それでは前編の続きです。見てない方は、こちらをどうぞ。
…そして、もう一つ大事なのが、「どうしてそれほどまでに自分を守りたがるのか」ということ。
まあ、自分を傷つけるのは、大抵の人が嫌なわけですが、それ以外にもいくつか原因はあるだろうと思い、少々挙げてみます。
まずは個人主義。情報過多のこの日本で、未熟な子どもたちに間違った形で知られてしまい、「何をやっても俺の勝手じゃん」という程度にしか受け取られ無くなったことがあげられる気がします。
ゆとり教育というやつも無縁じゃないですが、「君は君のままでいい」という部分だけが一人歩きしていまい、ある意味で「生きる力」(←私は文科省の言うこれを「所詮、ずる賢さ」と訳しますが)を持った子どもたちが、
自分のすることに責任を取る。
…ことなしに、自分の好きなように振る舞い、その言い訳に「個人主義」を挙げ、注意されれば「自分の好きにしちゃいけないの、何で!?」の連発でまともに親や教師に答えをださせないようにしてきたからだろうと思ったりするわけです。
まともにそれを叱ってやれない大人が多かったろうし、何よりそんな現場を多くの子どもたちが見てきてしまっている。
だから、ネットという、外からつついてるだけなら、いくらでも逃げ場がある世界では、何かあれば攻撃的になる事で自分を守れる、という知恵につながっているのかなと思うわけです。
先ほども言ったように、誰だって傷つきたくないですからね、自分を簡単に守れるなら、そうしますよ。
後はその人の世界の狭さも問題なのかな。
今まで少ない尺度しか与えられてなかった人に、
『こんなことがあるんだ信じろ』
って言ったって、やっぱり受け入れられないですよね。
そもそも、自分の世界が否定された経験も少ないわけだから、新しいものを受け入れる容量なんて無いもの。
まあ、いわゆる右翼(保守)的なものの考え方が増えてきているのには、そういう容易さがある気はしています。
…そして、学校では教えてもらえなかった、自分が知った、新しい強そうな(「格好よさそうな」でもよし。)ものを、いったん受け入れてしまうと、その視点から物事をつい考えてしまって、結局そこから抜け出せなくなってしまうのかな、と。
まあ、右翼の人たちの宣伝がそれだけネットの中や、TVやらで効果的にやられているっていうことを認めないといけないですね。
もちろん、この辺は左翼は十分反省すべきだし、いわゆる学生運動の呪縛と、中国、北朝鮮は共産主義なんだという詐欺からはいい加減、目を覚まさせないといけないと思う。
私は左翼を自称しているし、共産主義者だとも自認しています。
よくこの二つを同列に並べる人たちがいるので、少し話すと、私はこういう人たちが挙げる左翼・共産主義者とは、おそらく違うタイプの左翼・共産主義者だと思っています。
原理主義っていえなくも無いのかな。(ちなみに大塚英志の『憲法原理主義』はものすごく納得したな…。)
詳しくは、書ければいずれ書きますが、要するに真の意味で『左翼=革新』であり、『共産主義=誰もが同じように満足(幸福とはちょっと違う気がする)できる暮らしをする世界』だと考えています。
まず、「左翼」=「ヘルメットにゲバ棒ふってた連中」っていうイメージは、最後期の過激派がやってたことのせいだと私は思っています。
彼らは世の中を変えるために、血を流したりなんかしたら恐怖で誰にも受け入れられないくなってしまうことをわからなくなってしまったんだと思っています。(そして少なくともそんな事件を起こさなければ利用されることは無かった。)
そして、北朝鮮が共産主義だなんて全くの論外(だって、将軍様と農民は、明らかに格差があるでしょ?)だし、中国においても、思想統制とかが強そうで、健全じゃない。(中国は首脳陣が儲かっているのかわからないけど…。あ、成金みたいのは最近多いらしいけど…。)
…なのに、たかだか国民が皆公務員なだけで、共産主義だとイメージ付けられてしまっている…。
まあ、この辺の負のイメージは「右翼」=「街宣車」とそう大して変わらないんだろうけど、「左翼」=「共産主義者」というイメージが固まっている上に、『共産主義』=『中国・北朝鮮』なんてイメージを植え付けられてしまえば、なかなか左翼思想に惹かれる人なんていなくなるよな…。
私は、南京虐殺(大ではなくとも)はあったと思うし、靖国は行くべきではないと思うし、韓国に賠償する必要は無いと思うし、アメリカにくっついていく必要は無いと思うし、軍備は必要ないと思っている上に、この世の中を少しでも良くしたいと思っているわけです。
そして、そう表明することに、少なからず責任を感じている。
言ったからにはやらにゃならん、と。(なかなかできてないけど)
もう一つ、少し希望のありそうなことを書けば、たとえ性悪説がまかり通る世界だったとしても、それはせいぜい自分の自由に生きたいというだけであって、誰も「進んでこの世の中を悪くしたい」と思っている人間なんて一人もいないということ。
これは本当に確信を持っていいと思っています。
だって、子どもって、誰も頭悪くなりたいなんて思わないでしょ?
勉強せずに頭が良くなるなら、誰だって頭良くなりたいんですよ。
悪くしたい、悪くなりたいって言うのは、どうしてもそこまで追い込まれちゃっている人たちの、悲痛な叫びなんでしょうね。
だからこそ、そういう人たちに対して「どうやったらよりよい世の中を作れるのか」って、「一緒に考えていこう」って、伝えていくことが本当に重要なんだと思うんですよね。(ちょっと前、カウンセリングについて学んだりしたんです…。)
おそらく実生活においては私も前述の若者と一緒で、同時に批判されうる存在であることを自認しています。
なかなか変えられない自分をもどかしく思っていたりします。
…ただ、
常に自分が悪かったら、謝って襟を正すことは絶対にしてきたつもり(←言い切れないのが甘いところですが。)ですし、少なくとも文章化を伴う、ネット社会では、一呼吸置いて冷静に考えて言葉をつむぐことができる分、それをしやすいとも思っています。
だから、何かあればどうぞご意見を。仮に批判、非難であっても、意見を楽しみにしています。(できれば攻撃しないでほしいけどなぁ…。苦笑)
私はただ、よりよい未来に協力したいだけなもんで、建設的な意見がいっぱい来ることを楽しみにしています…。
(ここまで書いて、やっぱり自分が一番素直になれないのが妻の前だと気づいたことに赤面。子どもが生まれれば、もう少し大人になれるもんでしょうかね…?苦笑)
…そして、もう一つ大事なのが、「どうしてそれほどまでに自分を守りたがるのか」ということ。
まあ、自分を傷つけるのは、大抵の人が嫌なわけですが、それ以外にもいくつか原因はあるだろうと思い、少々挙げてみます。
まずは個人主義。情報過多のこの日本で、未熟な子どもたちに間違った形で知られてしまい、「何をやっても俺の勝手じゃん」という程度にしか受け取られ無くなったことがあげられる気がします。
ゆとり教育というやつも無縁じゃないですが、「君は君のままでいい」という部分だけが一人歩きしていまい、ある意味で「生きる力」(←私は文科省の言うこれを「所詮、ずる賢さ」と訳しますが)を持った子どもたちが、
自分のすることに責任を取る。
…ことなしに、自分の好きなように振る舞い、その言い訳に「個人主義」を挙げ、注意されれば「自分の好きにしちゃいけないの、何で!?」の連発でまともに親や教師に答えをださせないようにしてきたからだろうと思ったりするわけです。
まともにそれを叱ってやれない大人が多かったろうし、何よりそんな現場を多くの子どもたちが見てきてしまっている。
だから、ネットという、外からつついてるだけなら、いくらでも逃げ場がある世界では、何かあれば攻撃的になる事で自分を守れる、という知恵につながっているのかなと思うわけです。
先ほども言ったように、誰だって傷つきたくないですからね、自分を簡単に守れるなら、そうしますよ。
後はその人の世界の狭さも問題なのかな。
今まで少ない尺度しか与えられてなかった人に、
『こんなことがあるんだ信じろ』
って言ったって、やっぱり受け入れられないですよね。
そもそも、自分の世界が否定された経験も少ないわけだから、新しいものを受け入れる容量なんて無いもの。
まあ、いわゆる右翼(保守)的なものの考え方が増えてきているのには、そういう容易さがある気はしています。
…そして、学校では教えてもらえなかった、自分が知った、新しい強そうな(「格好よさそうな」でもよし。)ものを、いったん受け入れてしまうと、その視点から物事をつい考えてしまって、結局そこから抜け出せなくなってしまうのかな、と。
まあ、右翼の人たちの宣伝がそれだけネットの中や、TVやらで効果的にやられているっていうことを認めないといけないですね。
もちろん、この辺は左翼は十分反省すべきだし、いわゆる学生運動の呪縛と、中国、北朝鮮は共産主義なんだという詐欺からはいい加減、目を覚まさせないといけないと思う。
私は左翼を自称しているし、共産主義者だとも自認しています。
よくこの二つを同列に並べる人たちがいるので、少し話すと、私はこういう人たちが挙げる左翼・共産主義者とは、おそらく違うタイプの左翼・共産主義者だと思っています。
原理主義っていえなくも無いのかな。(ちなみに大塚英志の『憲法原理主義』はものすごく納得したな…。)
詳しくは、書ければいずれ書きますが、要するに真の意味で『左翼=革新』であり、『共産主義=誰もが同じように満足(幸福とはちょっと違う気がする)できる暮らしをする世界』だと考えています。
まず、「左翼」=「ヘルメットにゲバ棒ふってた連中」っていうイメージは、最後期の過激派がやってたことのせいだと私は思っています。
彼らは世の中を変えるために、血を流したりなんかしたら恐怖で誰にも受け入れられないくなってしまうことをわからなくなってしまったんだと思っています。(そして少なくともそんな事件を起こさなければ利用されることは無かった。)
そして、北朝鮮が共産主義だなんて全くの論外(だって、将軍様と農民は、明らかに格差があるでしょ?)だし、中国においても、思想統制とかが強そうで、健全じゃない。(中国は首脳陣が儲かっているのかわからないけど…。あ、成金みたいのは最近多いらしいけど…。)
…なのに、たかだか国民が皆公務員なだけで、共産主義だとイメージ付けられてしまっている…。
まあ、この辺の負のイメージは「右翼」=「街宣車」とそう大して変わらないんだろうけど、「左翼」=「共産主義者」というイメージが固まっている上に、『共産主義』=『中国・北朝鮮』なんてイメージを植え付けられてしまえば、なかなか左翼思想に惹かれる人なんていなくなるよな…。
私は、南京虐殺(大ではなくとも)はあったと思うし、靖国は行くべきではないと思うし、韓国に賠償する必要は無いと思うし、アメリカにくっついていく必要は無いと思うし、軍備は必要ないと思っている上に、この世の中を少しでも良くしたいと思っているわけです。
そして、そう表明することに、少なからず責任を感じている。
言ったからにはやらにゃならん、と。(なかなかできてないけど)
もう一つ、少し希望のありそうなことを書けば、たとえ性悪説がまかり通る世界だったとしても、それはせいぜい自分の自由に生きたいというだけであって、誰も「進んでこの世の中を悪くしたい」と思っている人間なんて一人もいないということ。
これは本当に確信を持っていいと思っています。
だって、子どもって、誰も頭悪くなりたいなんて思わないでしょ?
勉強せずに頭が良くなるなら、誰だって頭良くなりたいんですよ。
悪くしたい、悪くなりたいって言うのは、どうしてもそこまで追い込まれちゃっている人たちの、悲痛な叫びなんでしょうね。
だからこそ、そういう人たちに対して「どうやったらよりよい世の中を作れるのか」って、「一緒に考えていこう」って、伝えていくことが本当に重要なんだと思うんですよね。(ちょっと前、カウンセリングについて学んだりしたんです…。)
おそらく実生活においては私も前述の若者と一緒で、同時に批判されうる存在であることを自認しています。
なかなか変えられない自分をもどかしく思っていたりします。
…ただ、
常に自分が悪かったら、謝って襟を正すことは絶対にしてきたつもり(←言い切れないのが甘いところですが。)ですし、少なくとも文章化を伴う、ネット社会では、一呼吸置いて冷静に考えて言葉をつむぐことができる分、それをしやすいとも思っています。
だから、何かあればどうぞご意見を。仮に批判、非難であっても、意見を楽しみにしています。(できれば攻撃しないでほしいけどなぁ…。苦笑)
私はただ、よりよい未来に協力したいだけなもんで、建設的な意見がいっぱい来ることを楽しみにしています…。
(ここまで書いて、やっぱり自分が一番素直になれないのが妻の前だと気づいたことに赤面。子どもが生まれれば、もう少し大人になれるもんでしょうかね…?苦笑)










でも、いろいろ書きたいことがたまっていたのはわかりました。
自分自身の心情とかも。
やっぱり書くことは重要ですね…。
自分の気持ちを書くことは、まず第一に自分の為に大切だと思います。さらに、もし誰かの為になっているのであればステキなことだと思います。
ひげたまさん。
私は昔から基本的に人に自分の気持ちを言うことだけは得意だったんですが、なかなかその「思い」というか、気持ちというか、が本当に伝えられなくって困っている少年でした。
今でも、そんな青年(肉体中年)なんですが、社会でそれなりに過ごしている内に、「思いを伝えてはいけない雰囲気」に、巻き込まれていた気がしています。
やっぱり自分の言いたい事ってなかなか出してなかったんだなぁと、この記事を書いて思いました。
本当は、もっといろんな事をしたいんですよね…。
まあ、いそがしさにかまけて、ブログの更新を怠っていた人間が言うことではないかもしれませんが。
とにかく私は、「自分の考えていることはこんなことだよ」と表明して(“できるだけ(笑)”行動も伴って)、いろんな人の意見を聞いて、同時にいろんな人とつながって、よりよい方向に(人や世の中が)進んで行くことにつなげたいと思って、記事を書いています。
もちろんただ趣味とか好きなことを挙げているだけの時が多いですが、ちょっと気になっていただけたなら、またのお越しをお待ちしております。よろしくお願いします…。
今の若者は自分を守りたいのではないか、という意味のことを書いておられましたね。誰でも自分を守りたい。私もそうですし、攻撃されるのは嬉しくないです。ただ、山さんは続けて「価値観が絞られて容量が小さくなっているため、骨川スジ夫的な守り方か、他者を攻撃する形での守り方しかできないのではないかと言っておられた。なるほどなあ、と思いました。確かに、ストライク・ゾーンが狭い感じはしますね。
右翼的な思想って、強そうでカッコよさげなのかなあ、とますます暗くなりそうです……(苦笑)。
ちなみに私も自分は共産主義者だと思っていますが、明日の世界を少しでもよくしていきたいという点で手を結べるなら、思想的な立場は横に置いてかまわないといういい加減な人間です。まとまりのつかないコメントすみません。今後ともよろしく。
…いやあ、ありがとうございます。
正直華氏さんのブログで学んでいることが多いもので、恥ずかしくなってしまいます。
散漫な文章になっていたので、本当に申し訳ありません。読み手のために精進いたします。
右翼的な考え方というのが格好いいというよりは、保守的な考え方って言うのは、自分を守る考え方でもあると思うので受け入れやすいのだと思っています。
同時に宣伝が上手だとも思いますが。
私も明日の世界を少しでもよくしていきたい方には、どんどん協力していきたいと思います。
思想なんていうのは手段に過ぎないと思うので、ゴールが良いものであるなら、そして早くそこにたどりつくことができるのなら、どんな手段(思想)だっていいと思います。
そしてそのゴールというのは、たった一人が満足できるゴールではならないわけで、手段が違っても、同じ方向に向いていることは非常に重要だと思います。
不可能かも知れないけれど、万人が満足できる少しでもいい世界を、みんなで作りたいものです…。