回天日記 面舵いっぱ~い !

殆んどがボヤきです。

怪僧・瀬戸内寂聴、暴言を吐き犯罪被害者等を逆撫で。最早僧侶に非ず…

2016-10-08 20:18:59 | 戦後犯罪人(アカい連中)
人生も終焉を目前に、痴呆アカ尼僧で且つ怪僧・瀬戸内寂聴の堕落ぶりに益々磨きが掛かって来た。

6日福井市で、日弁連による死刑の存廃についてのシンポジウムが行われた。

瀬戸内寂聴は、其の席上で死刑制度を批判し、又、心の…否、魂の救済を生業とする僧侶とは思えぬ言葉の暴力も以って、殺人犯の故意による毒牙に掛かって命を奪われた被害者の遺族等に向かって非情な言葉を吐いた。

「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が死刑制度をま未だ続けている事は恥ずかしい。人間が人間を殺す事は一番野蛮な事。皆さん頑張って『殺さない』って事を大きな声で唱えて下さい。そして、殺したがる馬鹿どもと戦って下さい」

と…。

殺したがる馬鹿ども…。

此のババア、一体何をトチ狂ってこんな的外れな事を云うのだろうか…。

死刑制度の存廃について色んな意見が在っても構わぬ。

だが、此のババアの云い回しは余りにも酷過ぎはしないか?

殺したがる馬鹿ども…。

ならば、故意に殺人を犯す者はどうなんだ?

此のババアの云い回しは、殺人犯に対してではなく、死刑制度存置派のみならず、何の罪も無い者が一方的に殺された遺族に向けての言葉である。

身内や知人を殺され、悲しみのドン底に突き落とされ、心が弱っている者に此の追い打ちとも云える…否、追い打ちの言葉を浴びせる、此の非道さに背筋が凍る…。

瀬戸内は、定期的に会を催し法話の様な話を聞かせている。

中には相談を目的に来る者もいる。

瀬戸内の此の度の暴言。

若し、殺人に遭った者の遺族が相談に来たとしたら、同じ様な言葉を以って迎えるのだろうか…。

我が国の死刑制度は、何でもかんでも殺人犯は死刑にしてしまえと云うものではない。

法務大臣が判を付く際も、悩みに悩んで判断する。

オウム真理教の麻原死刑囚を見よ、何年経っても死刑が執行されず、塀の内側で三食喰らい、風呂にも入り、雨風も凌いでいる。

報復の恐れも無い。

云い方を変えれば、一般人を無差別に殺して回ったテロリスト集団の親玉が、手厚く護られているのである。

此のババアは、そんな事も頭には無く、唯単に「死刑制度廃止」を唱えて、如何にも人権を重視した僧侶である事を誇示している。

死刑制度を利用して、己の名声を高めようとしているだけの事である。

人を故意に殺せば、己の身を以って償って貰いたいものだ。

我が国の絞首刑では、惨殺された者の恐怖の幾分も感ずる事は出来ぬが、投獄されて看守の足音が、いつ自分の部屋の前で止まるのだろうかと云う恐怖に怯える日々で、殺された者の恐怖の幾分かでも味わうがいい。

一瞬にして命を断たれた者の悔しさや残念気持ちを考えれば、死刑制度が如何に必要かが解ると云うものだ。

そして、此のババアの痴呆言動に、「あすの会」顧問の岡村勲弁護士は…

「被害者は皆んな加害者に命を以って償って貰いたいと思っている。其の何処が悪いのか。馬鹿呼ばわりされる謂れは無い!」

と怒り心頭である。

だが、此のババアには、其れが理解出来ぬ様だ。

能く其れで、僧位を取得出来たものだと呆れてしまう。

今からでも遅くは無い、穢れた法衣を脱ぎ捨て、僧位を返上せよ。

貴様の言動は、最早僧侶の其れでは無い…。

此のババア…。

僧位を取得して、他人に道を説いて来た。

本を書けば、其の本に書かれてある言葉で背中を押して貰おうと悩める純粋な人々は書店に駆け付ける…。

ひとたび講演会を開けば、悩める純粋な人々は解決のヒントを求めて馳せ参じる…。

瀬戸内は、テレビの取材が来るとなると、儲けたカネで購入した高価な壺や絵画を見せびらかす…。

宗教者は因果律の体現者であり、富の体現者であらねばならぬのは解る。

だが、其れを見せびらかす事ではない。

瀬戸内寂聴は、道を踏み外して人生の軌道を此処迄に大きく狂わせてしまった。

残念だがもう軌道修正は適わない…。

瀬戸内寂聴よ、最早貴様の言動は宗教者に非ず。

「闘争」と云う、左翼特有の気の病に絡め取られた瀬戸内寂聴。

仏の世界に、「闘争」等と云う概念は無い。

此のボケ尼僧は、暴力を以って事を為す左翼の実態を知ってか知らずか、極左過激派の思想に同調し、其の分子共と共に奇声を上げている。

無知とは恐ろしいものである。

幾ら老齢だからと云って、人に一端の道を説く者が、此処迄に無知とは呆れてしまう。

現実と妄想の境が無くなり、脳は思考を止め、精神は分裂し、自分が今どの立ち位置にいるかも解らなくなっている。

瀬戸内寂聴よ、貴様も最早余生は残り少ない。

闘争に身を投じて、怒りの儘に人生を終える積もりか?

悪い事は云わぬ、今後迎えが来る其の時迄心穏やかに過ごすがよい。

仏門に身を投じて積んだ徳は、貴様の左翼闘争に拠って消えてしまった事を今こそ自覚する時である。

今後は、己の狂った人生を省みて、仏に一心に懺悔せよ。

今後は懺悔の日々を送って、仏に背を向けていたのをやめて、仏を真正面に見て、仏の御胸に飛び込むがよい。

必ずや、仏は抱きしめて下さるに違いない。

釈尊は仰った…

「縁無き衆生は度し難し」

と…。

瀬戸内寂聴よ、貴様も僧侶ならば、此の釈尊のお言葉は解るであろう。

テロリストや其の分子共に同調するボケ尼僧の瀬戸内寂聴よ、貴様には矢張り仏縁は無かったのである…。

能く噛みしめるがいい。


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