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5爺の自転車を漕いで:近郊の城址歩き:第8回

2017-10-10 14:40:03 | 5爺:野洲市内のお城址巡り

 5人の爺さん、自転車を漕いで  
     野洲市内の 城址巡りをしています
              
 滋賀県野洲市
 
                         
 (第8回:全10回)      
      
  Kennyの滋賀から情報発信

野洲市内の城址
今まで見てきた市内のお城(館)址は今から450年以上も前
六角氏の家臣の城でした。

今日歩く城址は300年ほど前の江戸時代の城(館)址です
             三上藩の城(館)

今回訪ねた城(館)
 三上館中屋敷址、三上館下屋敷址、小清水城址


                           三枚の合成写真です   野洲市妙光寺地区


                    5爺の食欲は旺盛です  城址探索を終えて   

さてお城巡りです
三上館中屋敷と次に掲げる三上館下屋敷、そして今回は訪ね当
てることは出来なっかったが、三上館上屋敷が藩主の、また三上
藩の家老だった鷲見(すみ)の屋敷だったのでしょうか 。 規模も
大きく主となるお城(館)のようです。 詳細は私の今後の課題です。

この、中と下屋敷は現在民家としてお住まいで、下屋敷のYさんと
は当日ご在宅で、暫し歓談させて頂きました。

   
           畑仕事中のもっと先輩のおじいちゃん

訪問時当日、畑仕事のお爺さんが、上屋敷に殿さまが、下屋敷に
は御姫さま
が住んでいやはったんやで、と。

三上館中屋敷
実は、取材(見学)当時はここが上屋敷と理解していましたが、ここ
中屋敷の間違いでした。後日(12月18日の再訪問で当主三上様
からここな中館だとお聞きしました。(12月23日17年 訂正)



       土塁が立派に残っています   今お住まいのMさんが手入れされているんですね


                   敷地は今も土塁で囲まれています


                       お屋敷の正面左側から

お詫びとお礼: 
当日お留守でしたが、勝手ながらお屋敷の周囲を歩き写真撮影を
           させて頂きました。 ありがとうございます。


三上館下屋敷


                        堀の名残



                  この下屋敷も土塁で囲まれています
           ところが、お住まいのYさんのお話では、湿気がひどく
                      一部は取り払ったと
              
   



     虎口(こぐち)だったのだろうか、土塁の一部が切れており石垣が積まれています




                道路から見た三上館下屋敷(中央部)のある森

お礼: Y様、過日は突然の訪問にも関わらずありがとうございました。
          
小清水城址

最初にお断りです。 この小清水城址は間違いかも知れません。

事前にネットで検索しますと、幾つかの情報はこの場所が小清水
城址とあります。 しかも、地図、そして私が撮った写真も合致。

ところが! 近くで畑の手入れをしていたおじ様は、ここが城址とは
聞いたこともなくあの堤(土塁)は元ここを流れていた野洲川の堤
で、もっと長かったが、国道8号線付け替え工事で崩してその土を
もって行った、と。 下の写真で土塁と思っていたのは野洲川の堤
だった、との事です。

さて困ったですが、歴史はロマンとして私もここが小清水城址として
取り上げることにしました。


                        しっかりと残る土塁

                                 


                          堀跡は今は水路に 


                 城内   段差や大きな穴などが見られます


                                                  城内


               所在地は御池、妙光寺山への途中、この橋の正面です


筆者の備忘録
三上藩: (ウィキペディアより)
元禄11年(1698年)、譜代大名の遠藤胤親が近江国内で1万石を与えられ、野洲郡
三上に陣屋を構えた。遠藤氏は美濃国郡上八幡城主であったが、元禄5年(1692年)
に常久没後に改易とされたが、親族の旗本白洲氏の子息を一旦大垣藩戸田氏の養
子とした上で、改めて遠藤氏相続としてお家再興が実現した。その後、遠藤氏は大番
頭として、二条城、大坂城の城定番を勤めている。元禄13年(1700年)近江三上に
封され、陣屋を構えた。

第5代藩主で若年寄の遠藤胤統は功績を認められて2千石の加増をうけた。 第6代
藩主の胤城(たねき)の時明治維新を迎えている。明治3年(1870年)に和泉国吉見
に陣屋を移して吉見藩となった。翌明治4年には廃藩置県となり吉見藩は消滅した。

鷲見(すみ)家: 三上藩遠藤氏の家老 
遠藤家の家臣として三上(滋賀県野洲市)に移りすみ、家老として江戸時代末期まで
この地に家を構えていた。

見家ももとは美濃の郡上八幡に住していた武士の一族である。現在も岐阜県には
高鷲鷲見(たかわしわしみ)という地名があり、このあたりはいまなお鷲見氏の本拠地
である。附言しておくと、いまの地名はワシミであるが、かつて鷲見郷と呼ばれていた
時代にはスミと呼んでいたそうである。

今回のお城址は今、住宅や田畑で


          訪ねる城跡は遺構が残っていないこと(民家、田畑に)が多く、地図が頼り
                 また、ここに城(館)があったんやね~、で偲ぶお城址も


 
    探しつかれて、灌漑ダムに出ました  暫し歓談です   画面に初めて筆者登場・・
                                                                                   いつもは写真の背後に(笑)



               灌漑ダム ずいぶん水が減っています 


           今日もご覧くださいましてありがとうございました
                                            
                                                                    
   (10月11日UP)

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