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北朝鮮

2016-09-17 10:22:44 | 日記
Essay-12 9/17/2016 北朝鮮 ミサイル

北朝鮮が迷走している。 9月9日、第5回目の核爆発実験をして以来、世界がざわついている。核の実験そのものは,2006年、2009年、2013年、2016年1月と行われた。そして本年2回目の実験だったが、その間隔が迫って来た事で、核実験そのものが、完成に近づいているとの予想が主力だ。 日、米は国連に強硬な対抗手段を打ち出すよう働きかけているが、どうなることだろう。 いつものように中国の反対により北朝鮮にとっては、ほとんど影響力の無い制裁が施行されるだろう。 そして北朝鮮は核の試験を更に強行し、核保有国であるという、世界に通用する免罪符を有する国に仲間入りを果すべく、躍起になりその試験を加速してくるだろう。
困ったものだ。 日本を含めアメリカにも、打つ手が無いのだろうか。今まで、どうだこうだと言い訳をして、傍弱無人に威嚇外交を繰り返してきた北朝鮮。その金正恩体制が、金王国への完成という地位に上り詰めるのを、傍観するだけになるのだろうか。北朝鮮は内部崩壊の引き締めを狙い、就任5年後の現在に至るまで70人とも100人ともいわれた人々を制裁してきた。 一部制裁の理由が、会議中の居眠りだとか、その態度が悪いとかで処刑されるという。まさに恐怖政治が横行されている金正恩体制。前2代の独裁政治に比べてその支配力が弱いといわれている。それでは内部からの崩壊そして改革へ道筋はないのだろうか? 国民の生活を犠牲にして核開発に奔走する体制を許してはならない。

話は変わるが、私は福岡,門司の生まれだ。この地域は昔から朝鮮とのかかわりがあるようで、門司の案内書には下記のように記されている。
(この地方は神宮皇后が仲哀天皇の志を継ぎ熊襲,土蜘蛛を成敗し、さらに新羅まで征し、高句麗、百済から貢物を持った朝貢使節が来朝し栄えた町と言う。小森江は高麗船、葛葉は百済船、白木崎は新羅船の停泊場所から来た名前らしい。百済町と言う地名もある。)

上記の白木崎という町で私は生まれた。隣町は葛葉で、そして小森江小学校に通った。周りには朝鮮人が多くいた。あそこは朝鮮人部落だ、ここそこも朝鮮人が多いと、地元では良く聞いた。その付近に入った事はないが、近くに行くと何やら特有の臭いがした記憶はある。又,小森江小学校では、たしか一部に、朝鮮人学級というクラスがあったのも覚えている。そんな身の回りだった。
朝鮮人の友達もいたが悲しいことに朝鮮人を見下す社会であったようだ。私の両親の会話にも朝鮮人蔑視の言葉は使われていた。私も自然にそのような言葉を使っていた。自分の友人に朝鮮人が居ながら、蔑視の言葉を使うという矛盾した生活になんら違和感を持たなかった。(朝鮮、朝鮮馬鹿するな、おなじ顔してどこ違う、鼻の曲がりがチョト違う。)(朝鮮人は臭い、彼らとけんかするな、子供のけんかに親が出る)などとある種の節をつけていっていた。ただし、自分の友人には、そんな言葉は夢にも使わない。 意識して使わなかったのではなく、それは自然に使い分けていたようだ。朝鮮人の友達に対する接し方と、一般朝鮮人に対する言葉を、自然に使い分けていた。今考えてみてもその時の心理というものが判らない。韓国や中国で日本に対する反戦思想を植えつけるため、虚偽の歴史を教えているようだが、子供の時代に教え込まれ虚偽の歴史観を持った人は成人してもそれに立脚した考えを持つに至るのは避けられない。 

一時期、北朝鮮により、日本に住む朝鮮人の帰国政策が始まった。1960年代から始まり、1984年間まで続いたらしいが、その間、93,000人の朝鮮人が日本から北朝鮮に渡った。なかには1,830人の日本人妻がいたという。1952年生まれの私だが、帰国政策は私の小学校時代始まった。母親から、(あの人も朝鮮にかえったよ、あの子もこの子も一緒にかえったんよ、)などの話を聞かされたことを覚えている。身近の出来事だったのだ。
1960年当時は北朝鮮のほうが国民生活も韓国よりも豊かだったそうで、地上の楽園との触れ込みで日本から呼び寄せたそうだ。それを信じた多くの人が、夢と希望をもって海の向こうの故国に渡ったのだろう。日本政府も、それを後押ししたという。それは当時、朝鮮半島から日本への密航者が後をたたない為、その数を減らす為の意向と合った為といわれる。戦後のどさくさ、そして経済復興への道を走っていた日本にとって、数ある問題のひとつだったのだろう。

その後の彼らの生活は如何なものであったろう。私と同世代の子供たちも両親に連れられて、海を渡ったのだ。それを思うと他人事とは思えない。仮に私が北朝鮮に連れられたとしたら、どんな一生を過ごしたことだろうか。マンセー、マンセー、と叫び金三代のパレードに参加していたのだろうか? それとも、収容所に入れられ、悲惨な人生を送っていたのだろうか? いずれにしても人生の選択は限られていただろう。
今64歳のわが身を思うに、北朝鮮に居る人々の歴史と比べて、あまりにも幸せである事は間違いない。少なくとも私の人生の節々で右か左か選択せねばならないとき、自分自身の判断でわが道を選択出来たのだ。それに反して北朝鮮の人々に選択の自由は有っただろうか? 特に金正恩の体制になってわずか5年だが、その間の制裁が多くなっていることから見てみも加速的に悪くなっているようだ。彼らに自由はないといえるだろう。

それにしても日本は国家としての尊厳をいかに保つべきなのだろう。多くの拉致誘拐者の問題も遅々とはかどらない。これで立派な国家といえるのだろうか。理屈が通らない北朝鮮、中国に対して今までの考え方を変えねばならない。日本の平和憲法、特に第9条が、日本の平和を守っているとひたすら信じている人々がいるが、その根拠を伺ってみたい。右の頬を殴られたら、左の頬を出せ、とでもいうのだろうか? 平和を唱えていれば世論が戦争から守ってくれるとでもいうのであろうか。バイデン副大統領が,アメリカは先制攻撃をしないと言ったとか言わないとか。 抑止力という意味では、最悪、先制攻撃も辞さない、という覚悟を示さないと、理屈が通らない北朝鮮、中国には通用しないとおもうのだが。自分独自の理屈をごり押しする国々と、甘い言葉だけで、乗り越えようとする考え方は、あまりにも危険すぎる。日本は内なる甘い言葉が多すぎる。
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