後藤和弘のブログ

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亡き人々が心の中で生きている、その(3)ある中学校の同級生のこと

2008年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム

年末になると亡くなった恩師、知人、友人の顔や声が心の中によみ返って来る。

その中に中学校時代のある遊び仲間の顔が見える。村木良彦君の顔や声である。

今年の1月に芝の増上寺で葬儀があった。その後でブログへ掲載した記事を再度出して物静かだった村木君へ感謝したい。

======2008年1月29日掲載記事の再掲載です======

「あるテレビマンの死」

村木良彦が死んだ。筆者の中学の同級生である。TBS社から独立し同志3人とともにテレビマンユニオンを1969年につくった。村木良彦という名で検索すると、「遠くへ行きたい」、「世界不思議発見」、「海は甦える」など歴史的な作品のプロデューサーの仕事をしたという輝かしい業績が並んでいる。そんなことは一切知らなかった。同窓会で何度も会って話したが、彼は自分の仕事のことは話さない。ニコニコ笑ってこちらの話を聞くだけであった。今日、都内のあるお寺で葬儀があった。弔辞を読んだのは昔の同志の今野氏であった。村木氏の業績のことは殆ど触れない。やさしく、穏やかで、決して怒らず。いつもまわりの人々に愛されていたと話す。ただ仕事のことになると、視聴率がもの言うテレビ番組作りへ鋭い批判を繰り返し、何時も良質の番組をつくる情熱に溢れていたそうだ。その思いでテレビ番組制作者連盟という組織を創り、自ら理事長を務めていた。日本のテレビ番組の質的向上へ意欲を燃やし続けてきたそうである。

どんな業界にも良識派という人々が居る。しかし彼らはとかく同業者を批判はするが自分は手を汚さない。今野氏の弔辞によると村木氏は番組を作る仕事で手を汚しながら低俗な番組に果敢に立ち向かったらしい。よほど情熱を燃やし続けないとうまく行かない。そんな内容の弔辞であった。

死んだ人の輝かしい業績だけを羅列する弔辞も多い。しかし、死者の優れた人間性を賞賛する弔辞ほど生き残った人々へ勇気を与えるものは無い。

昔、仙台にいたころ村木君の家へよく遊びに行ったことを思い出しながら葬儀会場を後にした。知人、恩人の葬儀のことをブログに書くのは憚られるが、マスコミの業績のみを羅列した短い記事へささやかな補足をしたいと思う。

            合掌。                     藤山杜人

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