後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

あなたは仏教を欧米人へ説明できますか?

2017年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
あなたはキリスト教のことを知っている欧米人へ仏教のことを説明出来ますか?
私は彼等に仏教とはどういう宗教ですかと聞かれて非常に困ったことが何度かありました。
第一、自分自身が佛教とはどんな宗教なのか理解していなのですから、他人へ説明できる筈がありません。
そこで付け刃のように仏教の入門書を読み、その内容を自分流に勝手に要約して欧米人へ説明して来ました。勿論、私の説明は間違っていると思います。ですから必ずこれは私の間違った理解かも知れませんが、と話し始めます。
それともう一つ注意すべきことは彼等はキリスト教と比較すると仏教に興味を持つということです。
従ってキリスト自身の布教活動と比較出来るように釈迦の生い立ちや宣教活動から説明します。
それから仏教がインドから中国に伝わり、空海や最澄によって日本へ伝承された様子を説明します。
その後で私の好きな曹洞宗の座禅の話をします。
最後に仏教の教えを釈迦が弟子のシャーリプトラに話した『般若心経」の概意を私の理解した範囲で説明します。
これでお終いにします。
そこで以下にこの順序で説明いたします。これは自己流の説明ですから大いに異論があると思います。

(1)釈迦の誕生と菩提樹の下で悟りを開いた経緯
以下は、http://www.kotobuki-p.co.jp/manabu.htm からの抜粋です。
佛教の開祖は釈迦です。生没年正確には分かっていません。前565年生まれ、前 486年に亡くなったという説と、前 465年生まれ、前 386年に亡くなったとう説などが有力とされています。
釈迦は北インドの一部族の名でした。
俗姓をゴータマ、名をシッダルタといい、現在のネパール南部のターライ盆地にあったカピラバスツー城で、シュッドーダナ(浄飯)王を父、マヤ(摩耶)夫人を母として生まれたといいます。
国王になるための教育を文武両面で受け、16歳でヤショダラ(耶修陀羅)女と結婚、1子ラーフラをもうけたが、29歳(19歳説も)で出家します。
出家した後、11年間にわたって苦行を続けたが、肉体を苦しめるだけの苦行では目的が達成できないことを知ったのです。そして菩提樹の下で思索、瞑想にふけり、35歳で成道します。
悟りを得た釈迦はサールナート(鹿野苑=ろくやおん)に行き、かつての同僚であった5人の修行者を相手にはじめて説法をします。
その後も釈迦は一カ所に止まることなく、主としてガンジス河の中流域で、民衆の問に応じてさまざまな教えを縦横に説いたそうです。
故郷でも父王や親族に自らの悟りを伝え、導きました。
西に東に、北に南に。教えを説く旅を死の寸前まで続けた釈迦は、80歳でクシナガラで入滅しましました。
教えの中心は全ては空と信じれば、自我に対する執着によって生じる苦悩から自由になることができると説いたのです。
釈迦の教えは、キリストの説法のように譬喩や例え話が多く、わかりやすかったのです。
実践の方法も極端な苦行などを避け、倫理を重視した方法を用いたので、さまざまな階層の人々に受け入れられました。

その教説はキリスト教と同じ様に生前は筆記されませんでいた。亡くなった後、数度にわたる議論の後で弟子たちが多数の仏教経典としてまとめました。
1番目の写真は1世紀ごろ北インドのガンダーラで作られた釈迦の像です。

この釈迦には十人の弟子がいました。
十人の弟子たちはそれぞれにそれぞれの分野で道をきわめた人たちであり、智慧のシャーリプトラ(舎利弗)や、神通力のマウドガリャーヤナ(目蓮)や、頭陀行のマハーカーシャパ(大迦葉)などの10人でした。
釈迦は菩提樹下で成道し、80歳で入滅するまで北インド各地で教説をしました。
当時インドで大きな勢力を誇っていたバラモンの哲学を打ち破り、カーストによる差別を認めない立場を貫き、人間の平等を訴えたのです。
仏教の最大の特色は、神と人との関係において宗教が成立するのではなく、人間自身に根ざし、人間自身の生き方を根本問題とするところにあるのです。

(2)仏教の中国への伝来
仏教が中国へ伝来したのは後漢の明帝の永平10年(67)とされますが、紀元前後にも西域諸国を通じて、すでに伝えられていたと考えられています。シルクロードを通って、仏教は中国に伝来したのです。
後漢末から魏・西晋時代になると、インド、西域から来朝する僧も多くなり、経典の翻訳も行われ、次第に世間の注目を集めるようになった。
西域から鳩摩羅什が入朝し、経典を数多く翻訳、中国独自の仏教の発展に大きく貢献します。
特に玄奘三蔵法師はインドに16年も滞在し経典を収集し中国へ持ち帰りました。
現在、日本で読まれている全てのお経は玄奘三蔵法師の漢訳によるものなのです。

(3)仏教の日本への伝来
『日本書紀』によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年(欽明天皇13年)に百済の聖王(聖明王)により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされています。
平安時代になると空海及び最澄が遣唐使とともに中国に行き、密教を学んだ。そして最澄は比叡山に天台宗を開き、空海は高野山み真言宗を開いたのです。

(3)鎌倉時代の宗教改革と曹洞宗の成立
鎌倉時代に入ると、それまでの仏教が「鎮護国家」を標榜した国家や貴族のための儀式のための仏教だったものが、次第に民衆の救済のためのものとなっていったのです。
叡山で学んだ僧侶によって仏教の民衆化が図られ、新しい宗派が作られます。
こうして生まれが「南無妙法蓮華経」と唱えることで救われるとする日蓮宗、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続ける事で救われるとする浄土宗、浄土宗からさらに浄土真宗(一向宗)、時宗が生まれたのです。

(4)日本における曹洞宗の成立
鎌倉時代の宗教改革で臨済宗、曹洞宗の2大派も生まれました。
私の父方の祖父は曹洞宗のお寺の住職でしたので曹洞宗のことを少しご紹介いたします。
日本の曹洞宗は道元が鎌倉時代に中国から導入したものです。
座禅こそが釈迦の教えを理解する唯一の方法であるという考えです。
曹洞禅は臨済禅と考え方がやや異なり、公案は用いず只管打坐、ただ座るということを重んじています。座禅は仏のはたらきを理解する方法として座禅をします。そして日常生活の全てが座禅と同じだとして重要視されています。
道元は、極めて厳格で、格調の高いものであり、一般に広まる性格のものではなかったのです。しかしその門下の瑩山紹瑾(1268~1325) が禅を大衆化し、現代の大教団の基礎を築いたのです。瑩山紹瑾は、石川県の能登に総持寺を開創しますが、明治に入って火事にあい、横浜の鶴見に移っています。現在、曹洞宗は道元の開いた福井の永平寺と鶴見の総持寺の二大本山制をとり、道元を高祖、瑩山を太祖として尊崇しています。

(5)仏教の教義のエッセンスとしての 般若心経
仏教の教義のエッセンスは般若心経にあると言われています。
そこで般若心経にはどのような意味があるのか、般若心経の現代語訳と共に、流れなどをご紹介いたします。
以下は、http://www.osohshiki.jp/column/article/138/ からの抜粋です。
2番目の写真は4つの文節に分けた般若心経です。それぞれの文節毎に意味を確認してみましょう。

■各ブロックの説明を下に示します。
①「誰がどのように般若を得たか」
第1のブロックでは、誰がどのようにしてこの知恵を得たのか、ということが説明されています。
観音菩薩が悟りを得る修行の中で、この世の五蘊(ごうん)には実体がないことを明らかにし、苦しみから解き放たれる方法を見つけたことが書かれています。
②「弟子への呼びかけ」
第2ブロックでは、10人の弟子の一人である舎利子(シャーリプトラ)に呼びかけています。
1行目には、「この世の形あるもの全てに実体がなく、実体がないからこそあらゆる形を得ることができる。これは人間の感覚についても同じである」と書かれています。
2行目には、「実体がないのであれば、生まれることもなく、消えることもなく、汚れることもなく、清らかでもなく、増えもせず、減りもしない」と書かれています。
③「空の思想の説明」
第3ブロックでは、第2ブロックでの呼びかけに続く形で、空の思想についての解説がされています。
真実の世界では、目に見えるもの、それによって感じたこと、思ったことなどは全て存在せず、それらの無知からくる悩みもありません。
しかし、その悩み自体は尽きることがありません。苦しみはなく、それを解決する方法も、それを知る方法もありません。
だからこそ、苦しみを知る観音菩薩はこだわりを持たず、全ての夢想・欲から離れることで涅槃(ニルヴァーナ)へと至ることができたのです。
④「般若心経の真言について」
第4ブロックでは、その悟りの境地に至るための真の言葉について説明しています。
この真理の言葉は並ぶことのない言葉であり、これにより苦しみは解き放たれるとされていて、それこそが般若心経なのです。
真理の言葉は「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」の部分で、
これには「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」という意味があります。

般若心経の意味が以上ですが、もっと分かり易い意訳もあります。下に示します。
★ 般若心経 新訳;http://blog.goo.ne.jp/triarrowstar/e/de2310ff6cb1b632fef1f5ec2d299787

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。・・・・以下略

さて表題の「あなたは仏教のことを欧米人へ説明出来ますか?」という問題に戻ります。
私は上に書いた(1)と(5)だけをを簡略に説明します。
全ては空だという部分は、All is empty.と言います。そしてLife is meaningless! と言います。しかし、Life is dingerous.とも言います。
欧米人が神の居ない仏教は宗教ではないと言います。釈迦をキリストとみなして崇拝すればそれも宗教と定義されるのですと言います。
欧米人は分からないという顔をします。そしたら私も分からないのだから無理もないと応じます。それでお終いになります。

彼等は疑問なのであとで本を読む人もいます。それで良いのではないでしょうか?
最後に日本人が誇りにしている法隆寺の写真をお送り致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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