山五ブログ

山五の社長ブログです。よろしくお願いします。

母と紫陽花

2009年07月24日 | エッセイ

梅雨が明け、真夏の太陽の下で健気に咲いている
紫陽花を随所に見かけます。
梅雨時と違って、瑞々しさには些かですが、逞しく
咲いているのには、何か教わるものを感じます。

そんな紫陽花を見るにつけ、子供の頃の母との思い出が
「紫陽花」から「でんでん虫」とともに甦ります。

雨の日【今年もこの事は書きたいですね】

庭の紫陽花の茂みに隠れて、でんでん虫と戯れながら
母が花を摘みに来るのを待ちわびて、「ほらっ」と
母の姿を見るやでんでん虫を手に紫陽花の茂みから
飛び出すと
母が「あぁビックリ」と言って、しゃがんで頭から身体に
付いた雨を払って貰って「さ、入りな」と傘にいれて
もらったこと。
母はでんでん虫を紫陽花の葉の上にそっとのせて
「いたずらされて可愛そうに」ぽつりと独り言の様に・・・・・。

縁側に戻るや「風邪を引いたらいけないよ」と風呂で
温めていただいたこと。

いくつになっても、母っていいですね。

このところ3週間くらいの間に散歩途中で撮った画像です。
丸の内界隈と日比谷公園です。

雑学?
モナコ王国に嫁いだグレイスケリ−は紫陽花が好きで宮殿に
紫陽花園を造ったと聞いています。
紫陽花は花の色が変化する事から「移り気な人の邪念を
紫陽花に託して、人は清くありたい」そんな思いがこめられて
いたとか・・・・・。








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平和を願いながら

2008年08月06日 | エッセイ

先週にひき続き、大阪方面への環境に優しいハイブリッド式
車両拡販で30日 Business trip から自宅に帰り何故かこの日は
「人は祈る事の出来る動物だな」とそんなことに思いを馳せながら、
テレビのスイッチを入れた途端に飛び込んできたのが「洞爺
湖サミットで原子力発電所の増設を容認した」とそんな関連の
ニュ−スでした。

確かに原発は CO2、黒煙粒子等大気汚染に効果的で環境に
優しい一面をもっている反面、運転の安全管理、発生廃棄物の
処理等、大変な注意を払わなければならない面のあることを
忘れてはならないと思いながら、先ほどの思い「人は祈る事の
出来る動物」そして「スリ−マイル島・チェリノブイル原発事故」
「原爆」そして「平和の祈り」「迎える8月は広島、長崎、の
原爆投下、終戦を想う月」であること、このことが走馬燈の様に
頭の中を駆けめぐっておりました。

8/6日広島、8/9日長崎、原爆投下の日だな・・・・・と。
平和を祈る人々の輪の中に吸い込まれていくそんな感じで細君
の作ってくれる夕餉を待っていました。

愛とか、喜び、また平和、親切、善意、誠実、柔和、節制(自制心)、
広い心(寛容)、この基本になる生活の要素の欠落した世相が昨今
痛ましい事件となって報道されています。
憂うべき事です。

子を持つ親の責任の大きいことを思わされます。
  
さて、父も母も熱心な仏教徒でしたが、父は人類愛を、母は勧善懲悪
(人の道)を子供の心に刻みつけてくれていたのではないか、と思わ
されるのもこの原爆投下の日が近ずきますと、これに併せる様に
父と母の記憶が甦ります。

父は人の命の大切さと戦争の悲惨さを実体験の中から子供の
頃によく話してくれました。
父は軍隊で一番が二つあった(いつぞやも書いたことですが)
  一つ目は「鉄砲射撃の名手」で連隊で一番。
  二つ目は「マラソンの勇者」でこれも連隊で一番。
父が人の命の大切さを話してくれた事、母が子供の頃人のあるべき姿を
諭してくれた事、この事は子々孫々語り伝えたいものです。

父の戦争体験は、敵味方がそれぞれ塹壕に伏せながら敵陣めがけて
鉄砲で撃ち合いをするときに、人を狙って撃てば必ず命中させる自信
はあったが人にあたらない様に威嚇射撃で撃ったとの事でした。
夜になると片付け終わっていない友軍兵を犬が食べに来る、この犬は
撃ったものだと言っていました。
この父が「銃撃戦の中で、極限状態の中でも、敵であっても兵隊は
撃たなかった」と言って「人の命の大切さ」を戦争の経験の中から
子供達に平和、寛容(広い心)、節制(自制心)、を説いていた様に
思います。

母は、実家へ行くときは、何故か少し遠回りになる道、お城の
お堀端をいつも通ります。
お堀の蓮の花を指さしながら、天国の話、地獄の話を良くして
くれました、博愛、人の道、親切、善意、誠実、柔和、を説いて
いたのではないでしょうか。

原子爆弾が 8月6日に日本の広島に投下され、9日には長崎に・・・・・。
8月6日が近づくとこの事を、そして「父と母」を思い出します。と共に
「戦争と平和」に思いを馳せております。

この日は広島に原爆の投下された日。グアム島テニアン空軍基地
から飛び立った B-29 エノラゲイが投下した原子爆弾が 8:15.am.
に地上 500メ-トルで炸裂し一瞬にして約14万人の尊い命を奪って
いった。
また 9日には長崎に B-29爆撃機 ボックスカ−が 11:02.am.に
原爆が投下され、第二次世界大戦の終わりを告げる出来事でした。
第二次世界大戦は支那事変が始まりで世界大戦に拡大していった。
この悲惨な戦争を繰り返してはいけない。
この支那事変に父が従軍していた、そのときの話が先ほどの父の
話です。

子供の頃に、父が「人の命の大切さ」を話してくれた事、
母が「人の道を」諭してくれた事、この事は子々孫々語り伝えたい
ものです。

平和を願いつつ。
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暑中お見舞い申し上げます

2008年07月25日 | エッセイ

暑い日が続いております。
今日もまた、暑い一日で御座います。

暑い中、元気に咲いている草花の様は何とも健気なしい事と
感じ入っております。
「元気を出せい」と励まされて居る様で御座います。

母が明治36年生まれで、細君の母もまた同じ年の生まれ
この細君の母ががいつも言って居りました。
「無理と頑固はするでない」と。
それでも「暑さにめげず」ハッスル、ハッスル。

先週は、3日間大阪に出掛けて参りました。
梅雨明け後の大阪も暑う御座いました。
マレ−シアから中古機関車の買い付けにお客様が訪日され
ましたので、その案内。
また、環境に優しい省エネ型のハイブリッド機関車の商議。
等々で・・・・・。

Business に加えて、楽しみがもう一つ。
大阪に出掛けますと必ず「伊勢の赤福」を買って帰ります。
帰りの列車のなかで細君にと(彼女は伊勢松坂の生まれ)
買い求めた赤福の包装を家まで待ちきれずに開いて、
4個ほうばったのは、ちょっとしたスリルと味わいを共に
しました。

家に帰って「ハイお土産」と渡して包みを見るや
「味見をしたのね」と言われあわてて「立ち直った赤福だけれど、
君が食べる前に品質を吟味してみたよ」と、こんな言い訳にも
ならないことを言ったりして笑われておりました。
「いいのよ、ありがとう御座います」と受け取る細君に
「うん、お茶でも出して貰おうか」とまた一個。

それにしても大阪は暑う御座いました。

入間市に住まいの友人からの花(ヤマユリ)の画像添付しましょう。
黄色のカンナは拙作のものです、チョット茹だり気味ですが・・・。


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梅雨のお江戸から陸奥秋田小坂町へ

2008年07月24日 | エッセイ

梅雨が明けて夏本番を迎えてみますと、紫陽花に囲まれた
梅雨時の事を思い出します。

鬱陶しい梅雨のお江戸から商用で、梅雨なか(中)の陸奥秋田
小坂町に行って参りました。

6月3日(火)6時56分東京駅発の東北新幹線こまち号に
合わせて家を出たのが6時20分頃、雨が降っていました。

訪問先秋田の小坂町は曇りとの予報。
「傘を持っていったら」と細君が折りたたみ傘を出してくれる。
「いいよ、秋田はくもりの予報だから」
「そんなら、駅まで一緒に行って、わたし傘持って帰ることに
 します」
「うん、助かるな」と家を出ました。

私の差す雨傘を持って帰るために駅まで送ってくれました。
前を歩く姿を見ながら、年相応になったなと愛しい思いで
駅まで・・・。
「行ってらっしゃいませ」と言われて「頼んだよ」と傘を渡す。

後ろを振り向かないことにしています。
お嫁に来た頃から変わりなく姿が見えなくなるまで見送って
くれる気配に心残りを覚えながら。

秋田駅で大館行きの普通列車に乗り込みました。
同じ様な出で立ちの女達が前の座席に並ぶ様に腰を下ろす、
親しい友達かも知れないと・・・。
隣には新聞を広げるサラリ−マン風の男、みんな無口で
静かな車内に、発車のアナウンスが響く。

二つ三つ駅を過ぎた辺りで、二人連れの女性の一人が声を
交わすでもなく下車ていった、友達ではなかった様です。
次の駅でまた同じファッションの女性が乗り込んできた、
この辺りの流行の身繕いかもしれないと思いながら。

秋田美人とはよく言ったもので皆さんなかなかの美人揃い。
彼女たちの若かりし頃を想像したりして。

小坂町は、大館から十和田湖に向かう途中にあります。
小坂精錬所の明治の頃のクラシックな建物(事務所)は今は
小坂町に寄付されて「小坂町記念館」として盛況でした。
16日(mon)に皇太子殿下がお見えになる、と町をあげての
大掃除で賑わっていました。

機関車の写真は、3月に撮ったのを戴いたものです。
花を撮る機会が無く、秋田から大館に向かう列車の中で
花の代わりと前の席の「秋田美人美男」を添えましょう。
「旦那一枚撮りましょう」とタクシ−の運転手さんに言われる
ままにポ−ズです。





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信州松本と安曇野の湯

2008年02月07日 | エッセイ

南房総からは春を感じさせる花の便りを見聞きし・・・・・。
今日は雪が舞っているのを Office の窓越しに見ながら、
コ−ヒ−カップを手に、習志野市にお住まいの大先輩の
お庭に(少し遅い昼食を済ませて)思いを馳せております。

信州の宿の一面雪の庭とイメ−ジを重ねながら・・・。
食後のコ−ヒ−に味わいが添えられる感じです。

昨日は信州松本で軌陸車(レ−ルと道路のいずれも走行
出来る車両)の走行試運転。
そして車両の「燃費削減」「環境対策」商議と併せて出掛けて
参りました。

信州の寒さは江戸東京とは、かなりの違いがあります。
それでも「十割そば」「そばの実の白い部分だけのそば」
「二八そば」の三枚重ねの蕎麦は「さすが本場信州のそば」
と寒さを忘れて舌鼓。

そして昨夜は、創作エッセイの様にとでも言いましょうか。
若い頃信州塩尻へ転勤の際机を並べた友人と
松本駅での奇遇、紹介されて・・・・・・・。

北アルプスから中房温泉引湯 直引(イントウ ジカビキ)の
安曇野北アルプスの山の麓で湯に浸かり、現場で
冷え切った身体を、古い木枠の大風呂に熱い温泉で
暖めて居りました。
硫黄のせいでしょうか?肌がぬるぬるして100%の山から
パイプでの中房からの引湯温泉には若返った感じです。

今朝9:30.am.からの予定があり、ゆっくり出来なくて、
穂高 6:00.am.発、新宿 9:20.am.着「特急あずさ」にしました。
※ 宿を出たとき5:30.am.は真っ暗で、雪と凍てついた道を
  宿の送迎車で、駅までの雪道の15分は、かなり長く
  感じました。(スリルを味わったとの意を含め)

水仙は日比谷公園で撮ったものです。



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懐かしき青春、今も健在。

2008年01月14日 | エッセイ

成人の日、今日はとても寒く感じます。

この振替え国民祝日、お正月明け少しゆっくりした
日を過ごしております。

細君と青春の日を語りながら、鏡を覗いたりして
「年相応の顔だな」と話し合ったりしている
そんな「成人の日」を迎えております。

インフルエンザが流行ってきている様で「予防接種
もだけれど、その前にスタミナを付けておくのが
良いのだろうな」と70才を過ぎた今も現役の看護婦
である細君に話したところ「そうよ、それが基本よ、
適度の運動、十分な睡眠、必要よ」と諭されており
ます。

お年始回りで、1/8日に山梨県大月市初狩のお得意様を
訪問しました際に撮ったピラカンサです。
駅前からタクシ−を利用する事が多いのですが、
健康をと初狩の駅から歩いてみました、どこの家の
庭先にも赤い実をつけておりました。
友人から配信して頂いた 千両 万両 の画像を連想
しながら、お正月早々に「福々しい」と悦に入って
居りました。

この時の事を思いだして、夕食の時に写真を見せ
ながら細君に話したところ「千両 万両 とは似てない事も
ないけれど大分見当外れね」と笑われてしましました。
どこで習うのか、女性は草木の名前をよく知っています。

こんな成人の日でした。



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黄葉(紅葉)

2007年12月11日 | エッセイ

朝晩めっきり寒くなってきた東京です。
銀杏の黄葉、今が真っ盛り。

12/7日(fri)午前中 高田馬場、大手町、と仕事を済ませて、
午後次の3:00.pm.の約束迄の約一時間の間の日比谷公園、
皇居前公園、での銀杏とのひとときです。

私には「いちょうの木」は、何となく語りかけたい雰囲気を
持った樹です。

木の葉の隙間から♪♪♪が聞こえて来る様な、また幹からは
おじさんの声が歌っている様な、そして母の温もりを感じる
様な・・・・・そんな不思議な樹です。

※ 父(與三松)が歌を歌っているのはあまり聞いた事がないので
  父の歌声としたいところを「おじさん」としてみました。
  父は仏教のお経が上手でした、父の母方が平泉寺の玉川
  のお寺の住職と聞いて居り、その所為でお経が上手だった
  と頷けます、とても息の長いテノ−ルの良い声でした。
  子供の頃、夜のお経の時間に、ご機嫌の良いときは必ず
  時間の長い仏説阿弥陀経が始まり子供達には退屈なひととき
  で、足の痺れるのを我慢して行儀良くしていた事を思い出し
  ます。

「ふるさと福井の田舎は初雪があったのだろうか、次男の
コペンハ-ゲンは、三男の札幌は、寒いだろうな」と こんな事も
「ぎんなんの樹」に語りかけながらファインダ-の中から
アングルを求めて「おいもう少し恰好つけて気取ってくれよ」
とシャッターに指先が・・・。



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戯曲

2007年12月04日 | エッセイ

この時節、四季折々の彩りを見る毎に、これらの
「創り主」が必ず居られる事を心に感じる幸いを
平和と受け止めております。

朝の光に、夕日に、山から里へ、ビルの谷間に、と斜めに
差し込む光に映える木々に、次の日にはこれに木枯らしが、
この営みに名画と戯曲と言いましょうか、ドラマを、時間を、
この止める事の出来ない瞬間の連続した「美」に酔わされる
のは、誰かさんだけでしょうか・・・。

11月に第5週に、そして12月 月初にと友人から紅葉が届き
ました。

夕暮れ近く光を背にして、左上をふと見上げると幹に都会の
空気にまみれながら、それでも銀杏である事の己を忘れず
演じている「黄葉」に労りの言葉を掛けてやりたい気持ちで
カメラを向けておりました。
いつもの散歩道で。

黄葉を3点ごらんください(丸の内界隈で)。




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丸の内の銀杏 福井駅で花と電車

2007年11月23日 | エッセイ
札幌の息子に

北海道は、冬の兆しで寒くなったのだろうな、と
母さんと話している。
健康に留意する様に。

先週福井の味噌の醸造元、大阪・名古屋方面の
旅客会社と出掛けた際の福井での写真、そして
丸の内の色付きかけた銀杏を撮ってみた。

銀杏もそうだが、今回は格別に、福井の醸造元に
出掛けた際(10/1日)に福井駅でのプラットホ-ムの
可愛い花と、第三セクタ-「越前鉄道」の車両・・・・・
この車両車両には少しく思い入れがある。
と言うのは、この車両は愛知環状鉄道から3年前に譲渡を
受けた車両で、中古車両だが割合新しい車両。
この譲渡の際には、間接的にだったが少しお手伝いさせて
頂いた。
愛知万博に合わせて愛知環状鉄道が新車を導入したため、
ここで放出される車両、中古車としては値打ち物の車両だ。
こんな様な事もあって思いで深い車両に出会ってきた。

豊かな祝福がある様に。

母さんからよろしくとのこと。

父より



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喧噪の中に「初冬」「夕」そして、やがて静寂?。

2007年11月19日 | エッセイ

11/16日昼時仕事の手を休めて、昼食前のお茶に一息入れて
おります。
昨晩の天気予報では「曇りで寒い日になるでしょう」
との事でした。

Officeのガラス越しに、すこし日が射してきました。
食事に出掛けるのでしょうか、肩をすくめて小走りに
Office girl のそんな姿に・・・外は寒そうです。

皇居前も色付いて参りました、和田倉橋交差点から
桔梗門の方角と桔梗門辺りからの東京駅の方角です。

夕暮れの丸の内オフィス街の光景も好きなスポットの
一つです。

初冬(晩秋?)と夕暮れ「喧噪のなかの静寂」とまで
いかなくも、何かそんなものを感じるひとときシャッタ−
を押す指先に覚えます。






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Business trip

2007年11月18日 | エッセイ

福井の味噌の醸造元での打合せ(山五ブランドの味噌
の発売等:発売元山五 醸造元米五で2年仕込味噌)と
関西方面の顧客のフォロ-で最初の宿を福井にとの
思いで東京を後にしました。

翌日11/5日午後には、福井から大阪に向かいますので、
京都を素通りするのは勿体ないので駅前の東福寺、
歩いては少し遠いですが南禅寺辺りの「もみじの紅葉」、
また大阪で時間があれば御堂筋の「銀杏の黄葉」をと
意気込んで新幹線の列車の中から、大阪、京都の観光
案内所に tel した結果、いずれももう少し先になる様で
「残念だな-」と立ち寄るのを止めにして、最初の投宿先
芦原温泉の開花亭に6:00.pm.頃到着。

芦原温泉の宿開花亭は、さすが皇族方がよく投宿される宿と
あって、従業員の教育に、建物また庭の手入れに、好みの
趣が随所にあり、行き届いた雰囲気は気に入り、とても
良い宿でした。

朝の散歩を済ませ、朝食前に庭を歩いてみました、雪見燈籠、
鯉の舞い、全体の庭の配置にしばらく見とれてながら
これから始まる福井、関西での Business に英気を養うに
恰好の時として静まって居りました。

午前中の福井での商議を終えて午後の関西での商議に列車の
ダイヤと睨み合あわせ急ぎ駅弁を買い求め大阪行の特急
サンダ-バ-ドのステップに向かう姿を、しんと音静かな
(ひっそりとか寂しいとか言う語意に「寂」にこだわりを
 覚えつつ、静寂と言ったら相応しいのだろうかと文字を
 探しながら?)、
宿の朝の庭の佇まいと対照して「からだのどこかで苦笑」
して居りました。
※ 朝の静まっていたのは、次の活力のための「静」であって
  寂しいとか、ひっそりとは大分雰囲気が違う、と列車の中
  駅弁を戴きながらまだそんな事にこだわっている己が
  滑稽でもありました。

開花亭の庭の模様ごらんください。



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環境にやさしく

2007年11月05日 | エッセイ

10月中旬に日比谷公園で鉄道ショーがあったので
日曜日の午後立ち寄ってみました。
「排ガス、省エネ、環境問題に寄与する様な出し物が
あれば」とほのかな期待で会場を回りましたが、特に
興味の引く展示物は見つける事が出来ませんでした。

山五物産が取組んでいる「クリーンな環境」「燃費節減」
の「機関→パワートレインの機構」の参考になるヒントを
模索しながら「開発の速度を上げなければ」とそんな
思いで会場を後にしました。
こんな訳で展示会は少しく興醒めでしたが、薔薇が沢山
咲いて居り「カメラを持ってこなかったのが残念」と
こんな思いで居りました。

翌週20日頃、今度は薔薇の花を目当てに、土曜日の午後に
散歩を兼ねて、いつものデジカメにジーパン姿で日比谷
公園に出掛けてきました。

日比谷公園(都心)にも「蜻蛉」「蜜蜂」がいます。
銀座のビルの屋上の蜂蜜屋さんの蜂かも知れませんね。
薔薇も見事でした、いずれも日比谷公園で撮った画像です。
銀座のビルの屋上で稲作をしている酒造会社をTVで
紹介しておりました。
この日も「みんなで守ろう宇宙船地球号」と思いを
新たにして・・・・。



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母の想い出(睡蓮)

2007年09月03日 | エッセイ

千葉習志野市にお住まいの、人生の大先輩から
睡蓮の花の画像、入間市在住の同い年の何でも気軽に
話しあえる友人から竹林の画像がが届きました。

花には、そして田舎福井の竹林の庭には、幼い頃の
「明治36年生まれの母との想い出」が多くあります。
こんな事を思い出しておりました。

子供の頃、連れられて母の実家へ行くときに、
少し遠回りになるのですが、何故かいつも母は城跡に残る
お堀端を通ったものです。
いっぱい睡蓮や蓮が咲いていて、福井は仏教の盛んな
土地柄ですから、天国と地獄の話しを聞きながら
「悪い事をしてはいけないよ」と幼い私の手をとり
ながら諭していた事と、お堀の睡蓮のイメージが重なります。

薔薇、ひまわり、紫陽花、菊、蓮華草、ツツジ、と
「母と花」母の想い出が尽きないものです。

「母と花」での圧巻は、庭の竹林を背景に、父が丹誠込めて
育て上げた菊の花に「着物姿で囲まれている美しい母」です。
30才を過ぎた頃の写真でしょうか、父が愛用のライカで
おさめたものでしょう。
父の自慢の写真だったのでしょう、今も福井に行けば古い
アルバムに見る事が出来ます。

私は母が35才の時の子供ですから、きっと母のお腹の中に
あったのでは・・・・・。

母と福井のお堀端を思い出しながら春「櫻の頃」の桜田門の
お堀を添付しました。
桜田門から皇居前広場を過ぎて桔梗門辺りからの
丸の内方面の好きなスポットの画像です1葉添付しましょう。





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平和

2007年08月08日 | エッセイ

昨日もTVニュ-スを見ながら、暑い8月を迎える度毎に今の
若い世代の子供達には「第二次世界大戦、日本敗戦、終戦記念日」
は風化されつつあるのでは無かろうかと思いながら、昨年は
広島に原爆投下のあった8/6日にこんな事を書いて知人達に
e-mail した事を思い出しておりました。

********
昭和12年、13年生まれくらいの年代以降の世代は生々しい
記憶は無いのではなかろうか。
父(五作こと與三松)は戦争で支那(今の中国)事変に従軍した
際の実戦体験を子供の頃よく話してくれた。
父は「人は撃てないよ、敵が塹壕の中からこちらを狙って撃って
くる、応戦はするが敵の頭をかすめる様に撃つと敵はびっくりして
頭を塹壕の中に隠すんだ、威嚇射撃はするが人は撃てない。
しかしなあ、夜になると未だ片付けの終わっていない友軍兵を獣が
食べに来る、百発百中これは射止めたものだよ」と。
父は鯖江36連隊で一番が二つあり
 一つ目は射撃の名手で連隊でダントツ一番
 二つ目は長距離走、長距離行軍、
 軍隊の賞状で2万メ-トル(20km)走優勝、3万メ-トル(30km)
 走優勝と言う賞状が沢山あり自慢気に見せてくれたものだ。
この様な鉄砲の名手が「人は撃てないよ」と「人命の大切さ」を
実体験から子どもの頃の未だ柔らかい頭に植え付けて戴いた父に感謝
しているとともに誇りに思う。

福井の生まれですから子供の頃、富山市、福井市の空襲でB-29が夜空を
飛び空襲警報が出され、特に福井市の空襲は約25km離れた勝山市から
福井市上空の夜空が真っ赤に染まり夜襲空襲を目の当たりにした記憶が
鮮明に残っている。
終戦は国民学校(今で言えば小学校)2年生だった。防空訓練が始まると
運動場に防空頭巾を被って全校生徒が集まり、訓練の初めと終わりに
級長は自分のクラスの人数を確認して校長先生に「2年イ組38名異常あり
ません」と大声で報告したものだった。
当時は級長はみんなで選ぶのではなく担任の先生が指名した権威のある(?)
ものだった。
勉強の出来る子か先生のお気に入りの贔屓の子(?)とか。

さて、今日6日は、グアム・テニアン空軍基地から飛び立ったB29エノラゲイ
が広島上空で投下した原子爆弾が8:15.am.地上500mで炸裂し約14万余名の
方々が一瞬にして亡くなられた悲しい痛ましい日であり、また9日には
B29ボックスカ-が11:02.am.長崎に同じ爆弾を投下し広島と同じ様に7万人
と言う多くの犠牲者が出た事は忘れてはならないと同時に「平和への祈り」
として争いのない地球世界を願うものの1人である。
確かな情報ではないが、父(二代目五作こと與三松)が広島の救援で勤労奉仕
(今で言うボランティア)をしたと言う事を聞いた事を微かな記憶として残って
いる。

そして、8月15日に無条件降伏戦争終結に至るのである。
今の繁栄に至る中で人類の歴史の中でまた日本に歴史の中で明治維新以降の
大きな出来事の一齣として第二次世界大戦のあった事を忘れてはならない。
そして平和を願う気持ちを。
**********

こんな事を e-mail しました。
今年もこの日を覚えて「人の命の尊い事」「平和を願う事」祈りたいものです。
争いのない世界を願い原爆ド-ム、そして平和を願って薔薇を添付します。




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ありがとう

2007年07月24日 | エッセイ

高崎駅の二つ手前(東京寄り)の新町駅近くのお得意様
訪問で、大手町で午前中の Business を終えて東京駅
から高崎方面に向かう事になる。

新幹線利用で高崎から二駅戻るのと、在来線を利用する
のを比べてみると、待ち時間などを入れると 15分遅れの
差なので在来線を利用する事にした。

上野からの列車の中で昼食をと、出張昼食定番の「釜めし
弁当」と「お茶」を東京駅で買込んで、高崎線のボックス
シ-トを期待して山手線で上野駅へ。

目当ての電車に乗ろうとしたところ、15両編成の列車なのに
全車両ベンチシート。
車掌さんに
「昼食を摂りたいけれどボックスシートの箱は付いてないね」。
即座に車掌さん
「湘南から乗り入れの列車が鴻巣駅で追い越し接続ですから
 鴻巣で乗換えてください、多分席はあるでしょう」
「鴻巣まで昼弁当おあずけだね、ありがとう」と最後部の
箱に乗って上野駅をあとにした。

尾久駅を過ぎた頃車掌さんが来て
「大宮で乗換えてください、最後部にボックスシートの車両
 が付いています、6分待ちで隣のホームに入ります」
「ありがとう」40分ほど早く「釜めし弁当」にありつける事
になる。
サービスとは「この様な事を言うのだろうな」と感謝の中に
弁当箱の蓋を開けておりました。

翌日、丸の内の大型書店で孫娘の誕生日祝いに「図書券」を買い
求めたときに、対応の店員の無愛想に「君、お客様には
スマイルで対応だよ」と一言。
レジの時に「ありがとう御座いました」と「はにかみ気味の
微かなスマイル」を浮かべていた。
とても良いスマイルでした。
ありがとう。

薔薇を「高崎線の車掌さん」と「本屋さんのお嬢さん」にと
添付。







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