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計測マンにとっての”気”

2017年06月17日 | 計測

計測マンとしての私は、科学的計測主義者であって、決して神秘主義者ではないのだが、「スピリチュアルな関心」を解禁したり、茶臼山では「波動」に言及したりして、怪しげな世界にはまり込むのではないかという危惧を持たれるかもしれない。

確かに、科学では確認されていない、いわば未知の領域に対して心を開いている。
それは既知では説明しきれない未知の領域の存在の”可能性”を否定しないからだ。

だからといって、その領域の存在を根拠なく”確信”しないし、簡単に信じようとする甘さには陥らないようにしている(真理を追究する者は自己に厳しくあるべし)。

定説への不信という理由から、安易に異説にはまり込んだり、論理的整合性(辻褄が合う)だけで信じ込むことはない(いずれもシステム2の逸脱現象)。
それが計測マンたる矜恃だ(ついでに言えば、青森の「キリストの墓」を世間に流布させた人物の孫という事実が反作用している)。

そんな私にとって、信と不信の境界上にある困った現象が「気」である。

自分を含む多くの人が、同じように体験・知覚できるものでありながら、機械による計測ができないのだ(オーラが写っているようなキルリアン写真は水蒸気であることが判明しており、気を出す者の脳波や掌の皮膚温などは随伴現象でしかない)。

気の正体は物理現象ではないということになりそうなのだが、かといって心理現象でもなく、理論的にはやはりエネルギーの一種とみなされる。
ただし、気は気においてのみ交換可能で、他のエネルギーとの交換はされにくく(不可能ではないようだが)、いわばエネルギー保存の法則が確認できないので、他の測定可能なエネルギーに変換して確認することもできない。

さらに、古代中国の理論づけには、非科学的(通俗的)な要素が多分にあるため、理論的にも問題がある(具体的には、本来は気とは無縁の五行思想による牽強付会)。

五行思想というノイズを削除した純粋な陰陽二気論は、この世界の電磁気現象に対応できるが、陰・陽は”状態”としての二元性であって、究極”存在”としては太極の一元論に還元される(董仲舒を無視して、朱子にまで進む)。

まぁ思弁的理屈はいいとして、 今の私は、計測の限界外の現象に直面しているので、とりあえず”気”が測れそうならなんでもトライしてみるつもりである(ただし価格的に入手可能なものに限る)。

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