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海の日

2003年07月21日 | Weblog
 今日は祝日、海の日。

 私はつい先日まで、海の日は7月20日で、今年は、その日が日曜日なので、21日が振替休日となっただけだと思っていた。違っていた。天下の悪法、いわゆるハッピィマンディ法なるものが採用され、今年から7月の第三月曜日が海の日になったそうだ。

 ご存知の通り、平成8年から7月20日が海の日として定められ、国民の祝日となった。
 つい最近のことなので、私を含めて当時のマスコミ報道等により、その経緯の詳細を覚えている方も多いのではないだろうか。何のことはない、6~8月にかけて祝日が一つもないので、何かもっともらしいものを、ということで決められたのが、7月20日の海の日である。これ、嘘のような本当の話。

 さて、問題はそのもっともらしい理由である。
 こちらも、ご存知の方も多いかもしれない。

 明治9年、明治天皇が明治丸で東北地方巡幸の際に青森から函館経由で横浜へ海路で戻られた。その明治天皇の横浜御帰着の日が7月20日であった。
 そのことをもって、昭和16年、当時の逓信大臣村田省蔵の提唱で、その7月20日が「海の記念日」と制定された。
 そして、その「海の記念日」をもって、平成8年から7月20日が「海の日」と決められた。

 と、ここまではよく知られている。では、なぜ、明治9年の出来事をもってして、60年以上経った昭和16年に、「海の記念日」とされるに至ったのか。さらに、昭和16年の「海の記念日」を、なぜに、やはり、半世紀以上経った平成8年になって、急に持ち出してきたのか。

 それは、この「海の記念日」を提唱した、当時の逓信大臣村田省蔵によるところが全てである。
 では、なぜ、村田省蔵がこのようなことに意を砕くようになったのか。

 日本は、明治維新を境とし、富国強兵・殖産興業へと国家の方向性を明確にし、造船・海運業をその大きな柱とした。しかしながら、国民のほとんどは海洋を走る商船を見たことがない。造船・海運業に対する国民の関心は必ずしも高いとは言えない。
 実は、大阪商船の社長まで務めた、時の逓信大臣村田省蔵にとっては、そのことは、痛切な思いとして感じられていた。

 今、私の手元に、大正13年に、当時の大阪商船専務であった村田省蔵が書いた、「危機を孕める海運界」と題した論文の写しがある。

 第一次世界大戦の後、英国をはじめ世界中の造船・海運界の構造的大不況について書かれている。その大不況の中で、わが国特有の事象として、外国の老朽船が大量に輸入され、そのことにより、日本国内の「真面目な生一本の船主の蒙る圧迫と脅威」について述べられている。
 これら古船の輸入は、「造船界を萎靡沈衰せしめ」、「船舶の競争を激甚ならしめ」とし、日本の造船・海運界を壊滅的な状態に陥れかねないという危惧について触れられている。

 論文中、時の政府に対しては、「我政府は、徒らに政変にのみ捉われて何等の施設をこれに加えんともせず、船会社の破産に陥らんとしても拱手傍観するの態度を持している。否、余をして極言せしむれば、政府は船会社を破滅に導かんとしつつあるのである。何故ならば政府は古船に対する管理はおろか、殆んど的を外れた暴論を臆面もなく吐いて船主を悩ますこと一方でないからである。」 と徹底的に罵倒している。

 他の詳細な部分は、その論文に譲るとして、村田省蔵の脳裡には、「徒らに政変にのみ捉われて」という部分に表されるように、政治家に期待するよりは、直接、国民に海事全般に関心を持ってもらうことを重視するという考えがあったのではないかと思われる。

 それが、彼が船舶の所管である逓信大臣という発言力を持った昭和16年、「海の記念日」制定へという原動力になったものであり、そのことによって彼は、先の論文発表から、実に17年後に、いくらかでも溜飲を下ろしたと言えるのではないであろうか。

 さて、7月20日。
 おもしろいことに、村田省蔵の中では、格段に、この日に対するこだわりがあったわけではなさそうである。
 というのは、実は、明治天皇が初めて明治丸に乗船されたのは、明治丸がイギリスから回航されて横浜に到着したその翌月、明治8年3月6日で、横須賀から横浜まで航海されている。ということで、海の記念日を決める際も、3月6日と7月20日のどちらか良いか議論になったそうだ。最終的に決めたのは、当然、所管大臣の村田省蔵。彼はこう言って決めた、「第一に記念日は冬ではいけない。夏でなくては海に出る人間が少ないことが一つ。今一つは学生諸君に海の思想を大いに吹き込みたい。そこで学生の休みの時がよい、ということを先ず考えた。」

 好い加減なものである。村田省蔵にとっては、7月20日という日にちなんて、極めて優先順位の低いことであった。とにもかくにも、海事全般に政府はもちろん、国民全体が関心を持ってもらう、そのことが重要だったのである。そして、より関心を持ってもらいやすいであろう日なら、いつでも良かったのであろう。

 昭和16年から半世紀以上経って、海の日なる国民の祝日が制定され、しかもその由来が「海の記念日」とされたことによって、ようやく彼の思いのいくらかは成就されたのかもしれない。

 蛇足。
 しかし、平成8年から始まった祝日を、たった6、7年で変えてしまうのもいかがなものか。そのうち、元旦を1月の第一月曜日、平成天皇誕生日を12月の第三月曜日になんてするのではないだろうか。

 もう一つ、どうせ、昭和16年に制定された、海の記念日を由来とするということを発表するのであるならば、今回私が報告したことくらい、政府は答えを用意しておいて欲しい。私にしても頭の中で、雑然とした知識を、全く整理しないまま、まとめてしまうことになってしまった。やっつけ仕事でまとめたことなので、いくらか誤りもあるかもしれない。後日、もう少し正確にまとめてみたい。