後藤和弘のブログ

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アメリカ、そして日本から差別が無くなった! 区別と差別の違い

2017年07月11日 | 社会・経済
先週、大型客船で伊勢の鳥羽に行きました。そうしたら車椅子の人は上陸出来ませんと言うのです。客船から小さな通船に乗り移るのが危険なので上陸お断りというのです。
足が弱くて杖を使っている私は何となく嫌な気分です。これは差別なのだと一瞬感じたのです。
しかし乗り移る時に、若い乗組員の心からの手助けを受けて、嗚呼、これは差別ではなく区別なのだと納得しました。差別とは他人をさげすむ行為です。少数者を貶める行為です。区別にはさげすみの感情が皆無なのです。
それにしても最近の若い日本人は全ての場面で差別をしない美徳を持っているのです。
ところが、戦前、戦後の学歴差別、男女差別、職業差別、出生差別、身体・心に障害のある人への差別などなどの強かった日本社会で育った高齢者、特に後期高齢者の心の底には差別意識が残滓のように巣くっていると思います。私の心の底にもこの残滓があります。
それにしても日本の社会から全ての差別が無くなったことを嬉しく思います。差別されて悲しい思いをする人がいなくなっただけでも幸せです。人々が平等に楽しく暮らすようにお互いに気を使っている若い日本人に感謝しています。

ところが何故、日本社会からこのようにあらゆる差別が消えて無くなったのでしょうか?
結論を言えば、アメリカ社会で全ての種類が無くなった影響で日本でも差別が消えてしまったのです。
このように書くと反発する方々が多いと存じます。しかしその前に以下の文章を静かにお読みください。
昔のアメリカは黒人差別の激しい国でした。自分が留学した1960年当時は黒人は白人と同じトイレを使ってはいけません。同じレストラン、同じ映画館もいけません。バスの中の前部が白人と黄色人専用の席で後ろが黒人専用の席でした。当時の私はその状態を当然と思っていました。
ところがそれがひっくり返るような法律が出来てしまったのです。1964年に制定された公民黒人を平等に扱うという公民権法です。
その公民権運動を指導したのがマーティン・ルーサー・キング牧師だったのです。
彼が現在の日本の差別の無い社会を作る引き金を引いたのです。
このように書くと日本は黒人差別をしていないからキング牧師とは関係無いと言う人がいます。しかしもう少しお読み下さい。
キング牧師は1929年に生まれた公民権運動の指導者で、ノーベル平和賞受賞者です。マハトマ・ガンジーに倣って非暴力抵抗運動の先頭に立って闘い、1968年志半ばで凶弾にたおれたのです。享年39歳の若い死でした。
このキング牧師の公民権運動はやがて黒人差別撤廃だけでなくアメリカ社会における黄色人差別、原住民差別まで広がるのは当然でした。
その上、あらゆる弱者、マイノリティ、発達障碍者の差別撤廃へを拡大して行きます。
それが顕著になるのはべトナム戦争の頃でしょうか。そしてその後「差別用語」の撤廃運動が燎原の火のように燃え上がりました。
この差別用語の撤廃運動は怒涛のように日本社会を呑み込みました。大新聞やNHKは率先して差別用語を使用しなくなったのです。言葉の差別がなくなれば、気持ちの差別も次第に無くなります。
この頃から日本社会の全ての分野で差別というものが次第に消えて行ったのです。若者は柔軟です。高齢者は頑なです。差別用語を今でも使う高齢者が居るのは悲しいものです。

日本から差別用語が無くなり、差別そのものが消えて行くことは喜ばしい現象です。これはアメリカ社会の変化の影響です。その引き金を引いたキング牧師に感謝せざるを得ません。

今日の挿し絵代わりの写真は鳥羽沖で巨大な客船へ大きな台船を横着けして、小さな通船へ乗客を乗り移させている様子を示す写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料=============================
(1)キング牧師の有名な演説;
「私には夢がある(I Have a Dream)」
1963年8月28日
職と自由を求めるワシントン大行進において、キング牧師がリンカーン記念館で人種平等と差別の終焉を呼びかけた演説。公民権運動に大きな影響を与えた。米国における最高の演説であるとされている。
- 演説の一部 -
絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。
私には夢がある、それは、いつの日か、この国の国民が立ち上がり、「われわれは、すべての人間は平等に造られいることを自明の真理とみなす」というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢である。※
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。

(2)マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年~1968年)の紹介;
1929年、ジョージア州アトランタで牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。父親と同じ名前であったが、父子とも「マーティン・ルーサー・キング」と改名。宗教改革をはじめたマルティン・ルターから父親が命名した。
6歳のときに、一緒に遊んでいた近所の白人の子供の母親から「黒人とは二度と遊ばせません」と最初の人種差別を経験。高校時代には、討論大会で優勝した帰りのバスの中で白人から席を譲れと強制される。
1862年のリンカーン大統領の奴隷解放宣言により、米国の奴隷制は廃止された。しかし、それは人種差別の撤廃を意味するものではなく、学校、トイレ、プール、バスなどにおいて、白人と非白人の区別により、異なる施設が用いられることは容認されていた。
1955年、白人に席を譲るのを拒んで逮捕されたローザ・パークス逮捕事件に抗議して、キング牧師はバス・ボイコット運動を指導。これにより、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決を勝ち取る。これ以降、キング牧師は全米各地で公民権運動を展開していく。
キング牧師の運動の特徴は「非暴力主義」。インド独立の父ガンジーに啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫いた。1963年のキング牧師の有名な演説「私には夢がある(I Have a Dream)」は広く共感を呼ぶ。これらの運動により米国内の世論も盛り上がりを見せ、1964年に公民権法が制定された。
その後、キング牧師は「ベトナム反戦運動」への積極的な関与を始める。敵も増えていくなか、精力的に活動を続けたが、1968年にテネシー州で「私は山頂に達した(I’ve Been to the Mountaintop)」と演説後、モーテルで白人男性の凶弾にたおれる。








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