趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyのお城歩き:水口岡山城

2014-11-07 16:06:28 | 城址

主郭東西に天守級の建物があった
               水口岡山城 滋賀県水口町    
新たに発掘の二か所から石垣、瓦、礎石 などが
  実感ですね、秀吉の城、本当にあったんや
 
  第三次発掘調査現地説明会で案内された現場を見て
                 Kennyの滋賀から情報発信

              このブログの掲載期間:11月28日~12月4日)

今回(第三次)はお城の主郭部、その東西両端を発掘
下の写真をご覧ください。三筋の街、水口町の航空写真です。
そして、緑の山がお城のある大岡山(現在の古城山)です。


             
   山頂の白く細長い地が水口岡山城の主郭部分です
                      (水口町紹介パンフレットの写真に私が加筆)

 
                             
西側     主郭部(山頂部)     東側

         
                      
水口町の、その昔の大手道から見た大岡山

今回の発掘からこんな事が分りました
出てきた石垣や瓦、礎石から 主郭(山頂部)の東西両方に天守級の重
層建造物
(二階建て以上の建物)があったと推定できる。

それは同じ規模の天守があったとは考えにくく、石垣の並びや若干
の規模の違い(実際発掘に携わった解説員の ”強いて云えば” またそ
う考えたいとお断わりの上で)から東側が主の天守級、西側に同規模
の櫓があったのではと。


なお、お城と云えば天守を思い浮かべるけれど、この城にいわゆる天
守があったかどうかは現時点不明だそうです。

余談です:
  ・・らしいです天守と天守閣 :  本来、天守と呼ぶ方がよろしいようで、天守閣
                      は通俗的に使われているとか。

 (ご参考)
ウィキペディアの部分引用:
       
「てんしゅ」の漢字表記は「殿主」「殿守」「天主」なども当てられる。
              天守閣(てんしゅかく)という呼称は明治時代前後に見られるよう
              になった俗称である。建築学の学術用語では「天守」(てんしゅ)が
              用いられている。

新たに見つかった石垣
東端

 

                              瓦葺建物の礎石とみられる

西端

                                 石階段


                                 石組溝


                           根石(建物などの土台石)
                     

異なる種類の瓦が大量に
東端からは: 例えば大溝城(高島市)の瓦が転用されていた


               こんな風にいろんな形の瓦がごろごろと埋まっていました


                                   当日会場で展示されました


                 水口岡山城築城時に制作された軒瓦 (同展示品、以下同じ)


西端からは: 
矢川寺など寺院の瓦が転用されていた

 

 


                           側石に石仏を転用(パンフレットから)

これだけ当時の宝物を見せて貰ったら!
さほど大きな山でもないし、お城・砦(跡)の多い滋賀県に住んで、
ちょこっと城跡歩きをしている私のような者でも、まあ、それな

の程度の城跡(それ程期待は・・)かと思っていましたが、なんと
今回の現地説明会は目か
らウロコものでした。

       本当にあったんだここに! 威容を誇る拠点城郭が

破城
関ヶ原の合戦で西軍が破れ、東軍(徳川)によって東海道を睨む

秀吉にとって超重要拠点だったこの城も叩き潰されたのですが、
石垣に纏わりつくように、叩き潰されたのかこれらの瓦礫を見て、
なるほど、物語風に聞いていたこのお城、今日の見学でしっか
りと実像を見た気が
しました。 

水口岡山城
天正13年(1585)、秀吉は中村一氏(かずうじ)にこの城を築かせ
ました。このころは既に東海の徳川家康や関東の北条氏は
秀吉
にとって敵対する勢力であり東海道を眼下に見据え、鈴鹿峠
を望
む立地のこの水口は東国への足掛かりとして重要な城でした。

     
                          当日参加者が頂いた資料


次に期待
これからも発掘調査は続き、近い内に現地説明会も期待できるそ
うです。

参考資料:当日頂いたパンフレット(上の写真)、ウィキペディア

ちょっと余談
見えていました、山頂の広場から鈴鹿の槍ヶ岳、鎌ヶ岳。 こんな
山容、初めてみました。

   
                       鈴鹿山系 鎌ヶ岳
                              
                          

    今日もご覧くださいましてありがとうございました

 



 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Kennyの山便り:伊吹山から槍... | トップ | Kennyの写真館:わいわ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
水口岡山城 (めりい)
2014-11-29 23:00:20
水口岡山城から新たな発掘があったと、私も新聞記事で読みました。
kennyさんは、さっそく現地説明会に行かれたのですね。

>東側が主の天守?
やはり、そうですか。
先日行った時、大手からまっすぐ見える東側に天守があったのでは?という話を聞いていました。
発掘調査から、それが推定できるようになったのでしょうね。

>山頂の広場から鈴鹿の槍ヶ岳、鎌ヶ岳
いや~気をつけて見れば、見えるものなのですね。
私は全く気がつかずにいました。
城跡、合戦跡 ロマンに浸り、ところが・・ (Kenny)
2014-11-30 00:18:44
お城跡の探索ツアーにはこの6年、おうたん主催他、各自治体、民間と相当の回数お世話になりました。 その殆どは発掘調査現地見学会ではなかったものですから、今回の催しは目の覚める思いでした。 今までの催し物も、そうかここに櫓が、堀切がと思いを馳せて戦国ロマンに浸り、でもその時代に生まれなくてよかった、なんて高見の見物気分で楽しんでいましたが、発掘現場を見るのはより現実に触れることが出来、ロマンを超えていました。

山頂広場からここがなー、と思いにふけり、麓、そして更に目を遠くに向けると、△の山が目に飛び込んできました。 めりいさん、コメントありがとうございます。 Kenny

城址」カテゴリの最新記事