昨日もTVニュ-スを見ながら、暑い8月を迎える度毎に今の
若い世代の子供達には「第二次世界大戦、日本敗戦、終戦記念日」
は風化されつつあるのでは無かろうかと思いながら、昨年は
広島に原爆投下のあった8/6日にこんな事を書いて知人達に
e-mail した事を思い出しておりました。
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昭和12年、13年生まれくらいの年代以降の世代は生々しい
記憶は無いのではなかろうか。
父(五作こと與三松)は戦争で支那(今の中国)事変に従軍した
際の実戦体験を子供の頃よく話してくれた。
父は「人は撃てないよ、敵が塹壕の中からこちらを狙って撃って
くる、応戦はするが敵の頭をかすめる様に撃つと敵はびっくりして
頭を塹壕の中に隠すんだ、威嚇射撃はするが人は撃てない。
しかしなあ、夜になると未だ片付けの終わっていない友軍兵を獣が
食べに来る、百発百中これは射止めたものだよ」と。
父は鯖江36連隊で一番が二つあり
一つ目は射撃の名手で連隊でダントツ一番
二つ目は長距離走、長距離行軍、
軍隊の賞状で2万メ-トル(20km)走優勝、3万メ-トル(30km)
走優勝と言う賞状が沢山あり自慢気に見せてくれたものだ。
この様な鉄砲の名手が「人は撃てないよ」と「人命の大切さ」を
実体験から子どもの頃の未だ柔らかい頭に植え付けて戴いた父に感謝
しているとともに誇りに思う。
福井の生まれですから子供の頃、富山市、福井市の空襲でB-29が夜空を
飛び空襲警報が出され、特に福井市の空襲は約25km離れた勝山市から
福井市上空の夜空が真っ赤に染まり夜襲空襲を目の当たりにした記憶が
鮮明に残っている。
終戦は国民学校(今で言えば小学校)2年生だった。防空訓練が始まると
運動場に防空頭巾を被って全校生徒が集まり、訓練の初めと終わりに
級長は自分のクラスの人数を確認して校長先生に「2年イ組38名異常あり
ません」と大声で報告したものだった。
当時は級長はみんなで選ぶのではなく担任の先生が指名した権威のある(?)
ものだった。
勉強の出来る子か先生のお気に入りの贔屓の子(?)とか。
さて、今日6日は、グアム・テニアン空軍基地から飛び立ったB29エノラゲイ
が広島上空で投下した原子爆弾が8:15.am.地上500mで炸裂し約14万余名の
方々が一瞬にして亡くなられた悲しい痛ましい日であり、また9日には
B29ボックスカ-が11:02.am.長崎に同じ爆弾を投下し広島と同じ様に7万人
と言う多くの犠牲者が出た事は忘れてはならないと同時に「平和への祈り」
として争いのない地球世界を願うものの1人である。
確かな情報ではないが、父(二代目五作こと與三松)が広島の救援で勤労奉仕
(今で言うボランティア)をしたと言う事を聞いた事を微かな記憶として残って
いる。
そして、8月15日に無条件降伏戦争終結に至るのである。
今の繁栄に至る中で人類の歴史の中でまた日本に歴史の中で明治維新以降の
大きな出来事の一齣として第二次世界大戦のあった事を忘れてはならない。
そして平和を願う気持ちを。
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こんな事を e-mail しました。
今年もこの日を覚えて「人の命の尊い事」「平和を願う事」祈りたいものです。
争いのない世界を願い原爆ド-ム、そして平和を願って薔薇を添付します。