久しぶりの記事です。三連休のおかげで今日やっと通知表が書き終わりまして、細かい仕事はたくさんあるものの、少し落ち着きました。んで、ブログを書いているわけです。
…そしたらさっき「発足!芸能界PTA」という番組がやってて、橋下弁護士が「悪いこと(弱いものいじめかな?)をやった自分の子どもを50分間投げ飛ばし続けた」ことを紹介していたんです。
…そのしつけ方法、子どもへの教え方を、親として「未熟」か「立派」かと三人の教育家に判定させていたわけです。
どうやらその状況というのは、橋下弁護士が「強いものに向かっていく勇気もないものが弱いものいじめをするんだ、だから強いもの(親である自分)に向かってみろ」と言い、子どもはそれに50分間向かってきて、向かってくるからこそ、それを投げ飛ばし続けたということらしいんです。
教育家たちの結論は「立派」1、「未熟」2。
「未熟」を選んだ教育家の中に尾木直樹がいて、いやもうそれは見事なくらいに叩かれてましたね。
もっと簡単に反論させない方法はあったろうに、無駄に説明を続けていました。
要は体罰はいけない。だから口で言って聞かせなければってことだったんですけど、「芸能人PTA」たちは、「言って聞かないからこそ体罰をしなければならない」とか、「わが子を叩くのは本当につらい」といいながら、その尾木さんの論に反論していたわけです。
一人だけ「立派」を上げていた教育家は「基本的に体罰はいけない、しかし橋下さんは立派だ」みたいなことを言って閉めてました。
う〜ん、尾木直樹、いいように使われたな。
だってもう一人「未熟」をあげた人は何にも触れられなかったし…。
妻の予想では「尾木直樹を芸能界から締め出そうとしてるんじゃない?」とのことですが、私は「教育家以上に子を思う親の気持ちのほうが強いっていうアピール」を「芸能人の親」にさせてあげるための演出でないだろうかと考えています。
だって、投げ飛ばした親は「未熟」以外の何物でもないんですから。
簡単なことですよ。それを説明するのは。
いや、簡単だと思うんですよ。
だって、子どもが大人に近づいていって、いつまでも親が体罰だけで言うことを聞かせることができますか?
親は老いていくのに、いつまでも投げ飛ばせますか?
子どもが大きく、力がついていけば、反抗期というものも手伝って、必ず親なんて大して怖くないと感じる時が来ますよ。
肉体的に強くなった。だから親に恐怖する必要はない。ってね。
そのあとの揺り返しはどんなものになるんでしょうね。
特にそれに中学生ぐらいで気づいてしまったら…。
確かに世の中で体罰が否定されているから、ということもあります。
でも同時に私は、子どもに体罰をしていい人物は唯一「親」だとも思っています。
…しかしそれは社会的な事とか、親子の絆とかを考えずに、論理上で考えられるからです。
子どもは子どもである以上、親の庇護の下で育たざるをえません。
家出をしてもいつかは家に帰らざるえないわけです。
だから、どんなに親に体罰を受けても、家にいざるをえないわけです。
体罰をしたとしても、しっかりとそのあとその子に「何が悪かったか」、「私は君のことを愛している」、「これからこうしていこう」ということなどをフォローしていけば、子どもはきちんとついていきます。
親という存在は、体罰をした後も子どもと接する機会を必ず持ちます。
きちんとフォローする事はいくらでもできるわけです。だからこそ、体罰であっても子どもを納得させる事ができるわけです。
今回の場合も、もし橋下弁護士、もしくはその妻なりがフォローしなければ、「50分間しつけと称して子どもを投げ続けた」という事象だけ考えれば、立派な虐待でしょう。
だから私は、親は唯一子どもに体罰できる存在だと思うわけです。
…しかし、子どもも成長します。
中学生や、場合によっては小学生であっても、すでに十分なお金を持っていたり、稼ぐすべを知っていたり、悪友がいたりすれば、子どもは家に帰る必要はなく、「親のほうが根をあげる」ことになり、子どもは「自分のほうが正しい(あるいは強い)」と思ってしまうわけです。(そしてそうやって道を踏み外していく子はたくさんいます。)
そうなれば体罰をすることが常に親として立派な行動だと言えるでしょうか?
体罰を受ければどんな子どもであっても、嫌なものです。
恐怖、怒り、さまざまな負の感情を抱くでしょう。
そのあとのフォローがあればこそ、体罰も教育たりえるかもしれませんが、フォローができない状態なら、「子どもが悪に踏み出すきっかけを与えただけ」ではないでしょうか。
さてそれならフォローもできない教師はどうするか。
体罰などが100の恐怖を与えれるものだったとして考えると、手出しできない教師など50の恐怖も持っていればすごいでしょう。
私なんかじゃ10もないんじゃないでしょうか…。
でも、それでも子どもたちに「悪いことは悪い」と叱りつけてあげなければいけない。
…まあ、仕事ですから。
さあ、どうやって叱りつけましょうか…。
ちなみに去年の私は10しかだせないのに、10を使い切って、子どもたちに舐められていたわけです。当たり前ですよね。適度な壁で、すぐ乗り越えられるんですから。
よく言われるのが、4月は注意すれば聞く。5月は大声で注意すれば聞く。6月は怒鳴れば何とか効く。7月は怒鳴って脅せば何とかなる。じゃあ夏休み明けは…?
ってな感じでしたね。たしかに。
…んで今の方法はというと、「いかに10を100に見えるようにさせるか」とか、「子どもたちにとって100に見えるものは何か」を見つけておくことなわけです。
それが教育のプロたる教師の所以だと思うわけです。(おおっと! さも自分がプロのように言ってしまった! …う〜ん、まだ腕はそこまでじゃないんだが…、そういう風に見えるように誇大広告考えとこっと。(笑))
…子どもが大人になっていく過程で、大人は老いていきます。
体罰は必ずその過程で、子どもに通用しなくなります。
もちろんそれでもその肉体的な恐怖が通用するよう鍛えている大人はある意味立派なのかもしれませんが、教師はそんなことしなくても「子どもを叩かず叱りつけている」わけです。
叩かないで叱れるなら、そっちのほうが立派じゃないっすか?
私はそういう教師を知っています。
そういう教師を目指しています。
叩いても教育はできますが、叩かないでも教育はできるんです。
なら、体罰って必要ないんじゃないかな…?
(といいつつ、自分の子どもが大きくなって、その子に体罰してたらどうしよう〜。(汗&笑))
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「ばーなー」
…そしたらさっき「発足!芸能界PTA」という番組がやってて、橋下弁護士が「悪いこと(弱いものいじめかな?)をやった自分の子どもを50分間投げ飛ばし続けた」ことを紹介していたんです。
…そのしつけ方法、子どもへの教え方を、親として「未熟」か「立派」かと三人の教育家に判定させていたわけです。
どうやらその状況というのは、橋下弁護士が「強いものに向かっていく勇気もないものが弱いものいじめをするんだ、だから強いもの(親である自分)に向かってみろ」と言い、子どもはそれに50分間向かってきて、向かってくるからこそ、それを投げ飛ばし続けたということらしいんです。
教育家たちの結論は「立派」1、「未熟」2。
「未熟」を選んだ教育家の中に尾木直樹がいて、いやもうそれは見事なくらいに叩かれてましたね。
もっと簡単に反論させない方法はあったろうに、無駄に説明を続けていました。
要は体罰はいけない。だから口で言って聞かせなければってことだったんですけど、「芸能人PTA」たちは、「言って聞かないからこそ体罰をしなければならない」とか、「わが子を叩くのは本当につらい」といいながら、その尾木さんの論に反論していたわけです。
一人だけ「立派」を上げていた教育家は「基本的に体罰はいけない、しかし橋下さんは立派だ」みたいなことを言って閉めてました。
う〜ん、尾木直樹、いいように使われたな。
だってもう一人「未熟」をあげた人は何にも触れられなかったし…。
妻の予想では「尾木直樹を芸能界から締め出そうとしてるんじゃない?」とのことですが、私は「教育家以上に子を思う親の気持ちのほうが強いっていうアピール」を「芸能人の親」にさせてあげるための演出でないだろうかと考えています。
だって、投げ飛ばした親は「未熟」以外の何物でもないんですから。
簡単なことですよ。それを説明するのは。
いや、簡単だと思うんですよ。
だって、子どもが大人に近づいていって、いつまでも親が体罰だけで言うことを聞かせることができますか?
親は老いていくのに、いつまでも投げ飛ばせますか?
子どもが大きく、力がついていけば、反抗期というものも手伝って、必ず親なんて大して怖くないと感じる時が来ますよ。
肉体的に強くなった。だから親に恐怖する必要はない。ってね。
そのあとの揺り返しはどんなものになるんでしょうね。
特にそれに中学生ぐらいで気づいてしまったら…。
確かに世の中で体罰が否定されているから、ということもあります。
でも同時に私は、子どもに体罰をしていい人物は唯一「親」だとも思っています。
…しかしそれは社会的な事とか、親子の絆とかを考えずに、論理上で考えられるからです。
子どもは子どもである以上、親の庇護の下で育たざるをえません。
家出をしてもいつかは家に帰らざるえないわけです。
だから、どんなに親に体罰を受けても、家にいざるをえないわけです。
体罰をしたとしても、しっかりとそのあとその子に「何が悪かったか」、「私は君のことを愛している」、「これからこうしていこう」ということなどをフォローしていけば、子どもはきちんとついていきます。
親という存在は、体罰をした後も子どもと接する機会を必ず持ちます。
きちんとフォローする事はいくらでもできるわけです。だからこそ、体罰であっても子どもを納得させる事ができるわけです。
今回の場合も、もし橋下弁護士、もしくはその妻なりがフォローしなければ、「50分間しつけと称して子どもを投げ続けた」という事象だけ考えれば、立派な虐待でしょう。
だから私は、親は唯一子どもに体罰できる存在だと思うわけです。
…しかし、子どもも成長します。
中学生や、場合によっては小学生であっても、すでに十分なお金を持っていたり、稼ぐすべを知っていたり、悪友がいたりすれば、子どもは家に帰る必要はなく、「親のほうが根をあげる」ことになり、子どもは「自分のほうが正しい(あるいは強い)」と思ってしまうわけです。(そしてそうやって道を踏み外していく子はたくさんいます。)
そうなれば体罰をすることが常に親として立派な行動だと言えるでしょうか?
体罰を受ければどんな子どもであっても、嫌なものです。
恐怖、怒り、さまざまな負の感情を抱くでしょう。
そのあとのフォローがあればこそ、体罰も教育たりえるかもしれませんが、フォローができない状態なら、「子どもが悪に踏み出すきっかけを与えただけ」ではないでしょうか。
さてそれならフォローもできない教師はどうするか。
体罰などが100の恐怖を与えれるものだったとして考えると、手出しできない教師など50の恐怖も持っていればすごいでしょう。
私なんかじゃ10もないんじゃないでしょうか…。
でも、それでも子どもたちに「悪いことは悪い」と叱りつけてあげなければいけない。
…まあ、仕事ですから。
さあ、どうやって叱りつけましょうか…。
ちなみに去年の私は10しかだせないのに、10を使い切って、子どもたちに舐められていたわけです。当たり前ですよね。適度な壁で、すぐ乗り越えられるんですから。
よく言われるのが、4月は注意すれば聞く。5月は大声で注意すれば聞く。6月は怒鳴れば何とか効く。7月は怒鳴って脅せば何とかなる。じゃあ夏休み明けは…?
ってな感じでしたね。たしかに。
…んで今の方法はというと、「いかに10を100に見えるようにさせるか」とか、「子どもたちにとって100に見えるものは何か」を見つけておくことなわけです。
それが教育のプロたる教師の所以だと思うわけです。(おおっと! さも自分がプロのように言ってしまった! …う〜ん、まだ腕はそこまでじゃないんだが…、そういう風に見えるように誇大広告考えとこっと。(笑))
…子どもが大人になっていく過程で、大人は老いていきます。
体罰は必ずその過程で、子どもに通用しなくなります。
もちろんそれでもその肉体的な恐怖が通用するよう鍛えている大人はある意味立派なのかもしれませんが、教師はそんなことしなくても「子どもを叩かず叱りつけている」わけです。
叩かないで叱れるなら、そっちのほうが立派じゃないっすか?
私はそういう教師を知っています。
そういう教師を目指しています。
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