明日は山響の新潟、新発田での公演。去年から始まったシリーズです。
今回は指揮者に山下一史氏を迎えて、ベートーヴェン「田園」、クラリネットのソリストに山響首席の川上氏を立ててウェーバー「クラリネット協奏曲2番」、頭にモーツァルトの「ディヴェルティメント3番」という、古典でまとめつつも変化に富んだプログラムです。
ところで「田園」は言わずと知れた名曲ですが、有名なのはやはり冒頭でしょう。「田園に着いた時の愉快な気持ち」と、ベートーヴェンも楽譜に書いています。慌ただしい都会をしばし離れて、のんびりとした田舎での滞在が始まるウキウキ感…これは時代や国籍を超えたものなのです。
今の慌ただしい世の中から考えれば、ベートーヴェンの時代のヨーロッパに、慌ただしさなど存在したのかと疑問に感じますが、そういう問題ではない。慌ただしさとは心情的な問題なので、数値では測れない。実際、田舎でも仕事のスケジュールに追われることは、東京と変わらない。私たちが身をもって断言いたします。
…田舎方面に旅行したからウキウキしたんでしょ。
それも違います。山形と比べてどうだというつもりはありませんが、旅行で佐賀に行っても対馬に行っても、心の中に「田園のテーマ」は鳴らなかった。
ハッキリ言いましょう。田園交響曲の「愉快な感じ」は…「オフの始まり」の気持ちなのです。つまり田園は、地理的には存在しない。しかし同時に、どこにでも出現し得る。ベートーヴェンがこれを「絵画的描写ではない」としつこく言ったのは、そういうことに違いない。これは「オフを迎えた人」の心理的な描写なのです。
例の、鳥が鳴き交わすところも、実際の鳥の鳴き声を模したものにあらず。ああいう音がノリノリで聞こえてしまうほどに、ベートーヴェンは郊外で過ごす「オフ」が楽しみだったのです。ちょっといじらしい。そして現代人の我々にも、痛いほどわかる。
私は何が言いたいのか…そう、皆様と同じ気持ちです。
夏休みが待ち遠しい…。
以上、明日の「田園」も心を込めて演奏したいと思います。
今回は指揮者に山下一史氏を迎えて、ベートーヴェン「田園」、クラリネットのソリストに山響首席の川上氏を立ててウェーバー「クラリネット協奏曲2番」、頭にモーツァルトの「ディヴェルティメント3番」という、古典でまとめつつも変化に富んだプログラムです。
ところで「田園」は言わずと知れた名曲ですが、有名なのはやはり冒頭でしょう。「田園に着いた時の愉快な気持ち」と、ベートーヴェンも楽譜に書いています。慌ただしい都会をしばし離れて、のんびりとした田舎での滞在が始まるウキウキ感…これは時代や国籍を超えたものなのです。
今の慌ただしい世の中から考えれば、ベートーヴェンの時代のヨーロッパに、慌ただしさなど存在したのかと疑問に感じますが、そういう問題ではない。慌ただしさとは心情的な問題なので、数値では測れない。実際、田舎でも仕事のスケジュールに追われることは、東京と変わらない。私たちが身をもって断言いたします。
…田舎方面に旅行したからウキウキしたんでしょ。
それも違います。山形と比べてどうだというつもりはありませんが、旅行で佐賀に行っても対馬に行っても、心の中に「田園のテーマ」は鳴らなかった。
ハッキリ言いましょう。田園交響曲の「愉快な感じ」は…「オフの始まり」の気持ちなのです。つまり田園は、地理的には存在しない。しかし同時に、どこにでも出現し得る。ベートーヴェンがこれを「絵画的描写ではない」としつこく言ったのは、そういうことに違いない。これは「オフを迎えた人」の心理的な描写なのです。
例の、鳥が鳴き交わすところも、実際の鳥の鳴き声を模したものにあらず。ああいう音がノリノリで聞こえてしまうほどに、ベートーヴェンは郊外で過ごす「オフ」が楽しみだったのです。ちょっといじらしい。そして現代人の我々にも、痛いほどわかる。
私は何が言いたいのか…そう、皆様と同じ気持ちです。
夏休みが待ち遠しい…。
以上、明日の「田園」も心を込めて演奏したいと思います。
私たちの夏休みは暦が決まっていません。演奏会のない辺り…それが夏休みです。結果的にお盆周辺になるわけですが。
今年の夏休みは短いので、明けの曲を練習するばかりで終わってしまいそうでもありますが、充分に楽しみたいものです。