後藤和弘のブログ

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「80歳にして想う日本民族とは(4)和を尊ぶ社会の強みと弱点」

2016年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム
日本民族は昔から輝かしい文化を持っていました。しかし何事にも良い側面と悪い側面があるのは仕方の無いことです。
例えば日本の文化の特徴に和をもって貴しとなすというものがあります。この文化は日本の社会に浸透し、人々の考え方や行動のもとになっています。
この結果、日本の社会に大変良い影響を与えてきました。
一例を上げれば、日本の会社では社員が勝手なことを言わないで、会社の方針に従って一致団結して新製品の大量生産に努力し、品質の高い工業製品を製造して来たことです。その結果が戦後から1990年頃まで続いた日本の経済の高度成長なのです。
それだけではありません。
和をもって貴しとなすという文化のおかげで、家庭には言い争いの無い静かな平和があるのです。職場にも和気藹々とした平和があるのです。
この家庭の平和や職場の平和こそかけがえのない大切なものです。
しかしこの文化には悪い効果もあるのです。それは恐ろしい一面です。
今日はいろいろな悪い影響のうち、以下の二つだけを取りあげて簡単に書いてみたいと思います。
(1)和を強調し過ぎるあまり、協調性の無い人間を残酷にも排除しようとする。
(2)異なった意見を排除するので、日本の社会では独創的な芸術や新しい科学技術が生まれ難い。

さて、日本では和を強調し過ぎるあまり個性を尊重しません。学校でも会社でも他人と違う意見を言うことは悪いことだという風潮があります。協調性の無い人間はいじめられます。疎外されます。一人前の人格者とは見做されません。
その結果、個性の強い子供は学校で不登校になりがちになります。
協調性の無い人間は会社で偉くなれません。職場で正論を言う人は嫌われます。言っていることがどんなに会社の為になっているこどでも無視されます。そうして、「そういうことは課長になってから言え!」と叱られます。
不愉快なので会社を辞めます。これが苦難の人生の始まりになります。
日本の会社は正しいことを言う自由がないのです。課長は部長の言いなりです。当然、身分の低い社員は上役に従順になります。個人の自由が無いのです。会社の、ある部分だけを見れば軍隊に入隊するような決心がいるのです。
和をもって貴しとなすという文化の弊害は学校や会社の人間関係に限ったことではありません。
地域社会でもその悲劇が起きるのです。
一つだけ実例をあげます。
近所に会津出身の人が変わったデザインの家を建て引っ越してきました。家を建てる前に、いろいろとご迷惑をおかけしますと礼儀正しく挨拶にきました。好感の持てる男でした。引っ越してから親しくなって話を聞きました。
すると郷里の会津の悪口を何度も何度も訴えるのです。結論を書けば、「自分が他人と違い過ぎると、さんざんいじめられた」と言うのです。
会津では個人を尊重しないで、傷つけられたと言うのです。そして会津には二度と帰らないと言います。

さて(2)の話題に移ります。
イギリスに長く在住して、あちらの大学を卒業した石山 望さんが「日英の教育事情」3 という記事で書いていることを以下に抜粋します。出典は、https://smcb.jp/diaries/7139399 です。
・・・まず、大学の授業ですが、先生は、勿論、その教科に限り「全知の人」。
しかし、余程専門的なことでない限り、先生は、学生に「皆で、一緒に学びましょう。私ももっと知りたいのです」という感じを抱かせる、。これは日本の大学と大きな違いと思います。
従って、生徒は、先生から「君たち、どう思う?」と問われることが、常です。
生徒に考えさせるのですね。従って、生徒は、事前にかなり予習をしていかなければなりません。
「論文」に関しても同じ。
何を書くかという、目的意識ははっきりしていないといけないけれど、それは、勿論、ただ単に「感想」といったものではなく、自分の言っていることに、「裏づけ」がなければならない。それには、多々の文献を引用する。
そして、最後に結論として、”自分はこう思う”とはっきり言わなければならない。
他人からの受け売りではなく、自分独自の見解、。
「ある有名な人が、こう言っておられます。」
「あ、そう、。それはいいけれど、じゃ、アナタはどう思うの?」ということです。「それを、アナタの言葉で言ってください、」
英国人というのは、小さいときから、自分の思う所をはっきり言う習慣がついていますから、頭脳に「論理的思考」というのが生来備わっているのだと思います。こういうのは日本の教育とは全く違うと思います。
日本では、古来「和を以って尊しと為す」とか言います。
他の人と同じようにする、そして、自分一人だけが目立つ様なことはしないということが、美徳であり、美しいとさえ思われている程です。
日本人には、「独自の見解を持つ」という習慣が身についていないのです。もし、そういうお方がおられたら、目立ちたがりの勝手者と思われてしまうかもしれません。
昔、こんな話を聞いたことがあります。
日本のとある私立女子大でのこと。女性の米国人講師、何かのテストのとき、生徒の答案全てに全て「0点」をつけたそうです。
「これは、授業中に私の言ったこと。アナタ方から言われなくても、分っています。」・・・・
はっきり要約すれば日本の教育は知識を暗記させることです。これに反して欧米の教育は自分で考え、独自の見解を持てるような訓練をすることなのです。考える力をつけるのが欧米の教育なのです。
これでは日本の社会では独創的な芸術や新しい科学技術が生まれ難いのは当然ではないでしょうか?
皆様のコメントをお待ちしています。
今日の挿し絵がわりの写真は昨日、京王フローラルガーデンで撮った晩秋の花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





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