さっき、NHKでミスチルの紹介番組を見てた。
そのなかで『少年』という曲がかかる。
『自分のなかの少年の部分』と向き合った。
…なんて紹介されてた。
仕事場の先輩に、尊敬すべき人がいる。
何にでも意欲があって、理想があって、それに向かってる。
…でも、大人だから現実も知ってる…。
そんな人だ。
…急に『少年』と『先輩』が結び付いた。
その時、自分はテレビを消した。
明日の事を考えて。
もう寝なきゃ…。
…そんな感じに。
…そしたらふと、
『大人になるって諦めを知ることか。』
…と思った。
同時に、
『諦めたらそこで止まるんだよなぁ』
…とも思った。
先輩が尊敬できるのは、常に諦めず、追い求めてるからなんだと思う。今ですら雲の上の人なのに…。
いつまでも、『少年』の心だけは忘れたくないと思った…。
そのなかで『少年』という曲がかかる。
『自分のなかの少年の部分』と向き合った。
…なんて紹介されてた。
仕事場の先輩に、尊敬すべき人がいる。
何にでも意欲があって、理想があって、それに向かってる。
…でも、大人だから現実も知ってる…。
そんな人だ。
…急に『少年』と『先輩』が結び付いた。
その時、自分はテレビを消した。
明日の事を考えて。
もう寝なきゃ…。
…そんな感じに。
…そしたらふと、
『大人になるって諦めを知ることか。』
…と思った。
同時に、
『諦めたらそこで止まるんだよなぁ』
…とも思った。
先輩が尊敬できるのは、常に諦めず、追い求めてるからなんだと思う。今ですら雲の上の人なのに…。
いつまでも、『少年』の心だけは忘れたくないと思った…。










日本の伝統なんでしょうか、「枯れること、諦念」が大人の証拠、達観した証拠だと受け止められています。
だから自分が老成した人物であることをアピールする目的で、どんな喫緊の問題にも距離を置いたり、他人事のように眺めたりするポーズを見せる人もいますし、問題から逃げるために、諦観を披露して、老成のポーズを見せる人もいます。
でも、人がその時その時を精いっぱい生きる、という観点に立つなら、起きてくる問題に汗水流し、試行錯誤を繰り返し、失敗し、がっかりし、でもやっぱり問題に向き合う、という姿勢が「生きる」という道理にかなった行為だと思います。
そういうことを、汗臭くて、泥臭くて、かっこ悪い、失敗するのは若者のすることで、自分たち老成した人物は物事を行うに際しては格好良くてはならないと考える人たちは実は、無能さを隠しているに過ぎないと思います、私の経験からすると…。失敗はしてはいけないこと、自分の沽券にかかわることと考える人たちは何一つ成し遂げることのできない人たちで、何歳になっても無能な人たちです。
たかだか七、八十年の人生で、ものごとに達観するなんてこと、人間にできるでしょうか。どんな人にも、その人が直面している問題には、全力で取り組む。それが「人間」としての人生に意味を与えることだと思います。
コメントありがとうございます。
私自身ある程度、やっぱり諦めてしまっている人間だと思っています。
それでも、『いまやるべき事』には必死でいたくて、そんな気持ちがなんとなく、ずっと持ち続けてる気がするんです。根拠はないですが…。
たしかに生きてるって感じがするんですよね…。
ちなみに今週一週間は、繁忙期でもないにも関わらず、残業続けて、息子の起きてる顔も見れないくらいでした。(笑)