山代日記 ~神楽とか、田舎行事とか~

山口県岩国市錦町に伝わる上沼田神楽を中心としたブログ。
広域組織の山代神楽連絡協議会や農作業、田舎行事なども掲載。

上沼田の道つくり

2011年07月31日 20時37分00秒 | 沼田のできごと

毎年8月の第一日曜は上沼田の市道、集落墓地への道の草刈りの日。
今年は曜日とかの都合で7月31日らしい。

何にせよ、盆前に集落をキレイにして、帰省者を迎えようとのこと。

各家から1人ずつ。草刈機やがんぜき等を手に集まり、下沼田との境から段々と上がっていく。70歳以上のお年寄り達も、本当に元気に動く。
お宮を越え、集落墓地まで。

昔は集落で火葬をしていたらしく、亡くなった方を自分たちで作った棺に入れ、4人がかりで担ぎ、集落を登ったらしい。墓地には窪みがあり、そこで火を入れていたという。
火事にならないように見張りをしていた人は、本当に強い人だったんだろう。

・・・・・無理だなー。

どうやら50年くらい前まではそんな世の中だったようだ。

Dvc00533

Dvc00534

7時30分から始まった作業も9時30分頃には終わり、お菓子タイムの後10時頃解散。

昼寝を挟み、昼からは田の予防を行った。
よーわからんけど害虫がつくのを防ぐらしく、水に溶かした薬品を水圧をかけて散布する。

鮎川家の田(2反くらい?)と隣の岡村家の田(2反くらい?)だが、何せ点在しているため、移動してはホースを延ばして散布し、収納。また移動しては・・・・の繰り返しで、3時間くらいかけて完了。

いい汗をかいた。

Dvc00537


神楽面

2011年07月15日 07時19分57秒 | 上沼田神楽

神楽で、その神の姿を表す「面」。

古くは木彫り面が主流だったが、いつからか知らないが、石見を中心に和紙による面が発祥し、その軽さ、扱い易さから、石見、芸北地方を中心にこれが主流になりつつある。
上沼田に残る面も全て和紙製で、浜田の方で購入している。
昔は2~3日かけて泊まりがけで買い出しに行っていたという。今でも車で1日仕事なんで、昔はそりゃ大変だったろうなーと察します。

こないだ、上沼田神楽の古い道具を収納している倉庫に入ったら、戦前のものと言う神楽面がでてきた。
もうかなり使い込まれていて、表面の和紙が剥がれているものも多かった。
今に比べたら丸形で、当時の志向が伺える。

Dvc00465

釜ヶ原神楽には、古い木掘りの神楽面が残っていた。
地区の古老が言われるには、価値が付けられないほどの貴重・重要なモノ。
道具や記録が残っているかどうかは、文化財としての「評価」にも影響します。地区の歴史そのものでもあるでしょうね。

高千穂神楽を見させてもらった時は、面を被るときに両手をあわせ、感謝(?お願い?)してからでないと被っていないようだった。
面を被ることでその神になるわけで、その面は神と同じ存在として扱われているんだなーと感心した。
それに比べてウチは・・・・・・・。

下の画像は、劣化した神楽面の複製を柿田神楽面工房に依頼し、届いた時のもの。
右が元の神楽面、左が新しい神楽面。

恵比寿と須佐之男命です。ほぼ同じ顔つきに、びっくりです。
神楽という伝統文化は、こういった道具にも支えられています。その道具の製作者もまた、生きる伝統文化なわけで、互いに頑張って活動していきたいものですね。

Dvc00457


「天の岩戸」復活に向けて

2011年07月07日 23時13分45秒 | 上沼田神楽

上沼田神楽は、1717年以前から伝えられているとされ、戦時中も継続して舞い続けられたらしい。しかし、その後の災害や経済成長により中断(地元の秋祭りでは継続して奉納された)。昭和53年に現保存会が発足し、再び継承活動に励んでいる。

記録に残る演目は12演目。しかし、今舞うことができるのは7演目にすぎない。
あと1演目は5年くらい前に舞われて以降、中断状態。
残り4演目は、近年全く舞われていない。

その危険4演目のうち、今年は「天の岩戸」を復活させよう!ということで少しずつ準備を進めている。

この岩戸、15年以上前に深須小学校で子ども神楽をしていた時期に、子どもには教えたことがあるらしい。
齢80を超えてなお記憶が鮮明な名誉会長に練習に来てもらったり、子ども神楽の指導者、伝承者にかすかな記憶をたどってもらい、まずは流れの整理から、といった状態。

上沼田神楽の天の岩戸は、登場数が多い。
 思金命
 天兒屋命
 布刀玉命
 玉祖命
 伊斯許理度売命
 天手力男命
 天宇受売命
 天照大御神
の8柱が舞う。一般的には3~5柱をよく見るが、、、どうやら多い。
奏楽の最低3人を合わせると、11人は必要となる。
その多い神々が、古事記の流れに沿って、それぞれの役割を与えられ、それぞれの役割を果たし、晴れて天照大御神を岩戸から引き出すことに成功する。
見るだけで古事記の内容が分かり、「天の岩戸」の物語が分かる。そんな構成だ。

うちの口上は半古代語みたいな言い回しなんで、聞き取り辛いのが課題だが、なるようになるだろう。

今年度中にとりあえず復活し、山代神楽共演大会での披露に向け、秋の公演で場数を踏む予定。