山寺 恭平 ほのぼのブログ 信州上田

私、山寺 恭平の公式ブログです。アニメ研究活動の事から上田市の歴史、そして趣味活動などをブログにて更新しています

平和の灯を

2017年08月09日 | 恭平は語る「福祉と平和」について
皆さん、こんばんは
山寺 恭平です。(^^♪
本日、8月9日水曜日のブログを配信させて頂きます。
いよいよ、今週の金曜日、土曜日から。
お盆に入りまして。
地元に戻って来る人たちの帰省ラッシュが始まります。
お盆中は、お互いに夏の疲れをゆっくり体を休めて行けたらと思っています。
皆さんも、お休みを利用して。
様々な場所へお出かけされると思いますが。
無事故で、お盆明けも仕事や学校などに支障がないようにお過ごし頂けたらと思います。
さて、今日は。
9日という事ですが。
長崎県内では、11時09分に。
長崎県で、被爆された方々の黙とうを1分間行ったと思いますが。
前回6日の日曜日にもお話しさせて頂きましたが。
「戦争」というのは。
二度と繰り返してはならない。
我々にとって、「戦争」ほど残酷なものありません。
その被害に一番遭うのは、やはり我々国民だと思います。
当時の日本は、「ぜいたくしません、勝つまで」はというキャッチコピーが私たちの街のあらゆる場所に貼られていたようですが。
私自身、本当に。
「戦争」というのは、これまで。
多くの戦争を経験してきた高齢者の方々のお話を聞いて行く中で。
やはり、戦争を生身で経験してきた影響もあってか。
余り、話をしたがらない高齢者の方もおりました。
しかし、最近多くの方たちが、戦争の体験談を話を聞いて行く中で。
一瞬にして、自分の家族の生活が、「戦争」というもので変わってしまうと言っていた方がおりました。
ある日、その家族の長男や次男が。
ある朝などに、市役所から。
「招集令状」が届けられた時は、家族は。
お国が決めた事だから、気持ちよく送り出さなくてはいけないという気持ちで。
戦地へ送ったご家族もいたと思いますが。
しかし、戦地へ自分の息子や愛する人を戦地へ送り出す家族や恋人などの心境を考えると。
本当に、生きて帰れる保証がないまま。
複雑な心境だったのではないかと私自身。
戦争体験者の話で感じています。
日本が、終戦を迎えてから。
今年で、戦後72年を迎えました。
しかし、終戦72年を迎えた日本でも。
まだまだ、戦争体験者などが受けた当時の辛さや心情を考えるとやりきれない気持ちになります。
そういった方が、少しでも前向きにしていくためには。
やはり、私たち若い世代が。
これからも、「戦争」に対する事をもっと勉強していきながら。
様々な、「シンポジューム」などの会合などがあれば話を聞きにくいくなどをし。
そして、戦争を体験してきた方たちの話を聞いて行きながら。
「戦争」という恐ろしい凶器を二度と起こすことがないように。
ブログや、Face Book、LINE、twitterなどを通して私たちが訴えていかなくてはいけないと私自身。
最近改めて感じています。
これからの日本は、今以上に。
「高齢者」が増えていくと思いますが。
そういった高齢者の方々と触れ合っていく中で。
「戦争」の恐ろしさなどを共に語っていきながら。
「平和」の道しるべにしていかなくてはいけないと私自身は思っています。
2020年東京でオリンピックが開催されますが。
この、東京オリンピックが寄りよいものになる事を願って本日のブログをしめたいと思います。
それでは、本日の1句です。
「平和の灯 みんなで守り 前進へ」
以上、山寺 恭平でした。
それでは、皆さんまた明日('◇')ゞ
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