後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老境を幸せに暮らす3つの鉄則

2017年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
幸せとは人それぞれですから、今日は私が幸せに暮らすために自分へ課して鉄則です。
皆様はまた違う方法で老境を楽しく過ごしていると思います。
それでも少しは参考になるのではと思いますので、ご紹介したいと存じます。
(1)過去の悲しい思い出は忘れ楽しかった思い出だけを考えて暮らす。
私も悲しい思い出は沢山ありましたが、一切忘れることにしています。例えば悲しかったことの実例をここで書き出しますとまた思い出しますからここでは一切書きません。
それとは反対に楽しかったことはいとも簡単に書き出せます。
例えば家内と結婚した頃のことは全て楽しい思い出です。当時は家内も若く心も初々しかったのです。オハイオ州のコロンバス市へ許嫁を日本から呼んで結婚したのです。新婚時代をそこで過ごしいろいろな事がありましたが全て楽しい思い出です。
それから2人の子供を育て上げる経験も楽しい思い出になりました。そして孫達の保育園への送り迎えも楽しい思い出でした。
こんなことだけを考えていると毎日が幸せに暮らせます。
しかし絶対に忘れないようにしている大きな悲しみが唯一つあります。それは戦争中の惨禍や戦後の食糧難の時代の苦しみや悲しみです。これだけは忘れないで若い日本人へ伝えるべきと思いっています。
(2)親親類や恩人や友人の助けに感謝してその顔を思い出して暮らす。
昔の日本では両親はもとより親類のおじさんやおばさんに随分と可愛がられお世話になったものです。親類付き合いが現在より濃かったのです。お世話になった人の顔々を鮮明に思い出して感謝しています。
そして学校の先生方や同級生にも非常にお世話になりました。その一人一人の顔や声を思い出していると毎日が楽しく過ごせるのです。
特筆すべき思い出はオハイオで結婚するときに受けたアメリカ人達の好意と助けです。
当時は1961年でしたので、外貨の無い日本からは家族や友人がオハイオへは行けなかったのです。
結婚式の段取りや全ての準備はアメリカ人と現地に居た日本人がしてくれたのです。
特にアメリカ人達の助けには頭が下がりました。嗚呼、人間の好意には国境が無いと確信したのです。
その経験は私の国境というものへの考え方を変えたのです。そして「人類愛」は存在すか否かを考えるようになったのです。
話は飛びますが、世界には「国境なき医師団」という名前の団体があります。戦争や災害があると国境に関係無く飛び込んで治療をする医者の組織なのです。この名前を時々思い出しては幸せな気分になります。
(3)政治のことや外国のことの悪い側面を見ないで良い部分のみを見る。
この実例は簡単です。例えば安倍総理の悪口を書くのは簡単です。政治家は叩けば埃が出るものなのです。そのような職業なのです。
ですから安倍総理の加計学園問題や森友学園問題の黒い霧を書き出せばだれでも長文の非難記事が書けます。しかし私はなるべく控えるようにしています。
その代わり安倍総理の良い点を書きます。まず安定した政権運営は立派ものです。日本人の戦後の屈辱を晴らして自尊心を取り戻させました。独立国とは何かとい問題提起をしています。
これらは総理大臣として立派なリーダーシップです。
もう一つ書かせて下さい。よく韓国や中国の悪口を沢山書く人が多いようです。しかし私は書きません。書く前に日本の過去の朝鮮合併や満州国の建国の歴史を考えます。
すると韓国や中国の悪口が書けなくなります。
全ての外国のことの悪い側面を見ないで良い部分のみを見ることにしています。それは自分が幸せに暮らすためにしていることで、外国の為にしているのではありません。

今日の挿し絵代わりの写真深く感謝している家内が好きなマチスの絵画です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-12-19 04:29:04
賛成です。
今まで何の偏見もありませんでしたが、さすがにやりすぎな感じを受けます。
私たち(50歳以下)は何も悪い事はしていないと思いまが。いかがでしょうか。

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