熱海から船で30分の初島には、離れ島特有の共同体文化が戦後の高度成長期まで連綿として残っていたのです。
しかし経済的発展のために観光開発したおかげで、その固有文化が崩れてしまったのです。このような地方の文化が破壊される現象は全国で起きました。
その一つの明快な実例として初島の場合を説明します。
この周囲4kmの小さな島には江戸時代から41家族しか住んでいませんでした。長男が跡を継ぎ、娘だけの家では長女が婿をとり、家の数を一定にする伝統が現在でも戦後まで生きていたのです。
家を継がない子供は島を出て本州で生きて行きます。近海漁業と畑作だけの島では41家族しか生きて行けないからです。
島は作物が出来にくく、真水に困る土地で、生活が苦しいのです。
40年ほど以前に始めて初島に行った頃は、島には皆同じ大きさの家が並んでいました。島の内部は大根畑で、タクアン漬けを大量につくる木の大きな桶が畑に並んでいました。タクアンの臭気が凄かったのです。そして夏蜜柑の木々が多く、地面には大きな夏蜜柑がゴロゴロ落ちていました。
兎に角、41家族に貧富の差が無いように助け合って、共同体の幸せを築いていたのです。それは厳しい平等の精神が支えになっていたのです。
その証拠は下のように漁船の大きさが皆同じな光景からもわかります。写真は数年前に撮りました。
41家族が相談して同じ大きさの漁船を購入したようです。
そうしてもう一つの証拠は戦死した島の若者のお墓が皆同じで、お寺の入り口近くに整然と並んでいるのです。島の41家族が平等にお金を出し合って、本土から墓石を取り寄せて作ったのは一目瞭然です。下にその写真を示します。
そしてこの墓列のすぐ後ろには離れ島には不釣り合いに見えるほど立派な木造の小中学校が見えます。下にその写真を示します。
熱海市立初島小学校です。切り詰めた生活をしている41家族がせめて子供たちだけでも立派な校舎で学んで貰いたいと努力して建てたに違いありません。
この校舎の下をよく見るとまったく同じ大きさの食堂が20軒近く並んでいて地魚料理を出しています。
そこでその一軒に入り、新鮮な烏賊の味噌煮を食べました。
イカ料理を食べている様子の写真を下に示します。
この店のおばさんと話をしました。
私は、江戸時代からの41家族が助け合いながら平等な生活をしてきた島の平和を褒めました。
おばさんは、有難うと言ってから、訥々とゆっくり話してくれました。そして私の褒めた島の文化は島に民宿だけがあった頃までは存続していたというのです。
島に豪華なホテルと熱帯植物公園とヨットのマリーナが出来てから島特有の文化が消えて行ったそうです。
この豪華な施設は、富士急グループが投資したエキシブ初島というリゾートホテルと初島アイランド・リゾートと、エキシブ・マリーナという施設です。下にこの3つの施設の写真を示します。
・
・
これらの施設は大都会から観光客を大勢呼び込むための「大型観光開発」です。これで江戸時代から明治、大正、昭和と連綿として続いた41家族の平等性は完全に消滅し、その特色のある初島文化が一挙に崩れ去ったのです。
イカ料理を食べた店のおばさんは島は過疎化が始まっていて昔から住んでいた41家族の幾つかは家を締め切って、何処かへ行ってしまったと寂しげでした。そして大型観光施設で働く若者が本土から移り住んでいるそうです。
こういう話を聞いてから沖に停泊している「ふじ丸」を見ると、それが初島の文化を破壊するためにやって来た「黒船」のように見えるのです。そしてその黒船を見やりながら人々の幸福とは何だろうとしばし考え込んでしまいました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)