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電通の労災認定問題に潜む側面

2016-10-16 12:32:00 | Weblog
電通の労災認定問題が巷で大きな話題になっている。
東大卒エリート美人女性新入社員の過労死という扱われ方であるため、インパクトが強いからだろう。
さらに、とある大学教授が、ひと月100時間を超えたくらいで過労死は情けない、という旨の記述をして炎上するという二次被害までもたらした。

その大学教授が現場で働いた経験がほとんどない人だからこんな無責任発言が出てくる、というネットの批判は的を射ている。
私も、大学教授の仕事ぶりは4年間見てきたのでその経験において言うと、大学教授が月100時間超えの残業をして過労死するという実態を「情けない」と感じるのは仕方のないことで、「世間知らずだなあ」と笑って済ませてあげればいいと思う。大学教授は、基本的に対人関係を気にすることなく、好きな時間に好きな研究を好きなだけ自由にできるという身分であるがゆえに、研究が順調ならたとえ200時間以上残業したところで過労と感じないはずである。

私の経験でも、かつて業務の多忙時と正月が重なったため、年末年始や土日を含めて常に深夜残業をこなしていくと、ひと月の残業時間が300時間を超えるという恐るべき事態に直面した社員が複数名いた。適性もあるのだろうが、好きなコンピュータ関係の仕事であるため、端末に向かって集中しているとそれほどストレスを感じることはないようで、300時間超の残業をした後でも意外と元気だった。逆に激しい肉体労働であれば、月50時間も残業すれば肉体が悲鳴を上げるはずだ。
つまり、仕事には、内容、対人関係といった要素が大きな重みを持っている。仕事内容には残業50時間が限界の仕事もあれば、残業300時間でも大丈夫な仕事もある。
対人関係が全くない仕事もあれば、複雑な対人関係に日々悩まされる仕事もある。

今回の電通の労災認定問題は、過労死として扱われているが、本質を突くと単純な過労死ではない。
ハードな仕事内容であったことは推察できるが、経緯を見ていくと、それと同等かそれ以上にパワハラ、セクハラという対人関係による重みが加わっている。
仮に割り振るとするなら、過労3割強、パラハラ3割強、セクハラ3割強といったふうに。
このうち1つしか該当がなければ、このような事態にならなかった可能性が高い。「同じ会社で100時間超えの残業をして過労死していない人もいっぱいいるんだからねえ」なんて言っている人は、過労3割強という1部分だけを見ているからだ。物事は、1つの要因によって引き起こされることは少なく、複数の要因が複雑に絡み合っている。

ネットで公開される情報とネットに投稿されるコメントは、実に興味深い。
特にコメントは、感情的になって誹謗中傷するものも多いのだが、その中に本質を鋭く指摘するコメントが混じっているからだ。
玉石混交のコメントの中から、本質に迫ったものを見抜けるか。ネット社会で重要なのはそこであるように思う。
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