後藤和弘のブログ

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里見哲夫著、「下仁田ネギーネギの来歴を追ってー」

2013年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

     群馬県の山の中に下仁田という所があります。水田が無く、小麦やコンニャク、ネギなどの野菜しか採れない山郷です。しかし、養蚕業や織物産業もありかなり裕福です。

名産品の下仁田ネギと下仁田コンニャクは全国的に有名です。

この山の里で少年期を過ごした横山美知彦さんの思い出の記をこのブログで何回か掲載いたしました。(末尾参考資料に一覧表があります)。その横山さんから、「名産 下仁田コンニャク」と題する本が先日送られて来ました。里見哲夫氏が書いた本です。そこでこの本を以下の記事でご紹介しました里見哲夫著、「名産 下仁田コンニャク」、そして下仁田ジオパーク

そうしたら今度は横山さんが、同じ著者の「下仁田ネギーネギの来歴を追ってー」という本を送って下さいました。

一読したら大変興味深い本でした。内容の概略をご紹介すると以下のようになります。

ネギは渡来植物として非常に古くから日本人が栽培し、食べてきた野菜です。

ネギの古い名前は葱と書いて「キ」と読んでいました。キの一字なので「ひともじ」という名前も使われてきました。

原産地は中央アジアや中国西部と言われています。日本には縄文時代晩期の焼き畑農業の始まる頃に渡来したと想像されます。

の後ネギは日本各地で栽培されるようになり地方、地方の風土に適した品種が出来たそうです。

西日本ではネギの葉を柔らかく大きく育てた「葉ネギ」が主流で、東日本では白い根を長く育てた根深ネギが主流です。

日本のネギの品種群は加賀、千住、九条の3群に分類されます。加賀群には下仁田ネギ、松本一本ネギ、秋田太ネギ、青森地ネギ、などなどがあります。

この「里見哲夫著、「下仁田ネギーネギの来歴を追ってー」の29ページには実に30種ものネギの一覧表があります。

東京で有名な深谷ネギは千住ネギの一種で、下仁田ネギとは素性が違います。

関東地方では九条ネギ群はあまり流通していないようで主に西日本で栽培されています。

この様にネギは各地で昔から改良が進んだ伝統野菜の一種なのです。

それはそれとして、この本の特徴はネギが何時の時代から文献に出て来るかを探求しています。一番古い記録は「日本書紀」の493年の記述にネギが秋葱(あきぎ)と記されています。その後、他の文献にも葱(き)の名前がいろいろ出ています。

それでは下仁田ネギはいつ時代から有名になったのでしょうか?

作者は地元の高崎藩の文献を探し、丁寧に調べ上げました。また下仁田の古い家々の倉に埋もれている昔の手紙や注文書などの古文書を根気よく探しています。

そして下仁田ネギの名前が書いてある幾つかの文書を発見したのです。

それらを総合して里見哲夫氏は「下仁田ネギ」は江戸時代中期以後に有名になったことを証明しました。大変美味しいネギなので大名や武士の間のお歳暮などの贈答品として珍重されたのです。

明治になって鉄道貨物輸送が始まると下仁田ネギの出荷が急に増加し、多くの人々によって美味しさが認められ有名な特産品になったのです。

この本の感動的な部分はこのような歴史的経過を根気よく調べ上げたことにあります。

この本を読んで私は知的な刺激を受けました。いろいろな野菜の渡来の歴史を調べたくなりました。西洋野菜と日本の伝統野菜の違いを調べたくなりました。

野菜の面白い話を書いて見たくなりました。

それらについてはいずれ別の記事として掲載したいと考えています。

下に下仁田ネギに関する写真をお送りします。出典はWikipedeaの「下仁田ネギ」です。

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下仁田ネギは冬に種を蒔きます。上は2月ごろの生育状況です。

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上は晩秋の収穫時期の様子です。201112131

上のように畝を高く盛り上げて根の部分を白く柔らかにしあげます。

=====参考資料======================

横山美知彦著「戦中・戦後の山里の生活の思い出」(3)電気スタンド

横山美知彦著、「戦中、戦後の山村の生活の思い出」(2)落し物

横山美知彦著、「戦中、戦後の山村の生活の思い出」(1)夜網(よあみ)

山里のコンニャクつくりの様子・・・失われた日本の原風景

横山美知彦著、「風吹かし(かざぶかし)」・・・懐かしい日本の原風景

横山美知彦著、「若き日のある危険な山の思い出」

横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出」と

横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出(続き)


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