低山徘徊と自転車散歩

山も自転車も一人で行動しています。その時の、写真と短文による、記録です。

金山城シリーズ:城跡主要部 ≪西城~物見台~月ノ池≫ その2 旧通路・桟道・西矢倉台西堀切

2017年06月13日 | 金山城

旧通路(水色)・桟道・西矢倉台西堀(黄銅色)


 西矢倉台西堀切内の通路(堀底に石を敷いた通路)を敵兵から隠すように盛られた土塁状の高まりが、堀切の西城側にあります。
 山の南斜面に盛られたこの高まりの最も低い位置(桟道と同じ高さの位置)
から、通路の縁石と思われる石列が見つかりました。
 この石列の西方を発掘調査をした結果、西矢倉台西堀切内の通路よりも古い時期に桟道からまっすぐ西へ進む通路
確認されました。これが「旧通路」です。

 

 「旧通路」が見つかった西矢倉台西堀切から城の中心部へと続く通路を確認するため、山の斜面を調査しました。
 その結果、西矢倉台西堀切内の通路から続く道は、急斜面に沿って丸太をかけて造られた「桟道」であったことがわかりました。


 古い時期には、桟道
からに西へ通路が延びていたようです。


≪西城から、旧通路・桟道・西矢倉台西堀切への道≫
 「西城」から、緩やかな坂道を降ると、総合案内板と休憩所がある五叉路にでます。

 中央の階段はハイキングコースです。
 左の舗装路は、ハイキングコースを迂回する、車道です。「馬場曲輪」の下でハイキングコースに合流します。
 右の舗装路は県道金山城跡線です。史跡金山城跡ガイダンス施設・金龍寺・大光院に至ります。


ハイキングコースの露岩
 この露岩は灰白色で、金山のハイキングコースで、よく見かけます。
 次の写真は「舗装路の露岩」です。「ハイキングコースの露岩」と見かけは大いに異なります。比較してください。


舗装路の露岩
 この露岩は灰黒色で、ここと県道金山城跡線で見ることができます。「舗装路の露岩」は地中の岩が露出したもので、「ハイキングコースの露岩」は地表に出た岩が露出したものです。隣り合わせに存在するのに見かけが異なっています。

 「舗装路の露岩」は、柱を立てたようなタテ筋が入っているので、その特徴から、火山活動で噴出した高温の火山灰や軽石が熔けてくっついた「熔結凝灰岩」と思っていましたが、「金山のハイキングコースでよく見かける地表に出た露岩」にも、表面は丸やかですが、2~3本のタテ筋が入っています。露岩の名前が知りたいものです。


金山流紋岩類(太田市HP 「金山城跡」を引用。)
 金山流紋岩類流紋岩質火砕岩類で、熔結凝灰岩を含む火砕流堆積物からなっています。火砕流堆積物とは高温のマグマの破屑物(主に火山灰や軽石)が火口から流失したもので、高温状態の破屑粒子が熔結したものを熔結凝灰岩と呼びます。
 金山の主体部は金山流紋岩類3と呼ばれる流紋岩質熔結凝灰岩で、金山各所の石切場跡などで見事な柱状節理を見ることができます。この中で、特に観音山(坂中)北東斜面の「長石」は有名です。
 かっては建物の基礎石や土木工事用の砕石として利用され、地元では「金山石」と呼ばれいます。
 *柱状節理:岩石中に発達した四角形・五角形・六角形の柱状の割れ目。


 数10m先で、ハイキングコースと舗装路は交差します。道は金山頂上(本丸跡・新田神社)に向かっています。 


≪旧通路≫
 「旧通路」は説明板の右下に見える細い道です。この道は現在通行止めの「桟道」まで続いています。そこから左に登る道が「西矢倉台西堀切」です。そこを登り切るとハイキングコースに合流します。合流まで、ゆっくり見学して10分程です。

 左へ行く道がハイキングコースです。この道の左側に当時の通路(城道)があったようです。 


旧通路の説明板

全文(*は補足説明)
 *1
西矢倉台西堀切内の通路を*2隠すように盛られた、*3土塁状の高まりの下からは、通路の縁石と思われる石列が見つかりました(写真1)。
 この石列により、*1西矢倉台西堀切内の通路よりも古い時期に*4桟道からまっすぐ西へ進む通路
があったと考え、発掘調査によって通路を確認しました(写真2)。
 この通路は、岩盤に丸太をかけて造られた桟道とは異なり、地山を削り出して通路を造っていたことがわかりました。(断面図参照)。
 桟道は、急斜面で岩盤が張り出しているため岩盤を加工して通路を造り、岩盤の張り出していないこの部分では、地山を削りだして通路を造っています。
 このように、当時の地形を利用して通路を造った様子がうかがえます。

*1:堀切の底に石を敷いた通路。
*2:堀切内を敵兵から隠すように盛られた。
*3:山の斜面に盛られた高まりの最も低い位置(桟道と同じ高さの位置)。
*4:この通路を旧通路と呼んでいる。


旧通路
 通路幅1.8mの狭い道です。当時の通路(城道)はこの程度の道幅だったのでしょうか。 


≪桟道≫

桟道の案内板

全文(*は補足説明)
 *1通路が見つかった西矢倉台西堀切から城の中心部へと続く通路を確認するため、山の斜面を調査しました。
 その結果、山側には丸太をうける跡が、谷側には16個の柱穴の跡が見つかりました。
 このことから、*2西矢倉台西堀切内の通路
から続く道は、急斜面に沿って丸太をかけて造られた「桟道」であったことがわかりました。
 この桟道は、金山城の西を守る「西城」
と城の中心部の「実城」とを結ぶ連絡道の一部として造られたものであり、万一、西城が敵に落とされたときには、この桟道を壊して敵きの侵攻を防ごうとしたと考えられます。
 そのため、当時の桟道は、非常に簡単に作られていたと思われます。

*1:旧通路。
*2:堀切の底に石を敷いた通路。



 「桟道」は腐食のため通行できません。ここを左に登る道が、「西矢倉台西堀切」です。
 左の二本の木の付近で石列が見つかったようです。
 


西矢倉台西堀切
 
登り切るとハイキングコースです。
 左側が土塁状の高まりです。


舗装路から見上げた桟道


桟道の足組
 
山側には丸太をうける跡が、谷側には柱穴の跡が、調査で見つかっています。


≪西矢倉台西堀切≫

「西矢倉臺西塹壕」と刻字された石製標識柱


西矢倉台西堀切の案内板

抜粋
 
この堀切は、西城から実城(本丸)までの間にある4つの堀切のうち、一番西寄りにある堀切です。
 
この堀切は他と異なり、底に石を敷いて通路として利用しており、通路の先は桟道へと続いています。
 通路の北側には柱穴があり、敵兵の北側からの侵入を防ぐための柵があったと考えられます。
 堀切の西脇には、堀切を掘り下げる際に出た土や石を土塁状に盛り上げ、堀切内を敵兵から「隠す」ための工夫がなされていたようです。

 この土塁状の高まりの下から通路の縁石が見つかり、堀切内の通路より古い通路があったことがわかりました

 古い時期には、桟道
からに西へ通路が延びていたようです


敵兵の侵入を防ぐための柵
 
堀切内の通路の北側には柱穴があり、敵兵の北側からの侵入を防ぐための柵があったようです。
 堀の上の木橋とその奥の道は、当時の通路(城道)ではないようです。
 左の人の立つ場所は、「西矢倉台下堀切」で、次回紹介します。


西矢倉台西堀切と堀底の石敷通路
 
右側が土塁状の高まりで、奥が「桟道」です。


堀底の石敷


「西矢倉台下堀切」から振り返った「西矢倉台西堀切」


以上 

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