いは地方交付税交付金でカバーする。

ところが、小泉政権になって地方交付金を大幅に削減してしまったため、地方自治体は第三セクターをつくったものは多く不良債権化して、
それが自治 体の負債となって残ってしまったわけです。630兆円ですからものすごい負担です。その結果、地方自治体の多くが、厳しい財政状況にあって
苦しんでいます。

日本が現在置かれてい る苦悩に満ちた状況をつくり出した最大の原因です。

内橋

押しつけられた地方財政の赤字、それを住民への行政サービスのそぎ落としによって埋め合わさせる。「みせしめの夕張」が必要だったわけです
ね。

宇沢

そういう政策を見ていると、日本は完全に植民地というか・・属国ならまだいいのです。属国なら一部ですから。植民地は完全に搾取するだけのもです。
それがいま大きな負担になっていて、救いようのない状況に陥っているわけです。

社会的共通資本のいろいろな分野、特に大気、教育、医療が徹底的に壊されていくことに対して、たとえば内橋さんがずっと正論を20年も主張されているときに、
同僚の経済学者たちがそれを揶揄したり批判したりする流れがあるのは、私は経済学者の一人として黙ってみていられない。

経済諮問会議も制度的な問題があるのではないでしょうか。首相自らが諮問し、首相自らが議長の諮問会議で議論して、答申を出す。それが首相
自らが 議長の閣議に出されて、自動的に決定され、政府の正式な政策となる。ヒットラーが首相となって権力を握ったときとまったく同じ方法です。

内橋

官邸独裁ですね。世界で初めて「生存権」をうたい、もっとも民主的とされたワイマール憲法のもとでヒットラーが生まれました。政治的独裁の危険に通じます。

いま、先にも触れました経済学者の中谷巌氏が市場原理主義からの「転向」「告白」「懺悔」の書を発表し、話題になっておりますが、気になるところもありますね。

アメリカでは競争万能の市場原理主義が社会の激烈な分断と対立をもたらしました。「喉元をかき切るような競争」のはてに共同体が崩れていく。
そこで失われた絆とか人間信頼の輪を取戻し、社会統合を回復すべき、と唱えて登場したのがネオ・コンと呼ばれる「新保守主義」でした。

中谷氏は今回の著作「資本主義はなぜじかいしたのか」(2008年集英社インターナショナル刊)のなかで、「古き良き日本」を回復すべき、と説いておられるように見えます。

昔の日本企業には人間相互の信頼とか絆があった、自分たちのやってきた規制緩和万能、市場原理主義がそれを破壊したのではんせいしている、そう いった筋書きです。

だから、古き良き日本型経営に戻ろう、と。そういうお気持ちなのでしょう。ですが、かつての日本は企業一元化社会であり、官僚絶対優越社会でした。
企業に対してロイヤリティー(忠誠心)を差し出し、献身を誓わなければ排除され、排除されれば社会的にも排除される。そういう企業一元支配社会にはほんとうに人間的な絆があったのか。


そうではないでしょう。規制緩和、市場原理主義という幻想から、今度じゃ古き良き日本的経営という幻想へ。

願わくば、幻想から幻想へと飛び跳ねる思想転向ではないことを、説井祈りたい気持ちです。

(抜粋終わり)

【経歴】宇沢弘文 (wikipediaより)

鳥取県米子市に小学校教員の次男として生まれた。宇沢家はもと法勝寺村(現在の南部町)出身で、のちに米子に移り、代々米屋を営んでいた。
父、祖 父共に宇沢家の婿養子であり、父・時夫は春日村の農家の生まれである。祖父は大工だった。宇沢が3歳の頃、父の時夫は教師をやめ、家屋を処分し家 族を連れて東京に出た。

一中、一高を経て東京大学の理学部数学科で学び、その後も数学科の特別研究生となって彌永昌吉らの指導を受け、数学者としての将来を嘱望されてい たが、
社会の病を治そうと経済学に転身した。当初独学で経済学を学び、

渡米して数理経済学、とくに不均衡動学の分野で世界的な業績を挙げた。新古典派の成長理論を数学的に定式化し、二部門成長モデルや最適値問題の宇 沢コンディションも彼の手による。

森嶋通夫と共に、ノーベル経済学賞の有力な日本人候補の一人だった[要出典]。思想的にはジョーン・ロビンソンなどのポスト・ケインジアンに近 く、ポール・サミュエルソン
などのアメリカ・ケインジアンに否定的である。

やがて公害などの社会問題が酷くなると、現実から切り離され形骸化した数理的経済理論から、公共経済学などの現実経済の研究に進んだ。特に自動車 の外部不経済性を痛烈に批判し、
自らも自動車や電車を使わずに毎日ジョギングで通勤していた。

成田空港問題の平和的解決にも尽力した。

また著書『日本の教育を考える』(1998年 岩波新書)にて、数学オリンピック予選参加者の指導者・子供らに批判的な考察を加えている。

逸話

* 極端に時間にルーズで東京大学でも講義に一時間以上遅れることはザラだった。それでも帰る学生は稀だった。

* 東京大学在職中に、五月祭のポスターに起用されたことがある。

年譜

* 1928年7月21日  鳥取県米子市に生まれる

* 東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)卒業

* 1948年 第一高等学校理科乙類卒業

* 1951年 東京大学理学部数学科卒業、1951年から1953年まで同特別研究生

* 1956年 スタンフォード大学経済学部研究員、1958年同助手、1959年同助教授

* 1960年 カリフォルニア大学バークレー校経済学部助教授

* 1961年 スタンフォード大学経済学部準教授、

* 1962年 経済学博士(東北大学) 博士論文:「レオン・ワルラスの一般均衡理論に関する諸研究」

* 1964年 シカゴ大学経済学部教授

* 1968年 東京大学経済学部助教授、1969年同教授、1980年同経済学部長

* 1989年 東京大学を定年退官し新潟大学経済学部教授に就任、東京大学名誉教授

* 1994年 中央大学経済学部教授(1999年定年退職)

* 1999年 中央大学経済研究所専任研究員、国連大学高等研究所特任教授

* 2000年 中央大学研究開発機構教授

* 2003年 同志社大学社会的共通資本研究センター所長

(記事終わり)




ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「遺伝子組み換え作物」の「... | トップ | 11月1日(火)のつぶやき »
最近の画像もっと見る

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。