後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

あなたは愛されていますか?欧米と日本では愛という言葉の使い方が違う

2017年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム
『愛』という言葉を調べれば「アガペー」から始まって、いろいろと詳しい説明があります。今日はその難しい議論を省略して『愛』という言葉の簡単至極な説明をしたいと思います。
『愛』という言葉の意味と使い方は日本と欧米では非常に違う場合があるという説明です。
例えばキリスト教では神が私を愛していますと言います。私はイエス様を愛していますと言います。教会でのミサではこのような文句を何度も言います。ですから欧米人にとっては「愛します」という言い方には慣れています。それを言うことに何の抵抗感もありません。
日本人が「お早う御座います」とか「こんにちは」と気軽に言うように、夫婦の間でも「私は貴方を愛しています」と気楽に言います。
朝昼晩と愛してますと言います。その時、信心深い欧米人はその瞬間、愛という言葉で神やイエス様の愛を連想するのです。
一方、日本では夫婦になってしまったら「あなたを愛してます」とはめったに言いません。照れくさいし、第一、夫が妻を愛しているのは当たり前です。当たり前のことをことさら声を出して言う馬鹿はいません。
その上、日本の文化では暗黙の了解を重視します。心と心の信頼関係を重視します。老夫婦がお互いに愛していますと言い合う光景はあまり見かけません。
これは日本は佛教国であるせいかも知れません。仏教ではお釈迦さまが人間を愛しているとは言いません。仏教の信者がお釈迦さまを愛していますとは絶対に言いません。
お釈迦様は人間に慈悲深い方ですが、人間がお釈迦さまへ慈悲を与えるとは絶対に言いません。
このように『愛』という言葉の使い方は日本と欧米で違います。
それでも日本の女性は男性に「愛していますよ」と言って貰いたいのです。ですから老夫婦の間でも夫は妻へ「愛しています」と明快に言うほうが良いのです。当たり前のことでも改めて声を出して言うべきなのです。
このように言葉というものは日本と外国では同じ言葉でも意味が違う場合があるのです。
例えば『神』という言葉は日本では普通、神道の神様のことです。複数の神様のことです。
一方、欧米で『神』と言えばキリスト教の神を意味します。全知全能の唯一の神です。

今日は文化が違えば、同じ言葉でも意味が違うという当たり前のことを書きました。
当たり前のことを書かないと違いを忘れてしまって、日本と欧米の間に誤解が起きます。相互理解があれば戦争は起きないと言います。
ささいなことでも、こうして書いておくのは重要だと信じています。

今日の挿し絵代わりの写真はマリア様の写真です。写真とその説明文は蝉の日和見さんの「天の后(あめのきさき)コレクション-その1」から転載させて頂きました。URLは、http://cicadan.blog111.fc2.com/blog-date-201305.html です。このHPの著者の方は1955年生まれで、科学図書執筆編集のお仕事をされています。専門分野は生物学系だそうです。 

1番目の写真は長崎県の黒崎教会のマリア像です。布の表現が立体的で軟らかです。
 像の台は、100年以上(禁教時代を入れると400年以上)におよぶ黒崎教会の歴史が書き込まれた碑となっています。2000年竣工。

2番目の写真は、長崎県の神ノ島教会にあるマリア像です。美しく彩色された大きなマリア像で、お顔を僅かに下に向け、教会の前に立った人々に優しく視線を合わせて下さっています。

3番目の写真は「日本の聖母」という称号を持つ大浦天主堂のマリア像です。
この像は苛酷な弾圧を耐えた日本のキリシタンと、ヨーロッパの神父との感動の再開を記念して、フランスの教会から贈られました。明治12年(1879年)の聖堂建替え時からずっと正面入口に置かれています。これが日本の屋外マリア像の第1号と言われています。高さは1m40cmで、頭に頂く冠と足下の三日月が金色で、品の良い豪華さがああります。
 信徒再発見の当事者プチジャン神父はパリ外国宣教会に所属していたので、そこからの贈り物と思われるが、明治期に輸入されたマリア像の中でも、これは特に優れた作品といえ、特別に選んで贈られたことが伺えます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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