後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

福島原発より危険性の大きな高速増殖炉「もんじゅ」がトラブルを起こしている

2011年04月18日 | インポート

今朝の記事で高速増殖炉「もんじゅ」について少し書きましたところ趣味人倶楽部のリタさんとSanochi さんから下のようなコメントを頂きました。

そこで早速「もんじゅ」の現状を調べて見ました。そうしたら2010年8月に燃料棒を出し入れする大きな駆動装置が原子炉の中に落下して、それが取り出せない状態になっていました。燃料棒を入れたり、抜いたり出来ませんから発電開始も出来ないし、廃炉も出来ない大変危険な状態を8ケ月近く続けているのです。実に困った状態です。

そこで高速増殖炉の危険性とトラブルの内容を明快に描いた報告書を検索して、広く探して見ました。そうしたらとても客観的で分かりやすい報告書を見つけました。京都に居る大学4年生の学生さんが書いた報告書です。この記事の末尾にご紹介してありますので是非お読み下さい。

精読した私は「もんじゅ」は廃止すべきと信じるようになりました。兎に角、説得力のある素晴らしい報告書です。参考文献もついた完成度の高い報告書です。是非ご一読下さい。

少し混み入った問題なので、頭を休めるためにリタさんが撮影した静かな風景写真をお借りして、掲載いたします。

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====リタさんからのコメント======

もんじゅについては小生は絶対稼働を許してはならないと思っています。
常識的に考えてプルトニウムとナトリウムを使った巨大なシステムを長期にわたって人間が制御できるなどという発想そのものが狂気そのものです。思いあがりもはなはだしいことです。稼働する前から様々の事故を起こし、現在もストップしたままで、巨額の税金を垂れ流ししています。
このことが国全体で少しも問題にされていないというこの国の在り方がもう異常としか言いようがありません。一旦始めたら破滅に向かうまでやめられないのは戦前からの日本人の特性なのでしょうか?誰が一体責任を持っているのでしょうか?国民一般も知らなかったでは済まない問題だと思うのですが、本当に情けないことです。これからもこの危険な施設がどのように扱われていくのか注視していきたいと思っております

=====Sanochi さんからのコメント=====

当方も、もんじゅはとてもわかりやすい「致命的」なシステムだと思います。「破滅的」「自殺行為」、なんと表現しても足りないですね。少しでも化学をかじったことのある人なら、震え上がるような組み合わせです。
原子力の技術サイドの人たちが一様に「傲慢」な態度で一般人や他の原子力関係者を愚弄しているのをみて、言葉を失います。責任感と倫理観の欠如した発言や態度はとても許せるものではありません。
地熱発電などの自然エネルギーの発展を阻害し、原子力へとミスリーディングした罪は大きいです。まだ間に合う、と思いたい。

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上の疑問にたいする明快な答えを見つけました。

shiba_yu36 さんが「福島原発以上に危険性のある高速増殖炉もんじゅで今起きていること」と題目で記事を発表しています。そのURLは、

http://d.hatena.ne.jp/shiba_yu36/20110329/1301399251#c です。

是非、お読み下さい。ついでに高速増殖炉の見取り図を掲載しておきます。

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続けて「もんじゅ」関連の記事を書いて行きたいと思いますので、コメントやご感想を頂ければ嬉しく思います。(続く)

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高濃度汚染水が多量に海へ出ているのを隠す必要は無い!

2011年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

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富士山の写真を見ると私は何故か冷静な気分になります。そこで高濃度の汚染水が大量に毎日、毎日海へ流れ出ていると言う論理をご説明したいと思います。どうぞ心静かにお読み下さい。

福島原発の1号炉から3号炉までの炉心を冷やす為に、そして4号炉の燃料棒貯蔵プールを冷やすために毎日500トン位の真水を注入し続けているという発表があります。

この毎日500トンの注水は10日間で5000トンになります。20日間で1万トンにもなるのです。それが不思議なことに原発工場の敷地にあふれ出て来ないのです。

古典熱力学は物質不滅の法則とエネルギー不滅の法則から成り立っている理論体系で現在でも理科系教育の根幹の一つです。

この物質不滅の法則に従うと、毎日500トンの水を入れても地表に出て来ない事実は明快に以下の事を断言しています。

毎日500トンの汚染水は地下にもぐるか、海へ流出しているのです。地中へ沁みこんで地下水になる量と海へ流れ出る量とどちらが多いのでしょうか

本来、水があってはならないトレンチという配管用のトンネルの高濃度汚染水を汲み上げて水位を下げても、また元の水位に戻る現象を考えて見ましょう。

元の水位より高くなると海への流出が増え、その水位でバランスが取れていると理解するのが客観的に正しいと考えられます。土壌は砂礫層の下は緻密になっていて水の沁みこみ速度は小さいのが一般です。

したがって毎日の500トン位の注水の大部分は、目に見えない地下経路を通って海へ流れ出ていると考えるのが論理的に正しいと思います。

海水取水口の海面上から汚染水が多量に流れ出ているのを発見し、それを止めることに成功しました。しかし目に見えない地下排水溝から海へ出ているとどうして考えないのでしょうか?そのように考えるのが自然ではないでしょうか?

海へ流れている可能性を東京電力が発表しないのは漁業補償が高額になるからです。確証が出るまでダンマリを通します。利潤追求の株式会社としては正しい態度かも知れません。

一方、経済産業省の原子力安全・保安院は日本の産業の風評損害を出来るだけ防ぐために海洋汚染の可能性を発表しません。隠蔽したいのです。気持ちは分かります。

しかし国際社会はその事でかえって日本を信用しなくなります。自分に不利になる予測でも全ての可能性を科学的に議論して、外国へ発表しない態度が不信感を増大するのです。その不信感を言葉で表せば、「日本政府は情報隠しをしている」という事になるのです。

テレビに出てくる学者が、「海水へ流出してません。その証拠が有りません」と繰り返し言っていました。こういう学者を曲学阿世の徒と言います。昔、吉田首相が学者を嫌い「曲学阿世のやから」と良く言っていたことを思い出させます。学者は一般的に視野が狭く自分の専門のことは真剣に考えますが専門外のことはどうでも良いのです。高濃度汚染水が海に出る、出ないは自分の専門外なのです。

日本の政府の人々が情報隠しをしていると外国から非難される原因は何でしょう?原発事故へ対する非科学的な態度を取り続けるからなのです。残念です。

皆さまのご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)


私は何故2年前に原発反対へ変更したか?・・・(2)狭い視野のまま死ぬか、広げてから死ぬか?

2011年04月18日 | インポート

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人は皆死ぬといいます。前立腺ガンを切除してから2年、除ききれなかったガン細胞が少しずつ増えています。死ぬ事が空想事でなくなりました。死ぬ時は上の写真を思い出しながら平穏な気持ちで生を終わりたいと思っています。

所で4年前にブログを始めました。インターネットの世界に飛び込んで、いろいろ多種多様な人々の考え方や意見を知りました。インターネットのお陰で多くの人々の意見を客観的に考える訓練を受ける事が出来たのです。4年前までは自分の専門のこだわり、実に狭い視野しか持っていませんでした。

大学の工学部を卒業し、一生の大部分を、大学で工業の基礎研究をしながら、技術者になる学生の教育をしていました。当然、現代技術を信じ、人類の幸いをもたらすものは近代工業であり、先端技術であると堅く信じていたのです。当然、原子力発電施設の精妙さに感動し、その安全を信じていました。

そこで2年程前の2009年2月に原子力発電の原理とその安全性を説明する連載記事を数回掲載しました。バックナンバーにそれらの記事があります。

ところが多くの読者から原発で出来た放射能の飛散の可能性を指摘され、原発の廃炉工程が出来あがっていない事を指摘されました。その上、多くの人々が直感的に原発を恐れ、その反対運動をしながら不安な生活をしている事を知りました。

原発専門技術者は効率の良い原子力発電設備の改良に努力しましが、廃炉工程のことは真剣に考えません。専門バカの特徴です。視野がとても狭いのです。その上、「専門家」は素人を見下す癖があります。見下すのは自由ですが、素人の意見を客観的に考えません。視野が徹底的に狭いのです。

ブログに原子力発電の記事を連載してから、私は自分の視野の狭さに愕然としました。

その上、それまで考えていなかった思想が心の中に芽生えて来たのです。「たとえ原発が安全だったとしても、多くの人々が不安な気持ちで暮らしていたら、その邦は住み良い国では無い!」という思想です。恐怖や不安が充満していては、たとえ経済的に栄えていても不幸な邦なのです。日本の住環境が悪いとしか言えません。

この2つの理由で2年ほど前に私は原発反対の立場をとることに決心しました。

結論を言えば、私は専門バカを脱却して広い視野でもの事を考えられるようになったのです。

専門バカのままで死ぬか、広い視野に到達してから死ぬか?

人それぞれどちらでも良いのです。優劣はありません。

しかし今回の福島原発の大きな事故の様相を見ていると、狭い視野の危険性をしみじみ感じざるを得ません。広い視野。それはインターネットの世界へ入ったお陰と思います。インターネットの良い効果の一例と信じています。

それはそれとして、

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人