政治と宗教のことはブログに書かない。そんな決心はすでに捨て、宗教のことは書いた。政治についても書かずにはいられない。なにせ、黒人のオバマさんが大統領になるからだ。
僕は心の底から嬉しく思う。感情的に嬉しい。
何故感情的になるか? 1960年にオハイオへ留学したとき、黒人差別の実際を毎日見て、衝撃を受け、悲しんだからだ。当時はバスや電車で黒人の席と白人の席が別になっていた。バスに乗って後ろの黒人の席に座ると、白人の男が来て、無理やりに前の席の一番後ろへ座れと命令する。黒人だけが行く喫茶店でコーヒーを飲んだら、出てきたところを白人に捕まり、「君はこの店に入ってはいけない。あそこの店へ行け」と白人の出入りする喫茶店を指差す。黒人街にあるアパートへ引っ越そうと見に行ったら、白人の同級生に静かに、しかし決定的な理由を言われて引越しを止めてしまった。
テレビで何度も演説を見た黒人のキング牧師も白人の銃弾によって暗殺された。暗殺されそうなことが分かっていながら、南部の街へ演説をするために行ったのだ。
日本で、教会を通して交際したアメリカ人も全て白人であった。黒人の将校や兵隊も多数駐留していたが外国人とは交際しないという習慣なのか、話し合うチャンスが無い。黒人はアメリカ社会の黒子なのだ。芝居の舞台で黒子が台詞を言わないように、黒人は沈黙を守った。
1988年から2年間オハイオに住んでいたときは人種差別もかなり改善され、黒人も白人の住宅街に住めるようになっていた。バスの席もレストランも同じになって差別がなくなった。しかし大学の工学部の同僚や学生には黒人は独りも居ない。一度黒人とゆっくり話し合ってみたいと思ったが不可能であった。公共の生活での差別は消えつつあったが個人的な、私的な生活の場面では黒人と交際したくないという風潮が厳然としてあった。そんな風潮の中で僕自身も心の中で黒人を差別していたのだ。見下げていたのだ。
そのような実体験を重ねてみると、今回、オバマさんがアメリカ大統領になることは本当に嬉しく思う。僕の個人的な感情から嬉しく思う。自分が罪悪感から少し開放されたのだ。白人も同じように感じた人々も多いと密かに考えている。
それよりも悲惨な差別で傷ついた多くの黒人達の嬉しさが、僕の体を揺さぶるよいうに伝わってくる。テレビに映った黒人男性の頬を伝わる涙の意味が分かる。深く重く僕の心へ響いてくる。
「人は、見かけによって差別してはいけない!」。
このテーマで少し続編を書いて見たいと思う。(続く)