山代日記 ~神楽とか、田舎行事とか~

山口県岩国市錦町に伝わる上沼田神楽を中心としたブログ。
広域組織の山代神楽連絡協議会や農作業、田舎行事なども掲載。

岩国の干拓の歴史

2016年01月14日 23時27分05秒 | 雑談
話を聞くに、
 ・本を読む
 ・歩く(運動をする)
というのは思考、健康にとってとても重要らしく、この継続が大切だという。

早速影響されて図書館に行って、郷土史コーナーに足を運んでみると、色々と面白い本に出会えた。

山代風土誌(故中村良雄氏著)のほか、錦町下須川地区に関する本や向峠地区に関する本など、地区レベルの本も貯蔵されていた。
借りてみたものの、読んでも頭に入らないタイプなんで、雰囲気だけはしっかりと感じ取りたい。

また、岩国市の干拓の年代を記述してある本もあり、その一部を撮影してみた。
江戸時代以降、岩国領を治めた吉川氏の政策だろう、徐々に沖に向かって埋め立てているのが分かる。
今津や麻里布なんかはほとんどが埋め立てだし、川下も半分以上、尾津も全てが埋め立て。

こうした背景からすると、人が住んでいなかったところに市街地の中心があるわけで、しかも農業のためにそこに水が流れるように設計されているわけだ。そんな土地なら、大雨が降ったら浸水するのも当然だなーと感じた。

他にも色んなことを調べてみると、吉川氏が治めた岩国領、そして毛利直轄である山代領。
今でこそ車の移動、運搬だけど、かつては錦川を軸に、物資のやり取りや交流が行われていたようだ。
歴史を紐解くことで、山代神楽の知らなかったことが解明できるのかも知れない・・・。

なお、山代地域に江戸初期おこったという山代一揆について、下記サイトで詳細に紹介されています。
大変参考になるので、是非ご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/


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