後藤和弘のブログ

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江戸時代になる前の関東には城主不明で謎の城跡が沢山ある・・・歴史の闇に消えた城主たち

2016年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム
平安時代末期、鎌倉時代と歴史が流れ、やがて室町時代の「応仁の乱」に至ると関東地方は群雄割拠の戦国時代になります。
そのころは各地に城が沢山作られましたが、江戸時代以前の城については文献が少なくてよく分かっていません。
僅かに残っている文献から江戸という名前は現在の東京に最初に根拠地を置いた武家、江戸重継に由来しているようです。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての江戸氏の居館が、後の江戸城の本丸・二ノ丸辺りの台地上に置かれていたと考えられています。
その後の15世紀の関東の戦乱で江戸氏が没落したのち、扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣である太田道灌が1457年(長禄元年)に江戸城を築城しました。徳川幕府の公文書である『徳川実紀』ではこれが江戸城のはじめと書いてあるそうです。
ですから太田道灌が1457年に築いた江戸城が現在の東京の発展の出発と考えることも出来ます。
1600年に徳川家康が江戸に幕府を置いてから260年余の江戸時代が始まりました。

現在の東京の江戸時代の歴史はかなり詳しく知られていますが、それ以前の歴史はあまり明確には判っていないようです。
その理由は現在の東京都内にあった城や館の大部分は江戸時代に消えてしまって記念碑や説明板だけが残っているに過ぎません。
しかし、郊外の城跡は堀跡、広場、出入口の土手、建物の礎石群がそのまま残っているものも多く往時の様子が偲ばれます。
私は引退後にこれらの城跡をかなり丁寧に見てまわりました。車で行って、あまり人のいない城跡を散歩したのです。
八王子城、滝山城、片倉城、深大寺城、平山氏館跡、石神井城、高幡城などの跡地へは何度も行きました。


1番目の写真は八王子城の見取り図です。以下の写真も全て、http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi.htm から転載させて頂きました。
 
2番目の写真と3番目の写真は当時の鍋や食器が多数発掘された主殿跡の広場と石垣です。
この城跡には当時の建物群の礎石や空堀が良く保存されています。発掘調査も行き届き、説明板も丁寧に明快に書いてあります。

4番目の写真は滝山城の見取り図です。
 
6番目の写真は滝山城から見た多摩川の遠景です。7番目の写真は敵が攻め込んで来たら引いて倒してしまう曳き橋です。
滝山城跡には壮大な規模の城跡がそのまま残っています。
八王子と滝山城は北条氏昭が小田原城からやって来て関東地方の西部を統治していたときに住んでいました。武田信玄に何度か侵入されましたがその都度撃退しています。
八王子城と滝山城は小田原の北条一族が関東一円を支配していた時代の数多くあった北条一族の城の一部だったのです。
このように城主が分かったいる場合もありあすが、誰が作ったかさっぱり判っていない城跡もあちこちにあるのです。

7番目の写真は片倉城の見取り図です。
不思議なのは片倉城の主が分かっていないことです。鎌倉時代よりも前の山城と推定されていますが、誰が作ったか不明です。
 
8番目の写真は頂上にあ本丸跡の広場です。9番目の写真は城跡にある住吉神社でです。

このように誰が作ったかが分からない城跡が多摩地方には沢山あるのです
例えば深大寺城も誰が作ったか確定されていません。
築城した人が判っていない城跡が意外に多いのです。
高幡不動の裏山に登ると頂上に土塁が残っていて、素人目にもある時代に城があったことが分かります。
裏山を下りて高幡不動の和尚さんの一人に尋ねました。しかし文献が無いから知らないの一点張りでした。ただ発掘調査で、鎌倉時代よりも古いと推定されていると言っていました。

学校で習う日本の歴史は天皇や幕府のような中央政権に関する歴史が主なものです。地方の歴史はあまり教えません。
自分で少し地方の歴史を調べてみると判らないことが非常に多いことに驚きます。
歴史の闇に消えてしまった事実が沢山あるのです。失われてしまったものに対する好奇心が湧きあがって来ます。

さらに書けば東京には江戸城の他に、御殿山城、荏原氏館、品川氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、世田谷城、渋谷城、滝野川城、板橋城、志村城、石神井城、練馬城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城などなどもあるのです。これらの城や館は天正18年の秀吉勢の小田原城攻撃によって降伏します。そうするとすぐに関東一円の北条一族の城や館が秀吉勢に揃って降伏してしまったのです。
そして江戸に入った徳川家康は消滅した数多くの城や館を再び利用することはありませんでした。直轄領として代官を派遣する場合に川越城や土浦城や行田城は代官の館として利用しただけで、その他の数多くの戦国時代の城は意図的に歴史の闇に葬ったのです。文献も消えてしまいます。

これらの数多くの城や館にはそれぞれ主がいて、家族がいて、武士集団が住んでいたのです。それが江戸時代になると消えてしまったのです。歴史の闇に消えてしまったのです。何かはかないです。無常です。
それにしても城の数の多いのに驚かされます。戦国時代、室町時代の群雄割拠ぶりが想像され感慨深いのです。
現在私が住んでいる東京の多摩地域の歴史は文献が少なく不明なことが多ようです。しかし城跡は発掘調査をすると当時の家具調度、日用道具、食器、鍋釜などの破片が多数出土し最近、色々なことが分かって来ました。それらの情報は現地の歴史資料館に行くと分かります。

今日は現在の東京に残っている江戸時代以前の城跡について少しご紹介いたしました。
さて皆様かの住んでいらっしゃる土地にも江戸時代以前の城跡や館跡がたくさんあると思います。それをお教え頂けたら嬉しく存じます。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
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