浮世風呂

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ジョン・F・ケネディはマフィアの掟に従い暗殺された

2014-08-22 05:21:41 | 資料

◆マフィア ケネディ家 

ジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニア(1888年9月6日 - 1969年11月18日)

ジョン・F・ケネディの父

巨大な資産をバックグランドにした民主党の有力政治家であり、アメリカのカトリック教徒および、アイルランド系アメリカ人の実力者でもあった。
フランクリン・ルーズベルトの大統領選出時(1932年)に財政支援を行った功によって、初代証券取引委員会委員長(1934年)、
連邦海事委員会委員長(1936年)、
在イギリスアメリカ合衆国大使(1938年~1940年)
のポストを歴任した。

ジョーが生まれたとき、すでにケネディ家は裕福であり、ボストンのみならず東海岸において影響のある一族であった。

一家はアイリッシュ(アイルランド人)移民で3代でお金持ちになったアメリカンドリームの典型ともいえるのだが、実のところ、以外とボストン地元のアイリッシュの人々からは嫌われている。

1919年、ジョーは義父の紹介でボストンのヘイデン・ストーン社(Hayden, Stone & Co.)という老舗証券会社に職を得た。ここでジョーは株式売買業務をマスターし、自身も株の取引で大いに儲けたが、ほとんどが内部情報をもとに自分に有利な取引を行うというもので、現代なら内部者取引や違法な株価の操作にあたるものや「空売り」による利益であった。

ルーズベルト大統領の時代にウォールストリートを突如襲った株価の大暴落で、株投機をしていた多くの個人投資家が悲嘆にくれる中、投資家であったジョーは不正の噂や黒い噂がささやかれる強引な先物取引のショートで巨万の富を築いたそうだが、その為に多くの投資家が不幸になったともいわれている。

1920年代後半、ジョーは株式取引で得た資産を当時の新興業界であった映画産業に投資し始めた。

1928年10月、彼は自らの持つFBOとKAOを合併させ、新たにRKO (Radio-Keith-Orpheum)を発足させた。その過程でジョーはRKOの株をつかってさらに稼いだといわれる。ジョーの「ビジネス」のやり方を示唆する以下のような事例がある。

当時、ジョーはアレクサンダー・パンテイジス(Alexander Pantages)という男が経営していた映画館のチェーン、パンテイジス社を買収しようと話を持ちかけたが、すげなく断られた。その直後の1929年8月、パンテイジスはユーニス・プリングル(Eunice Pringle)なる女性を強姦しようとしたという罪で訴えられる。パンテイジスは濡れ衣であると言い張り、最終的に無罪を勝ち取るが、社会的な信用を失って、会社も結局ジョーのものになった。

ジョーが禁酒法時代にマフィアと組んで酒類の密輸で稼いでいたことは当時から有名な話であった。秘密裏に行われていたため、明白な証拠はないものの、1920年代に資産が増えている理由が非合法ビジネス抜きでは説明できないことや、マフィアを含む多くの証言からほぼ間違いない。

後に禁酒法が廃止されると、ジョーはサマセット社(Somerset Importers)という会社を立ち上げて、ジンとスコッチの販売網を独占し、再び大もうけした。このときのパートナーはルーズベルト大統領の息子ジェームズ・ルーズベルト(James Roosevelt)であった。

ジョーはもうけをレストランやビルといった不動産に投資していった。ジョーが買った不動産の中でもっとも有名なものはシカゴのマーチャンダイズ・マート(Merchandise Mart)ビルであり、同ビルはケネディ家のシカゴでの拠点となった。

ウォール街とハリウッドで成功を収めたジョーの次の目標はワシントンだった。

1930年、ヘンリー・モーゲンソー・ジュニアの紹介でフランクリン・ルーズベルトと面会したジョーは1932年の大統領選挙に打って出るルーズベルトの資金援助を申し出た。資金援助だけでなく、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをルーズベルト支持に引き込んでみせたジョーの功績は大きかった。

が、大統領当選後、ルーズベルトは彼にポストを与えなかった。

ようやくジョーが政府の職を与えられたのは1934年7月、新設の証券取引委員会(SEC)初代委員長に任命されたのだった。証券業界における不正を根絶し、健全な株式市場になるよう監視し、コントロールする同委員会の委員長に、相場師として悪名高いジョーが任命されたことに人々は驚愕した。

ルーズベルトは世間の悪評も意に介さず、「泥棒を捕まえるのに泥棒が必要だ」とうそぶいていたという。
「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニスト、アーサー・クロックはこのとき、ジョーを擁護し、その経歴を褒め称えるコラムを書いた。
クロックは以後、ジョーから報酬を受け取りながら、ケネディ家の「御用コラムニスト」をつとめることになる。

ジェームズ・ランディスなど有能なメンバーに恵まれたことと、ここで一花咲かせてやると張り切ったジョーが精力的に活動したことにより、証券取引委員会の活動は高い評価を得た。ジョーの任命を批判した人々も、その結果の前には彼の有能さを認めざるを得なかった。

ジョーは財務長官のポストを望んでいたが、再選されたルーズベルトはそれを与える気はなかった。かといって、ジョーは在野にしておくと政権にどんな仇をなすかわからない。そこでルーズベルトは1937年3月、ジョーを連邦海事委員会の委員長に任命した。しかし、彼はこの程度のポストでは満足できず、わずか10ヶ月で辞任する。

1938年、ルーズベルトはジョーを在英国アメリカ合衆国大使に任命した。これはもっといいポストを望んでいたジョーと、いいポストにつかせたくないが、かといって手元においておかないのも不安なルーズベルトの思惑が一致したものであった。

当時のイギリス首相はネヴィル・チェンバレン、彼は勢力を拡大しつつあるアドルフ・ヒトラーに対して宥和政策で対応しようとしていた。マスコミの操縦法を熟知していたジョーは「大家族の父」というイメージを振りまき、イギリスで好評のうちに迎えられた。

ジョーは大使としてチェンバレンの宥和政策を支持し、ヒトラーの政策に理解を示した。ジョーはアメリカの孤立主義の堅持と、ヒトラーへの譲歩のみが破滅的な世界戦争を免れる唯一の道であると信じて疑わなかった。ナチスがユダヤ人を殺害しているという報道がされるようになっても、まだ個人的にヒトラーと会見して状況を好転できると考えていた。またケネディはアメリカがイギリスに武器を供与することに徹底的に反対していた。アメリカ大使でありながらナチス支持の発言を続けるジョーは、英国のみならずアメリカ本国でも人々から眉をひそめられる存在になっていた。

1940年11月10日のボストン・グローブ紙日曜版にのったこの談話がジョーの政治家生命に終止符をうつことになった。電撃戦でナチスが欧州を席巻していたこの時期、ジョーはインタビューに答えて次のように語っている。

次の六ヶ月が重要だ。英国に武器を供与する最大の目的はとにかく時間を稼ぐこと、準備する時間を稼ぐことだ。イギリスは別に民主主義のためにナチスと戦っているのではない、ただ自己保存の戦いをしているのだ。もちろん私たちも参戦すればそうなる。私は誰よりヨーロッパの情勢を知っている。人々にそれを知らせるのが私の仕事だ。
— Boston Sunday Globe of November 10, 1940

この記事は国民的批判を巻き起こした。これが決定打となり、ルーズベルトはこれ以上ジョーを大使にとどめておくことは不可能と判断。1940年11月、ジョーは2年9ヶ月で辞任に追い込まれ、政治家としての生命を絶たれた。
その腹いせにジョーはサマセット社がボストン・グローブ紙に出していた広告を中止し、同社は大きな広告収入を失うことになった。

戦争中にジョーはカトリック教会への貢献を理由に、マルタ騎士団の騎士号を教皇から受けている。この栄誉はフランシス・スペルマン・ニューヨーク大司教の手回しで行われたとされている。

自らのホワイトハウス入りの夢を絶たれたジョーは、長男のジョー・ジュニアにその夢を託すようになった。ところが、ケネディ家を悲劇が襲う。1944年8月12日、期待のジョー・ジュニアが海軍の飛行隊での任務中、イギリスでの飛行機事故で不慮の死を遂げたのである。

ジョーは非情な運命に屈せずに、同じ夢を次男のジャック(ジョセフ・ケネディ)に託した。こうして1946年に下院議員に立候補して当選したジャックは上院議員を経て、1960年の大統領選挙に出馬、ジョーの望みどおりホワイトハウスの主となる。

ジョーの生涯の信条の一つに反ユダヤ主義があった。
ジョーの友人やビジネス・パートナー、重要な取引相手に多くのユダヤ人がいることと、自身が反ユダヤ主義を再三表明したり、ユダヤ人を「カイク」と蔑称することは、彼にとってまったく矛盾でなかった。

自身の政治家生命が絶たれたあと、ジョーの望みは息子たちをアメリカ大統領の座につかせることだった。そのため、ジョーは戦後、自分は表に出ずに陰から息子たちをバックアップするようになった。ジョーは大使時代の失態や相場師としての悪評、密輸ビジネス、マフィアとの関係、ルーズベルト大統領への批判、マッカーシー議員との親密さなどジャックの大統領選挙活動にとってマイナスになることが多すぎたため、裏に隠れざるを得なかった。

しかし、ジャックの大統領選挙活動もあって実際に中心にいるのがジョーであることは誰の眼にも明らかだった。ジョーは選挙資金を出すだけでなく、メディアの利用の仕方、政治家たちとの駆け引き、裏社会との交渉、自己イメージの演出法など己の人生で得た知識のすべてをジャックに叩き込んだ。大統領を目指すジャックにとって父親は最強のブレーンであり、サポーターであった。

1961年1月20日、ジョン・F・ケネディは第35代アメリカ合衆国大統領に就任。弟のボビーは司法長官として入閣した。しかし、ジョーがフィクサーとしてアメリカ合衆国を自らの手でコントロールできる喜びに浸れたのもつかの間だった。

1961年12月19日、ジョーは自宅で脳梗塞の発作を起こした。一命は取り留めたものの、失語症および右半身不随となった。以降はジョーにとって悲痛な晩年となった。

大統領の座に押し上げた息子のジャックは1963年11月22日に遊説中に暗殺され、兄の後を次いで大統領を目指したボビーまで1968年6月6日に暗殺された。末っ子のテッドも上院議員となり、兄たちの果たせなかった夢を果たそうとしたが、1969年7月18日に起こしたチャパキディック事件で大統領への道を絶たれた。

1969年11月18日、波乱の生涯を送ったジョーは家族に見守られながら静かに息を引き取った。81歳であった。妻ローズは長命で、1995年に104歳でこの世を去った。

以上の経歴からも、ケネディ家の財が、マフィアとしての活動から成されたことが裏付けられる。

◆ケネディ大統領は私が撃った。

45年経って狙撃犯が告白した内容を検証した結果、ほぼ告白が事実だと認められる。暗殺の狙撃音は4発。その4発目を撃ったのは、マフィアに依頼されたジェイムズ・ファイルズ。シカゴ ステートヴィル刑務所で今も警察官殺害の罪で50年の刑に服している。

そのインタビューがこのYouTubeに残っている。まずはじっくりとご覧いただきたい。

http://www.youtube.com/watch?v=Rz4iIX7Cg0M

 
 これが真犯人だと言う状況証拠も揃っている。私見だが、ケネディが大統領就任後、マフィア撲滅を始めたことが彼の暗殺に至る主要因だと思う。
 
 暗殺されたケネディ大統領の財産は、故アンドレ・マイヤー[1898–1979]という男が自由に使っていた。マイヤーが「俺はケネディ殺害犯人ではない」と主張しても、誰も信用しないであろう。

 マイヤーは、イスラエル最大の軍事産業アイゼンベルグ社のメンバーであり、創立者の息子である。アイゼンベルグは元々、全米を統一した米国最強のマフィア「殺人株式会社」であり、マイヤーはその顧問弁護士である。「金をもらい、殺人を請け負う」事を仕事としている「殺人株式会社」のメンバーが、殺害されたケネディの財産を横領し、使用しながら、「俺は犯人ではない」と言っても誰も信用はしない。「殺人」だけが日常業務の企業である。

 これはアメリカ=ロシア間で行われ、現在人類を絶滅の危機に立たせている核兵器大量生産・競争が、イスラエル、その中核企業アイゼンベルグによって展開されて来た事を意味している。
 
 現在、この密売組織の中核ノーザントラスト銀行[Northern Trust]の経営を任せられているのが、金融マン、フェリックス・ロハティンである。米国の「イスラエル博物館」の館長であり、ブランド品のルイ・ヴィトン社の重役と言う肩書きを持つロハティンは、一方でスエズ金融という金融企業の経営者でもある。

 19世紀、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ各地を支配し、有色人種を奴隷として酷使し、過酷な奴隷労働の末、数億人という人間を殺害した悪名高い「東インド会社」、それが現在のスエズ金融である。その経営者が、ノーザントラスト銀行の経営者ロハティンである。

 現在、世界中の水を支配しようと考え、世界各地で水道事業の乗っ取りを繰り返しているのが、この東インド会社=スエズ金融[Suez]である。

 もちろん、スエズ金融の経営者ロハティンの顧問弁護士は、殺人株式会社のアンドレ・マイヤーである。 クリントン政権の副大統領ゴアと、弁護士を「共有」するロハティンは、クリントン政権の国防長官ウィリアム・ペリーを育て上げた「恩師」である。 ペリーが別名CIA・TVと呼ばれるCBS・TVを創立した際に、資金を提供したのがこのロハティンである。 その資金は、ロハティンがイスラエル最大の軍事産業アイゼンベルグの金融部門である、ローズ・コーポレーションから借り出したものであった。

 アメリカ=ロシアの核兵器大量生産・競争を担ったノーザントラスト銀行が、資金の融資を求める先がイスラエルである事、その資金源がイスラエルのアイゼンベルグ=ローズ社である事を、これは示している。

参考資料
Ex-Ambassador Rohatyn Joins Rothschild
http://www.nytimes.com/2004/10/13/business/13rohatyn.html?_r=0

 アメリカ大統領ケネディが、イスラエルの核開発に反対し尚かつ、FRB(ロスチャイルド)のドル札発行に反対し政府独自の札発行に踏み切った後暗殺され、その財産は、アイゼンベルグ社の顧問弁護士アンドレ・マイヤーの管理下に置かれ、ケネディの妻ジャクリーンは、アリストテレス・オナシスと再婚し、ケネディは「妻を奪われた」。 敵の財産を全て没収し、妻を奪い取り、「敵の顔に徹底的に泥を塗る」、これがマフィア戦争の掟である。

現在もケネディ家はたとえ車一台の購入にすら、この顧問弁護士の承認を得なければならない。これは抵抗したケネディの兄弟が共に暗殺されたことで証明される。

余談であるが、もし暗殺した相手の妻を自分のたとえ右腕であっても部下の妻とすることは、マフィアの仁義に反することであり、他のマフィアから離反され誰からも相手にされなくなる。それから推測すると、ケネディ暗殺の黒幕の中にこのオナシスも係わっていたという疑いが、非常に濃いものと思われる。

これは、現在のケネディ家の背後には、今もマフィアが存在するということである。

駐日大使キャロライン・ケネディが、マフィア組織の人間である事を誰も知らない。第二次オバマ政権の駐日本大使に送り込んだのはアイゼンベルグ社=ローズ社である。現在、種子会社が総合軍事企業と成長したモンサント社がオバマの最大スポンサーであることも無関係では無いだろう。

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 つまり、現在の米国はイスラエルマフィアにより牛耳られていることが分かる。アイゼンベルグ=ローズ社は請われれば大統領でも暗殺する殺人会社である。現在のこのアイゼンベルグ社の当主は母親が日本人であるが、それは日本贔屓であるとは限らない。すべてがビジネス第一の企業だから。
 
◆なぜか不幸に襲われる一族の悲劇

1941~2005年 ローズマリー・ケネディ≪JFKの妹≫:先天的知的障害によりロボトミー手術(脳の前頭葉の除去手術)を受けるが、ますます深刻な認知障害や暴力行動が発症。彼女は2005年の死まで隔離される。

211944年8月12日 ジョセフ・P・ケネディジュニア≪ジョセフケネディの長男・JFKの兄≫: 第二次世界大戦中に 任務飛行中、航空機空中爆発で墜落、死亡(29歳)

1944年9月10日 ウィリアム・キャヴェンディッシュ≪JFKの妹であるキャスリーン・ケネディ・キャヴェンディッシュの夫≫:軍の防衛隊行動中にベルギーで狙撃兵に殺される

1948年5月13日 キャスリーン・ケネディ・キャヴェンディッシュ≪前述≫:フランスで飛行機事故で死亡(28歳)

1954年  ジャクリーン・ケネディ≪JFKの妻≫:流産

1956年8月23日  ジャクリーン・ケネディ≪前述≫:娘を死産(0歳)

1961年12月19日  ジョセフ・P・ケネディ≪JFKの父≫:1969年に彼が死ぬまで続く運動機能とコミュニケーションの障害がこの年に始まる

1963年8月9日 パトリック・ケネディ≪JFKの2番目の子供≫: 6 週間早く早産で生まれ、出生2日後に死亡 (0歳)

1963年11月22日  大統領ジョン・F・ケネディ≪本人≫:テキサス州ダ ラスで暗殺される(46歳)、 同じ日の 1 1月2 2日に、彼の曽祖父(妻ジャクリーン側)死亡

1964年6月19日 テッド・ケネディ-、マサチューセッツ州上院議員≪JFKの弟≫:飛行機事故に遭い、側近の一人が死亡。彼は肺が破裂し、肋骨を骨折の重傷を負う

1968年6月5日  ロバート・F・ケネディ≪JFKの弟≫:カリフォルニア州民主党の大統領予備選挙に勝利したあとにロサンゼルスで暗殺(43歳)

1972年2月23日  ジョセフ・P・ケネディ2世≪JFKの甥、JFKの弟ロバートの息子≫:インド上空で乗っていたルフトハンザ機が5人パレスチナ人によりハイジャックされ、南イエメンに移送される

1973年1月23日  アレクサンダー・オナシス≪JFKの妻ジャクリーンケネディの再婚相手の息子(義理の息子)≫:飛行機事故で死亡

1973年11月17日  エドワード・ケネディ・ジュニア≪JFKの甥、テッド・ケネディの息子≫:1 2歳の時の彼の右脚の骨癌による右足を失う

1973 年 ジョセフ・P・ケネディ2世≪前述≫:運転していたジープで交通事故に遭い、本人は重傷、同乗者の体が永久に麻痺状態になる

1984年4月25日  デビッド・ケネディ≪JFKの甥、JFKの弟ロバートの息子で前述のジョセフの弟≫:麻薬デメロールやコカインの過剰摂取でフロリダ州のパームビーチのホテルの部屋で死亡(28歳)

1988年11月19日  クリスティーナオナシス≪ジャクリーンケネディ再婚相手オナシスの娘≫:アルゼンチンで薬物乱用による心不全で死亡

1997年12月31日  マイケル・ケネディ≪JFKの甥、ロバートの息子≫:コロラドのスキー事故で激突死(39歳)

1999年7月16日  ジョン・F・ケネディ・ジュニア≪JFKの息子≫:彼と彼の妻、キャロリンと義理の姉ローレンの3人が乗ったプライベート機が大西洋飛行中に霧のため操縦がクラッシュし死亡(38歳)

2004年5月1 9日  ジャクリーン・ケネディ≪JFKの元妻≫:1994 から犯されていた癌:ホジキリンパ腫で死亡

2008年5月20日 テッド・ケネディ≪前述≫:脳腫瘍(グリオーマ)と原因不明の発作のため入院 、平均余命は数か月から5年程度だという
   

 
参考資料としていくつかポストしておくが、それが暗殺の直接要因とは限らないかも知れない。少なくとも無関係とも言い切れないところが有るのも事実である。
 
◆J.F.ケネディが演説で読み上げる予定だったある草稿が見つかっている。その草稿を読む予定だった演説は、暗殺によって、なきものとなった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わがアメリカ国民、そして世界中の皆さん、
今日、我々は新しい時代への旅に出発します。
人類の幼年期である、一つの時代は終わりに向かい、
新たな時代が始まろうとしています。

私がお話しする旅とは、計り知れない試練に溢れていますが、
我々の過去のあらゆる努力は、成功するために
我々の世代を比類なくサポートしてきたものと私は信じます。

この地球の市民である我々は孤独ではありません。
無限の知恵を備えた神は、我々自身のように、他にも知的生命体を宇宙に住まわせてきました。

そのような権威に対して、私はどのように述べることができるでしょうか?
 1947年、わが軍は、乾燥したニューメキシコの砂漠で、起源不明の飛行船の残骸を回収しました。

まもなく、我々の科学により、この乗り物は、はるか遠くの宇宙空間からやってきたことが分りました。
その時以来、わが政府はその飛行船の製造者達とコンタクトを取ってきました。

このニュースはファンタスティックで、実際、恐ろしく思われるかもしれませんが、
皆さんは過度に恐れたり悲観して捉えることのないようお願い致します。
私は大統領として、そのような存在が我々に対して無害であることを皆さんに保証いたします。

むしろ、全人類の共通の敵である、圧制、貧困、病気、戦争を克服できるよう、
彼らはわが国家を助けてくれることを約束しております。
彼らは敵ではなく、友人であると我々は判断いたしました。

彼らとともに、我々はより良き世界を創造することができます。
未来に障害や誤りが生じないかどうかは分りません。
我々はこの偉大なる土地で暮らす人々の真の運命を見つけたものと信じます。
世界を輝かしい未来に導くことです。

なぜ彼らがここにやって来て、なぜ長期間に渡って我々のリーダー達が彼らの存在を秘密にしてきたのか、近く、皆さんはそれらについてさらに知らされることになるでしょう。

私は皆さんに、臆病にならず、勇気をもって未来を見ていくようお願い致します。
なぜなら、地球に存在した古代の平和のビジョンと全人類の繁栄を、
この我々の時代に、我々は達成できるからです。

あなた方に神のご加護のあらんことを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ケネディは「アポロ計画達成のため、国民に言質を与えるべき」と言った。
これはつまり「アポロ計画の真の目的を国民に告げる」という意味で、ニューフロンティア・スピリッツ(開拓精神)に基づき、その言質の証拠(月異星人基地の存在)を国民に公表しようとしたが、それを阻止しようとする超国家勢力の手で暗殺されたというのが真相ではないのか。
暗殺現場が、ジョンソン宇宙センターに隣接するダラスだったのは偶然ではないだろう。
フィリップ・コーソは、「ペンタゴンの陰謀」で次のように述べている。

「あの日は有意義だった。大統領(ケネディ)がCIAを通じて受け取る情報は誤っている。
それも故意にねじ曲げられている。
ボビー・ケネディ司法長官にそう納得させることが出来たからだ。
司法長官は、ペンタゴンがただの戦争好きな軍人集団ではないことに気づいたようだ。
わたしはロズウェル事件や異星人の話はいっさいしなかったが、月面基地を先取りされては冷戦の勝利はソ連の手に渡ると力説した。
ボビー・ケネディは、とにかく大統領に話をすると約束してくれた。

私は話をしてつくづくよかったと思う、
ボビーと司法省で懇談した直後、ジョン・ケネディ大統領が国民に向けて発表を行ったのだ。
1960年代末までに米国は月に有人探査機を送りたい、と。
わかってくれたのだ。
あとは歴史が物語っている。
60年代、米国は次々と月着陸を成功させ、世界の脚光を浴びた。」

おそらく日本人なら殆どが眉唾ものの話だと一笑に付すだろう。しかし米国では月に存在する造られた建設物が存在することを隠してきた。
 それにアメリカ空軍によって管理されているネバダ州南部の一地区。正式名称は、グレーム・レイク空軍基地。いわゆる「エリア51」の存在である。
UFOの存在やTR-3Aでも話題になる秘密基地だ。近代になりやっと実現したようだが、ケネディが明らかにしなかったお陰でずっと秘密裏に研究されてきた。

プラズマ航空機システム「プラズナーⅢ」

プラズマ航空機システム(プラズナーⅢ)」は俗にいう空飛ぶ円盤開発計画のことである。
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/s/%A5%D7%A5%E9%A5%BA%A5%DE%CA%BC%B4%EF

下の写真の乱れが気になるだろうが、これらの写真を幾ら工夫しても邪魔な文字が入ってくる。余程アップされると困る写真のようだ。



  
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1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令される。

[大統領行政命令 第11110号]大統領行政命令第10289修正案、財務省に影響のある、一定の機能の履行に関する修正

 私に与えられた権限によって、合衆国条例3項301条について、以下のとおり命令する。

 第一条 修正される1951年9月19日の大統領令10289は、これによりさらに修正される。

(a)その段落1の終わりで以下の副段落(j)を付加する:(j)1933年5月12日の条例43節段落(b)について、大統領権限により、31USC821(b)と改正されました。そして、どんな銀地金に対する銀証券、銀、または財務省証券の銀本位制ドルに対しても政府証券を発行するように。その際、どのような発行済の銀証券の兌換(償却)のためにもこれが用いられないこと。そして、当該銀証券の額面金額を定めて、その償却のための標準ドルと補助銀貨幣を鋳造するため。

(b)その段落2の副段落(b)と(c)を破棄(無効にする)することによって、

 第二条 この大統領令によってされた修正は、この大統領令以前の、どのような施行された法令、はたはどのような生じる権利または生じた権利、はたは控訴あるいは民事・刑事上の訴訟手続きがおこなわれたものについては影響を与えることはない。しかし前述の法的責任は継続するものとします。そして、あたかも前述の修正が為されていないよう執行されるかもしれません。

  J・F・ケネディ ホワイトハウス 1963年6月4日

 ケネディが発行を命じた紙幣は、FRB発行の銀行券とほぼ同じデザインで、FRBのマークがない代わりに“United States Note”(政府券)と印刷してあった。
 同年11月22日、J・F・ケネディ米大統領は、テキサス州ダラスにて暗殺される。財務省によって発行された総額42億ドルの政府券は、ケネディ暗殺後、速やかに回収された。

 ケネディ大統領は、秘密結社がマスコミをコントロールしていることを弾劾する次のような演説を残している。

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 秘密主義というまさにその言葉は、自由で開かれた社会にとって、非常に不快なものです。そして、私たちは元来、歴史的にも“秘密結社”の“秘密の誓い”と“秘密の議事録”に反対した民族とも言えます。

 私たちは、遠い昔から度を超した不当な関連情報の隠蔽は、はるかにそれらに正当性を与えるために考慮される危険があると判断してきました。今日、根拠のない制約によって、閉鎖社会の脅威に反対するということはほとんど価値はありません。
 今日、私たちの国の生存を確実なものにするために、私たちの伝統がそれで存在しないなら、ほとんど価値はありません。そして、報道されたセキュリティ強化の必要性が、公的な検閲と隠蔽のまさしくその範囲を限界まで広げることを切望している者たちによって、廃止される、まさしくその重大な危険性があります。
 私は、私のコントロール下の範囲で、このようなことを許可する意図はない。私の政権のどのような職員であっても、彼の地位が高いか、または低いか、民間人であるか、軍人であるかにかかわらず、私の今晩ここでの言葉を、ニュースについて検閲し修正したり、まともなことをもみ消したり、私たちの誤りをごまかすために、マスコミや民衆が知るに値する真実を抑制する口実とはならない。
 私たちが世界中で反対されているのは、主として影響圏を広げるための密かな手段になっている、一枚岩的で冷酷な陰謀にあります。侵入の代わりに浸透、選挙の代わりに転覆、自由選択の代わりに威嚇、日中の軍隊の代わりに夜間のゲリラ。をれは、膨大な人的・物質的資源を軍事、外交、情報、経済、科学、そして政治上の操作をするため結束の固い、高性能マシンに結合する徴収するシステムです。
 その準備は隠され、公表されません。その過ちは葬られ大スクープとなりません。その反対者は黙らされ称賛されません。経費は質疑されず、風評は出版されません。まったく秘密は明らかにされません。どの大統領も市民監視を恐れるべきではありません。そうではなく監視から理解が生じるものであり、その理解から、支持か反対かが生じます。そして、両方が必要です。
 私は政権を支持することをあなたたちの新聞にお願いしていません。しかしアメリカの人たちに情報をあたえ、注意をよびかける大変な仕事をお願いしています。それは、私が、私たちの市民が完全に情報が行き渡ったという時には、彼らの行動と献身があるという完全な確信があるからです。
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(グーグルビデオの動画「John F Kennedy speech on the dangers of secret societies」を翻訳)

実は上記のように文字や配列指定の邪魔な文字はいくら工夫しても消せない。このケネディを主題に取り上げると他のブログで1回、このgooブログでも1回記事取り消しに遭っている。Facebookでは次にアップするとアカウントを抹消すると言われている。なぜなんだ? 

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